第6話 失われる人の心
農林水産省ーー
「なにいっ! ニクコップンが戦死しただと!」植林大佐カフンマスクは驚きの声を上げた。「誤報じゃねえのか!?」
「い、いえ! 確かであります!」ノンキャリア官僚が報告する。「未確認人物の出現により、数十秒ほどの戦闘ののち爆死したとのことです!」
「ば……バカな………」
「カフンマスク、貴様!」病田が怒号を上げる。「私に恥をかかせたな……罰を与える!!」
病田の手に握りしめられたバールが振り下ろされる。カフンマスクの頭から鈍い音が鳴り、血しぶきが舞う。
「クックックッ……功を焦ったな、カフンマスク」墾田参謀ムギミソが不敵に笑った。「病田審議官、ご安心をば。このムギミソ、こんなこともあろうかと、すでに我が部署の全知全能を投入して開発した最強の農人を用意しております」
「ギョーーーッギョッギョッギョギョ! ギョーーーーーーーーッギョッッギョッギョ!!」突撃隊長サカナクンサンは言った。
「……サカナクンサンは『策士が策に溺れないか見物だな。二の舞にならなければいいがな』と言ってるわ」乳隊長ホルスタインは翻訳した。「もっとも、文書課のあなたが農人を開発していたなんて驚きね」
「クックックッ……百聞は一見にしかずよ! 姿を見せて見よ、コエメーダー!!」
桶でできた農人が、中に糞をためて進み出てきた。ひどい臭いだ。
「こいつは糞を集め、発酵させ、撒き散らす、いわば嫌がらせ農人!」ムギミソは説明する。「先の農人ニクコップンは、自らの髙い戦闘能力におごって力量の図れない相手と正面から渡り合ったのが敗因! このコエメーダー、じわじわと農民の精神を追い詰め、村の放棄に追いやって見せましょうぞ!」
「フ……貴様らしい姑息な手だ。しかし、よいだろう!」病田は言った。「局長に心地よく報告ができるよう、今度こそ結果を期待しているぞ! ゆけ、コエメーダー!」
「アヌス!」コエメーダーは一礼し、村に向かった。
「……今年はお米の育ちが微妙だな」
ぴりかは田んぼの雑草を抜きながら、まだ青い、若い苗をなでてみた。このあいだ植えた苗は、ほんの数日で倍の大きさになっていた。でも、物心ついたときから毎年稲の育ちを見ていた彼女にとっては、すこし、成長がおそいかなと思えたのだった。
「今回は施肥がいつものようにはいかなかったから、しかたないよ」隣で手伝っていた僕は言った。「冬の間休ませていた土は流されちゃったし……田植え直前もドタバタしてたから、追肥もできなかったしね。でも、嵐が肥沃な土を運んでくれたと思おうよ」
「……そうですね。凹んでばかりはいられませんね!」
「しかし、あ~あ、こう一日中体を動かしてると、汗をかくなあ! 今日は暑いし! そうだ、ぴりかちゃん、ちょうどお昼だし休憩して川で水浴びでもしないかい?」
「えっやだよ……」
「なんで? すずしーだろ?」
「服が濡れて肌に張り尽くし、透けるから! どうして言わなきゃ分からないの、デリカシーないな! クソか!」
……そうか、彼女は高校生、年頃の女の子だ。服が体のラインに張り付いたり、透けたりすると恥ずかしいに決まってる。
当たり前のことだ。
なぜ言われるまで気づかなかったんだ? 僕は自分の胸にそっと手を当てた。俺は……当たり前の人の心をうしないつつある?
ここにあったはずの心……病田にぶち抜かれて、いま、別のものが……
正義の、農の心。しかし、それは……
人間の心じゃ、ない………………?
「稔さん、汗かくとか暑いとかいって、ほんとは私を水浸しにしたいだけなんでしょ!? どえろ! 変態! 人間のくず! 籾殻程度の存在! ろりこん」
「わかったよ」僕は首を振って田んぼを上がった。「じゃーひとりで川に入るよ」
僕はそのまま、ざぶざぶと川に入って、なんとなく泳いだり、潜ったりした。
「あー! 冷たくて気持ちいいなー! 川はいいなー!」
ぴりかの呆れた目が辛かった。でも、僕ももはや泳ぎたくて泳いではなかった。村の男たちも笑っていた。滑稽だ。
「おーい稔さんよー! まだ水はつめてーからカゼひくなよなー!」男たちははやし立てる。
「はいはい、もうそろそろ上がりますよ……ん?」
僕は、上流の方を見た。山から流れてくるこの川。清流で、きもちがいい。
が、どうも、上の方で、急速に色が変わってきているようだ。
「な、なんか変だぞ……?」男たちも異変に気づき、ざわめき始める。
風が吹くーー異臭。
なにか、変だ!
「稔! 川から上がれ!」男たちが叫ぶ。
「は、はい!」僕は慌てて岸まで泳ぎ、土手に駆け上がった。
その直後だった。今まで僕の泳いでいた水面が、さっと茶色に染まり、うんこの臭いで覆われたのは。
「く、臭い!」僕はおののいた。
「川が、真っ茶色になっちまった!」男たちはどよめいた。
「これ、全部うんこか!?」皆、戦慄していた。
なんてことだ……これ、すべてうんこで、上流から流れてきたというのか。どう考えても普通の事じゃない。
農林水産省の仕業に違いない!
異変を知ったぴりかが駆けつけてきた。
「稔さん! 何があったの!」
「ぴりか……また危機が迫ってるみたいだ。きみは安全なところにいろ」
「いや! 私も戦う!」
「ダメだ! 君を危険な目に遭わせるわけにはいかない!」
「かっこつけないでね! あなたが肝心なときに頼りないから、私も戦うんだから! 勘違いしないでよね!」
「……しょうがない子だな」
「……準備してくる。待っててくれる?」
「わかったよ。でも無理しないでな」
僕はぴりかと、固い笑みを交わした。家に駆けていく彼女の背中を見送ってから、僕は上流の方の山に振り返った。
「いったい山で何が起こったのだろうか」僕はつぶやいた。
「あの山は……」男の一人が言った。「たしか……『村一番の男』が……」
「村一番の男?」僕は聞いた。
「ああ。俺らの間でそう呼ばれている男が、いま、あの山に……」男はそう言った。
「なぜ?」
「台風が来た直後だ」男たちは口々に語った。「あの頃は田畑もダメになってインフラも寸断した。食うものが全くなくなった。だから、あの『村一番の男』は、俺がタンパク質を取ってきてやる、って、イノシシを追ってあの山に入ったんだ。今もまだいるはずだ」
「だから、このクソは、あいつがしたのかもしれねえ」
「あいつなら、やりかねねえ……」
「いや待てよ」僕は言った。「こんな量のうんこ、一人の人間ができるわけないでしょう。見ろよ! 今もこの川を染め続ける茶色いうんこを! これは農林水産省の仕業にちがいない! だとしたら、その『村一番の男』も危ない! だから、今すぐ山に入るべきだ!」
「農林水産省のしわざ!?」
「ひええええええええ!!」
「うわあああああああ!!」
「えばあああああああ!!」
「げりおおおおおおお!!」
「Q!!」
農民は、農林水産省の言葉を出しただけですっかり脅えてしまった。だめだこいつら……俺がなんとかしないと……
山には、結局僕一人で行くことになるか……この状況では、ぴりかをとても連れてはいけまい。そう思ったときだった。
向こうからぴりかが駆け寄ってくるのが見えた。僕は目を見張った。
なんて武装だ。両手に担ってるのはウィンチェスター上下二連ショットガン、肩に斜めに提げられた弾丸ベルトには鴨打ちからスラッグ弾まで充填されている。左肩に締められたナイフホルダーに収められているのはアイトールJ.K.Ⅱブラックサバイバルナイフ。そして腰のベルトに差されているのは、おそらく真剣の小太刀。農村には武器がなんでもあると「七人の侍」や「ゴジラ」で観ていたが、本当だったとは恐れ入ったぜ。
彼女は僕の前に立つと、息を上気させて顔を赤らめたまま、まっすぐ目を見据えてきた。
僕は、言葉を発するのに数秒を要した。
彼女は本気だった。そして、勇気を示すと同時に、最後まで脅えていた。拒否しないで欲しい、と。それがわかった。
戦いたい気持ちは分かる。本気で戦う気があるのは彼女だけだ。だけど、それだけにあまりに危険すぎるのは彼女にも分かっている。僕の立場も、分かる歳だった。
だからといって、もう追い返せなかった。彼女は自分の村を守りたいのだ。
そして……自分の未来を、だれかの手に委ねたくないのだ。
僕が同行している。守る自信が無いとは、彼女のその姿と目を見て、言えるわけがなかった。
「山に入っても、危険な行動はしないと約束できるね」そう言った。
「がんばります」彼女は答えた。
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