全てを顧みないほどのラブコメ(5)

 ナイフを握る手が震えて、把持するのもままならなくなり握る力を手放した。

「どうしたんですか、先輩」

「どうしたって。いま、貴方は──」


 僕は先輩の言葉を遮るように胸ぐらを掴んだ。

「殺そうとしてたでしょう。なのにこの程度で怯えるんですか」

 すると先輩はまるで歪みきった怪物を前にしたような表情でぐっと睨む。有り難い。まだやる気は萎えてないようだ。僕は掴んだ先輩の服で血を拭うと、切れていない反対の手でカードをひく。


 カードは『ハートのA』。手の内ではもっとも弱いカードだ。

「さあ先輩もひいてください。あと残り五回だ」

「・・・・・・分かった」

 先輩もカードをひく。案の定、カードの図柄はAより上だった。

 先輩の勝利。質問の権限は先輩に移譲される。


「貴方の目的はなに? 貴方はアタシに何をさせる気?」

「質問は一つまでです。だから最初の質問を答えますよ」

 僕は笑う。

「目的はズバリ、一目惚れです」


「一目惚れ?」

「本人と面と向かって言うのは面映ゆいですが、先輩の顔に惚れました」

「真実を語って」

「これ以上ない真実です。不満なら挑戦でも良いですよ」

 僕はテーブルの上で無造作に横たわるナイフに視線をむける。西日に照らされる刃は先端を赤い粘液で濡らしている。

「いいわ。次のゲームに行きましょう」

 まだ先輩の頭に肉を裂いた感触が残っているのだろう。ナイフを握った右手を慰めるように左手で揉みながら、六回目の開始を承諾する。


 カードを引き、図柄を示し合わせる。

 勝負は僕の勝ち。

「先輩は警察を信用出来ますか?」

「・・・・・・・・・・・・何を、貴方は何を言いたいの」

「教えませんよ。教えたとしても意図を取り違える可能性がありますからね。だからあえて婉曲な言葉で伝えるとするなら、これは時限爆弾です」

「時限爆弾?」

「と、いうより言葉というコミュニケーションツールが得てしてそういう性質を兼ねているというべきでしょうか。たとえば親からよく言われる『勉強しなさい』という言葉。これは聞いた当時はその場の注意にしか聞こえないけれど、大人になっていけば『勉強しなさい』という言葉の意図が、そこに込められている様々な側面が氷解していく。他人のアドバイスなどが往々にしてそうで、その時は聞き流していた言葉が、あるとき、ふっと甦って納得する。諫言や注意、あるいは至言というものは、どれも時限式だ。──だから、いづれ分かります。多分、近いうちに」

 僕はそういってカードをひき、先輩にも促した。


 七回目。

 これもまた、僕の勝ちだ。

「先輩は誰かを傷つける覚悟はありますか?」

 僕の問いに、もはや芳しい答えを求めるのは無理のようだった。

 先輩はすでに怯えを見せ始めている。

 誰に向けてかは、言うまでもないだろう。

 僕は最後の脅迫にむけて、歩みを進めていく。


「答えてください。誰かに危害を加える覚悟は? 誰かを嫌う覚悟は? 誰かを押しのけていく覚悟は? 泣いて縋るものを振りほどく覚悟は? 怒鳴りつける者に唾をはく覚悟は?」

「あなたは、なにを」

「質問しているのは僕です。質問権は僕。回答権は貴女。そういうルールだ」

 僕は詰め寄る。決して逃がさないように。

「それでどうです。縁を切る覚悟はありますか?」


「あなた、もしかして」

「あなたではない。カササギだ。そして僕は訊いている。答えて下さい」

「・・・・・・それは、いえ、ちがう。そんなんじゃ」

「次です。あと二回」

 僕は狼狽える先輩を払いのけるようにカードをひく。

 いまだ震える先輩の代わりに、山札からカードをひき、テーブルに広げた。


「『ハートの5』。『ハートのK』。貴女の勝ちだ。先輩の勝ちだ。さあ訊け。このゲームを終わらせたいのなら、はやく訊いてみせろ」

「・・・・・・・・・貴方は、カササギ君は私に何をさせる気」

「選択ですよ。選ぶんです。この世で尤も浅ましい行為は、選択を迫られていながらどれを選ぶことなく逃避、つまりタイムアップまで背を丸めて縮こまることです」

 僕は鼻っ面が当たるほど顔を近づけていう。

「嫌なんでしょう? 同情されることが。不快なんでしょう? 憐れまれることが。だから貴女は嘘をつく。小さな嘘から大きな嘘まで。今の自分を直視されると困るからだ。だけど大丈夫。僕は貴女を同情しないし、憐れみも覚えない」


「あな、あなたは」

「んふふ、だけどこれじゃあフェアじゃない。だから挑戦をしましょう」

「駄目ッ!」

 いまだ血が滴って手首をそめる右手で、ナイフを掴もうとした。

 だが先輩は勢いよく僕の手を払った。窓ガラスに小さな飛沫が飛び散った。

「しょうがない。では代わりに『TRUTH』をひとつ」

 僕はそういうと席をたち、窓をあけた。遠く山稜の上に、鏡餅にのっている蜜柑のようにして太陽が隠れていく。耳を澄ませれば、グラウンドでシャトルランをする陸上部員の声がひびき、校舎から金管楽器の高い響きが届いてくる。

「ところで先輩ご存じですか。路上で泥棒やスリ、暴漢に遭ったとき『助けて』と叫ぶのは効果をなさないらしいのです。それはそうだ。近くに犯罪者がいる場所に、のこのこと飛び込んでいくリスクは負いたくない。だからそういう場合は『火事だ』と別の事を叫ぶほうが良いらしいですね。つまり周囲の恐怖心を呷るより、危機感を、あるいは興味を抱かせる内容のほうが、野次馬というのは来るそうです。

 ──それでは僭越ながら」


 僕はわざとらしく咳払いをすると、窓側に向き直る。

 そして大きく胸を反って息を吸った。

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