全てを顧みないほどのラブコメ(4)

「先輩は手相に興味ありますか?」

「手相? ええ人並みには」

 急に話が別のことに振れて、先輩は戸惑いを浮かべながらも答える。


「では生命線を知っていますか」

「ええ。たしか、この辺りよね」

 先輩は左手を出すと、親指の付け根辺り──拇指球のあたりで緩やかにカーブする線を指さす。

「長いほど長生きするらしいんですが、先輩、そういうの信じるタイプですか?」

「私、迷信は信じないタイプなの」

「素晴らしい。でも先輩の様に迷信だと断じれる人は、案外少ないんです。──とある都市伝説なんですがね、ある日、余命幾ばくもない少年の元に祖母が見舞いに来たらしいんです。祖母は彼の手をみて、生命線が短いのをみて嘆いた。ああ、この子はもう死んでしまうと。・・・・・・そんなとき、ふと祖母の視界に果物ナイフが映ったそうです。彼女は何を血迷ったか、それを持ち出した」

「まさか」

「ええ、その真逆です。彼女はナイフで孫の生命線を切り伸ばした。その御陰が知りませんが、少年はそれから健康に何十年も生きたそうです。バカバカしいですよね?」


「・・・・・・・・・・・・何をさせる気」

「なに、簡単なことです。僕は先輩のように迷信を迷信だと切って捨てられるほど、強靱な精神を持っておらず、また僕の生命線も普通の人より短いので」

 そういって僕は掌を差し出す。

「伸ばして下さい。そのナイフで。それが先輩に課す『挑戦』です」

「頭がおかしいんじゃないの!」

「もっともな意見です。僕には否定できる言葉は何一つ持ち合わせがない。けれどこれはゲームで、その『挑戦』にナイフを使うことを了承したのも先輩だ。ここで逃げるんですか?」

「それは・・・・・・」

「結構。それでも良いでしょう。ですが、このゲームは先輩の不戦敗になるわけだ。そうすれば罰ゲームも必要ですよね。・・・・・・そうだな。なら罰はこうしましょう。これから一切、僕の腹を探らない。探ろうとする質問を許可しない、というのはどうでしょう? 僕もあまり痛くない腹を探られるのは不愉快ですから」


 先輩に揺さぶりをかける。

 ここでゲームを降りられてしまえば、作戦は徒労におわる。

「・・・・・・・・・・・・」

 先輩は僕の掌とナイフを交互に見やった。あれだけ刺すだの殺すだの曰っておいて、こちらから求められれば臆しているのは、ともすれば失笑を買うかもしれないが、誰だって口では殺すと脅しつつも、そのあとに殺したと報告できる者は居ない。

 とある行動心理学者によれば、人が他人を殺す動機の九割は衝動的なものであるらしい。──そう、人は人を衝動的に殺せる。だが、宥めすかし、説きほぐして、殺傷を教唆されれば、今の先輩のように動揺するものだ。


 だから僕は優しく彼女の掌をつかみ、その手の上にナイフを置いた。

「さあ、やりましょうか。なに、先輩は握っているだけでいいです。線を刻むのは僕がしますから」

 彼女は痛ましいほど顔を歪める。多分、彼女はそういう表情を何度となくしているのだろう。彼女の弱味に付け入るのは心苦しいが、残念ながら止めるという選択肢はない。でないと先に進めない。

「別に手首を切るわけじゃありません。縫うような傷でもない。ちょと刻むだけです。ええ、人を刺そうとした先輩には簡単なことでしょう。・・・・・・ええ、僕を見ずに手を見て下さい。そうです。刺しますよ、・・・・・・弱いな。もう少し──ッツ」


 ぷつりと皮がやぶれた。

 肉の裂け目から小さな血の風船が膨らんでいく。

 僕はそれをゆっくりと動かして切れ目を伸ばしていく。

「────ッツ」

 だが、それも少しだけだった。

 痛む僕以上に、先輩が持たなかった。


 

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