第三章 くつがえせないほどのラブコメ
くつがえせないほどのラブコメ(1)
「七瀬ちゃん、ちょっとちょっと」
僕はうつらうつらしている七瀬ちゃんを肘でつついた。
現在は朝課外。科目は数学で、担任の大神教諭が教鞭を振るっている最中である。
ただ数学という授業は実に単調で、出題された問題を解き、それを解説するだけの繰り返しである。その中でも大神数学教諭は顕著だ。彼は区切った時間で問題を解かせ、終わると解説と称して延々と黒板に解法を筆記する。
その集中たるや解説に入れば一度も生徒側を振り向かず、生徒達は黒板に反響した大神教諭の声を聞き、時折、先生は黒板と授業をしているのではないかと首をひねるばかりである。
生徒に問うこともせず単調に流れる教諭の平淡な声に、七瀬ちゃんだけでなく、多くの生徒が舟を漕ぎ、まるで教室は手こぎのガレオン船のような様相だ。
そんな漕ぎ手の一人となった七瀬ちゃんを肘で起こす。
七瀬ちゃんはびくりと顔をあげ、垂れていた涎を袖で拭くと目線を寄越した。
「なんだ。オレは寝ているんだぞ」
「ちょっと七瀬ちゃんにしか頼めないことなんだよ」
「・・・・・・ふむ。お前の頼みなら吝かではない」
「神様仏様七瀬様だ」
「それで頼みというのは」
僕は頬を掻きつつ、声をひそめる。
「口頭ではちょっと言いづらくてね。ところで聞くところによると、先輩と同じ中学校だとか」
「先輩? ああ〝ころう〟先輩のことか。うむ。あの人は当時から何かと有名であったよ。それで同校であるオレに頼みとは」
僕は事前に内容を書き記していたノートの切れ端を丹念に折って、そっと七瀬ちゃんに渡す。彼女はそこに書かれている文字を一読した途端、目覚めの悪い顔を更にゆがめて醜女面をした。
「なぜこんなことを?」
「先輩の素行調査だよ」
「・・・・・・お前、また厄介なことに拘わろうとしているな」
「大丈夫。今度は一ヶ月前のときのように死にかけるようなことはないよ」
「はあ。お前という奴は本当に」
七瀬ちゃんは徒に頭を掻く。指の腹で押し込むように、がしがしと頭を掻くのは、どうやら七瀬ちゃんが困ったことに直面したときの癖らしい。
つまり七瀬ちゃん絶賛困惑中というわけだ。
「しょうがない。やってやる」
が、流石は僕の心の友。唯一の親友。
渋々ながら了承してくれた。
「だがな、危険なことはするなよ。なんだかお前、以前より尚濃密に女難の相が出てる。それになんというか、あの一ヶ月前みたく、死相じみたものも見える」
「ははは。流石にもう首を切断されるような憂き目には遭わないさ」
僕はコロコロと笑う。
今度ばかりは死にかけはしないし、幽体離脱のようなことも起きよう筈もない。
自分の死体を見下ろしながら、妄想読者にモノローグなどを蕩々語り、一切合切を縷々と騙り尽くすようなことはあるはずもない。
あってたまるか。もし二度目も起きたら、三度目も置きかねないじゃないか。
「それにしても、その袋はなんだ」
僕が脳内でひとり愚痴を唱えていると、七瀬ちゃんは僕の机の横に垂れ下げられているコンビニエンスストアの袋をめざとく見つけた。
「ああこれかい?」
僕は袋の中から、ヨーグルトやバナナ、ゼリー飲料などを取り出してみせる。
「これは勿論、先輩の餌付けさ」
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