第二章 度し難いほどのラブコメ

度し難いほどのラブコメ(1)

 コメディとは何たるか。

 十人十色ある定義を、笑いの素養もない僕が提起するのも可笑しな話であるけれど、それでも抽象的な観念を自分に落とし込むためには、少なからず自分の言葉で枠組をつくることが理解の一助となると奮起し、ない頭を絞って考えてみたことがある。

 そして出た結論というのが、これだ。


 『コメディとは当事者間はシリアスな状況であるのに、傍観者から俯瞰すれば滑稽にみえる物語群』である。鵲鷹臣(学生)


 その定義でいえば、僕はコメディの住人ではなかろうか。

 というのも、僕の状況は朝の一件以来、実にシリアスな状況になっていた。


 ここで数例をあげてみよう。

 一限目のおわり。トイレに向かうと、ふと足音がダブって聞こえたのだ。

 僕は恐る恐る振り返る。

 すると十メートルほど先に見覚えのある女学生が立っていた。


 二時限目、こめかみを刺すような視線を覚えて振り返れば、遠くから既視感のある女学生の先輩が双眼鏡で覗いていた。


 三時限目がおわり、次の移動教室に向かおうと階段の手前までくると、曲がり角で女学生のスカートの裾が垣間見えていた。ためしに上履きを通り投げると、放物線を描いて投げられた僕の上履きが、見覚えのあるナイフによって刺し貫かれた。

「ち」

 し損じた暗殺者は舌打ちをして、律儀にこちらに上履きを投げ返した。僕は彼女に礼をいうと、そそくさと別のルートに変えた。


 で、四時限目をおえて昼休み。

 先輩は例に漏れず、階段近くの死角で律儀にアンプッシュしていた。昼飯時とあって焼いたパンの耳をもすもすと頬張る先輩は、その攻撃性を覗けば、実に愛らしい。

 なにより遠回りして、下の階から回り込んできた僕に気づかないところとか、すごく可愛い。計画性の荒さとか、待ち伏せ場所を変えないところとか、阿呆可愛い。


「精が出ますね」

「──っ!? う、ぐう」

 背後から声を掛けると、先輩は驚いた拍子にパンを喉につっかえた。僕は食堂で買ってきた牛乳を開けると楚々と差し出す。先輩は勢いよく飲み干すと、牛乳髭を腕で拭って、ふう、という。


「誰かに言った?」

「いえ。これといってなにも」

「嘘ではないでしょうね」

 先輩はすかさずポケットから凶器を取り出す。だが、その拍子にパンの耳もこぼれ落ちそうになる。・・・・・・いや、ポッケにパンの耳入れるなよ。


「・・・・・・もし言ったら」

「言いませんよ。言うつもりもない」

「信じられない」

「じゃあ、どうしたら信じてもらえます?」

「そうね。なら要求はひとつ。社会調査研究部に入部しなさい」


 僕は耳を疑った。

 先輩のことだから、一に殺す。二に誅す。三、四がなくて五に殺戮とうそぶくかと思いきや、まるで健常な精神の持ち主のようなことをいう。

「で、どうなの。入るの」

「ええ。はい」

 ひどい肩透かしだった。先輩は茫然とする僕をおいて踵を返した。

「それじゃ放課後、部室で」

 先輩はそういって、そそくさと去って行った。

 


 さて放課後である。

 荷物をまとめ、七瀬ちゃんと帰りの雑談タイムを堪能し、食堂でお茶を嗜みつつ、トイレで毛先をいじくったあとに社会調査研究部の部室に向かうと、扉の前で金剛力士像も裸足で逃げ出すような憤怒の形相をたたえた上級生が仁王立ちしていた。

 両脚はリズミカルに廊下を叩き、今にも踏み抜きそうな強さである。

「ご機嫌麗しゅう、先輩」

「ええ。最高の気分よ。いまなら怒りで世界も滅ぼせそう」

 大層ご立腹な様子である。

 僕は食堂で買ってきた唐揚げワンパック(紙コップにぎゅうぎゅうに詰め込まれた唐揚げ六ピース。しかも百円。素晴らしいかな、学生価格)を、この怒れる先輩に奉じると、彼女はひったくるようにとって飲み物のように唐揚げを呷った。


 もぎゅもぎゅと咀嚼すること一分余り。

 いまだ穏やかではない先輩に未開封のお茶を差し出して、暫く。

 ようやく顔に宿った剣呑さが薄れると、先輩はすっと手の平をだした。


「なるほど」

 僕は頷き、その手に〝お手〟をした。

 パン。

 と、払われ、更に叩かれた。どうやらご所望とは違うらしい。

「携帯を出しなさい」

 先輩は有無も言わさず命令する。特に拒否する理由もなく携帯を預けた。

「次に部室に入りなさい」

 僕は何も疑わず部室に入る。

「今度は窓側へ行きなさい」

 扉の前で先輩は奥を指さす。僕は特に何も考えず部屋の奥に立つ。

「次は何をすれば?」

 僕がそう聞くと、先輩はにっこりと笑い、柱に叩きつける如き勢いで扉を閉めた。


 ドンと扉が打ちつける。そして掛け金をかけ、ガチャリと南京錠が噛み合う鈍い金音が鳴る。

「あー、先輩。これはどんな冗談で?」

「冗談? まさか。私はいつだって本気だけど」

 どこか弾むような声色は、間抜けな少年を檻に入れることが出来た達成感か。だがその少女らしい喜色はすぐに地に落ちて、冷めた声が扉越しからしみでる。


「これから貴方に身を以て教えることにした。私に逆らえばどうなるか」

 先輩はいう。時折金属の擦れる音がするのは、掛け金に垂れ下がっている南京錠を指先で弄んでいるからだろう。

「これは手始めで、尤も優しい手段。これから二日間余り、この部室棟の三階には誰も来ない。運が良ければ誰かに気づいてもらえるかもしれないけど、部室棟を使っている文化部の人達には期待しないことね。この部室棟、部員達からは倉庫程度しか思われてないから。存外、来ないのよ。埃っぽくて古臭い部室棟より空調の効いた室内のほうがいいものね。ここ携帯の電波感度もちょっと悪くなるし」

 まあ私は好きだけど、と言って、先輩は踵を返す。

 廊下を軋ませる足音は段々と遠くなっていく。


「先輩、ひとつだけ良いですか」

 僕は呼び止める。

 ひとつだけ、そうことわったのが効をなしたらしい。去って行く足音が一端止まった。


「何?」

「えーと。お腹減ったんで、菓子パンと牛乳買ってきてください」

 僕は冗談をぶつけると、遠くから微かに鼻で笑う音がした。

「大丈夫よ。二日間食べなくても、案外どうにでもなるから」

 そういって先輩は本当に部室棟から去って行った。

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