度し難いほどのラブコメ(2)

「お早う御座います。先輩。素敵な朝ですね」

「・・・・・・オハヨウ」


 二日明けた月曜日。

 薄青の空の下、僕は先輩の背中に声をかけた。

 先輩は正門の前でビクンと立ち止まり、油を差してない錆びた機械のように首を廻して、その鋭い三白眼で僕の頭から爪先まで見回した。まるで幽霊をみたような顔をしているが、どうしたのだろうか? 何かあったら相談して欲しいものだ。


「ところで先輩、今日は快晴ですが、午後から天気が崩れるらしいですよ。傘持ってきましたか? またずぶ濡れになるつもりですか? 僕は持って来ましたよ。何事も備えがあれば憂いなしですからね。そういえば昨夜の深夜の日曜劇場ご覧になられましたか。シュワルツェネッガーが妊娠する、あの──」

 と、あのハリウッドのタフガイ・アーノルド・シュワルツェネッガーの出産シーンが拝める『ジュニア』について熱く語ろうとしてた僕の右腕を、先輩は掴むと逆巻く風のような荒々しさで掴んで、校舎脇の職員駐車場の影まで引っ張り込むと、もはやトレードマークのように思えてきたアーミーナイフを、これまた惚れ惚れするような手際で抜きだして、ちょっとばかりカミソリ負けした僕の顎に突きつけた。


「どういうこと!」

「だから傘持ってきたかなあ、って」

「そうじゃないでしょう。なんで貴方が普通に登校してるの!」

「はあ。それはまあ、あの日、普通に帰宅しましたから」

「どうやって!」

「排水溝を伝って」

 僕は遠くを指さした。

 二階立ての立体駐車場の奥からみえる部室棟。その三階奥の角部屋の近くには屋根の雨樋を地面に流す白い排水溝が伸びている。

 また部室の窓は開いており、そこから外へカーテンがもろびでてひらめいていた。


「一応、カーテンを掴みつつ排水溝まで手を伸ばして、あとはそのまま排水溝を支える留め具に足をかけつつ、ゆっくり降りました」

「手を滑らしたら死ぬでしょう!」

 ナイフを突きつける先輩に死んでも言われたくないが、案外、人間とは矛盾している生き物なのだ。ここは目を瞑るとしよう。

「それに三階から落ちたところで死ぬ可能性はそこまで高くないですよ。下に植え込みもありますし。おそらく下半身から落ちますから、複雑骨折が妥当なところかと」

 部室棟の周りには様々な植物、それも珍しいものが植生していた。おもに西洋の香草が多いのは、むかしカトリックの教導校だった頃の名残だ。聖書で語れられる見慣れない植物が部室棟を取り巻くように植えられている。


 先輩も一応の納得はしたのだろう。

 だが、突きつけるナイフの距離は変わらない。

「誰かに話した?」

「何も話しちゃいませんよ。監禁特殊プレイも。先輩のヌードスキャンダルも」

「そう」

 先輩はようやく手を緩める。

 だが、ふうと気を抜いた途端、先輩は瞬時に屈み込むと素早く足を払った。

 武道の心得があるのだろう。気持ちよいほど足払いが決まり、空中にぴんっと横になったと思った途端、背中に衝撃が走った。


 チカチカと白滅する視界のなかで、先輩はゆっくりと腰をかがめてアーミーナイフを首下に近づけた。

「私の意に反したら殺す。いい?」

「勿論、仰せのままに」

 僕は仰向けのまま、先輩に敬礼する。

 するとタイミング良く始業五分前を告げるチャイムが鳴った。

 僕等はチャイムが鳴り終わると、各々校舎に入っていった。

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