取り返しのつかないラブコメ(3)
「妖怪見たことある?」
僕は雨粒のついた傘を振りながら、濡れ鼠の友人に訊いてみる。
「何を言い出すかと思えば」
七瀬名波(ななせななみ)は頭や顔を拭って濡れきったハンドタオルを絞りながら、これ見よがしに嘆息して見せた。彼女は絞ったタオルで、ひとしきり学生服にまとわりついている滴を払うと、愚問とばかりに言い放つ。
「あるに決まっておるだろう」
「どんな形状してた?」
「ヒトガタよ。ヒトガタ。人の言葉を話すくせに、どこか人とズレている。とても抜けている様に見えて、抜け目など一つもない。ズケズケして、ずかずかと他人の地雷原を渡り歩く、厄介な妖怪の類いだ」
「類い? 主観的とか前衛的とか。主観や前衛だと断言することは出来ないけど、ニアイコールで結ばれている、永遠に一番手になれない二番手みたいな奴?」
「自分のことを言われていると分かっていながら、胡乱な言葉で煙にまく奴」
「へー」
僕は傘に雨粒防止ビニールを被せながら、ぬるい返事をかえす。
「それで」
「それでとは?」
「オレの知っている妖怪は用が無いときには韜晦しない。相手に期待させて、その気にさせて、話を差し向けようとする。カササギが何かを隠すときは、何かを探して欲しいときに他ならない。つまり面倒くさい彼女みたいなムーブだ」
流石は七瀬ちゃん。一ヶ月前の連続クラス消失事件で、僕の親友として信頼を勝ち取った彼女は、僕という生き物を僕以上に知悉している。
「それではダーリン、ひとつ訊きたいのだけど、あそこで濡れ鼠になっている先輩に見覚えや聞き覚え、触り覚えや障り覚えはあるかい?」
僕は雨で薄暗い校舎のなか、花の錬鉄細工で彩られた螺旋階段を指さした。最上階まで伸びている階段は頭上から採光が取れるように設計されており、雨天の空でも僅かばかり差し込む自然光が階段の周りを照らしている。
そんな優しげなスポットライトに照らされた階段を、水も滴るいい女が、ぐちゅ、ぐじゅ、とすこぶる水気の多い音を滴らせながら登っているところだった。
七瀬は彼女を見て取ると、納得したように頷いた。
「なるほど。あれならば妖怪だ。あれほどの濡れ女、我が校にはおるまい。いやしかし、もう新入生として一ヶ月余りを過ごし、所属する部活に頭を悩ませる時期にもなって、今日まで彼女ほどの有名人を見て聞いて触れず障らずに生きていたことが、いかにもキサマらしい」
「いや、見てはいたんだよ。むしろ、あだ名まである」
「彼女に自前のあだ名をつける辺り、なるほど、本当に彼女の噂すら知らないらしいな」
「へえ、すでにあるのかい」
「幅広く認知されている」
南無南無と半掌を立てる七瀬ちゃん。
「その名を〝ころう先輩〟と」
「ころう? それはどう字を取るんだい」
「さて」
「さて?」
「ひとり狼とかいて孤狼と言われたら納得するし、虎や狼のような猛獣という意図での虎狼だと言われれば頷く。凝り性の凝ろうだったとしても、うん、まあそれでも意味が通らないワケじゃない。また虚言を弄するという意味で、虚弄であるという少数説も根強い支持がある」
「つまり知らないと」
「つまりどれも正解なのだよ」
阿弥陀阿弥陀と合掌して拝む七瀬ちゃん。
「他者を寄せ付けない雰囲気は孤狼先輩と呼ぶに相応しく、その容姿の良さからATフィールドを超えて関わろうとしたうつけ者には血の制裁を受けた多数の犠牲者報告がある点で虎狼先輩であるというのは尤もで、なにやら学校の用具をどこかに集積して基地を作っているらしいと言う点では凝ろう先輩と呼ぶに値し、また虚言を弄するところ、アップルの筆頭株主云々、血統は有栖川宮の血筋である匆々、バレるや否や家族に虐待されていると喚いて児童相談所に怒鳴り込む等々、その虚言癖はさながら夢野久作著『少女地獄』のユリ子に比肩するというから虚弄先輩でも合点がいく」
「素晴らしいな」
「そう素晴らしく悪質だ。齢は我々と一つしか違わないというのに、これ程までに堂に入った偏屈で偏執はそう居まい。学生の悪事など所詮は現実逃避の大人の飯事というのに、彼女に到っては奇人変人界で一廉の人物だと言えるだろう」
「称賛するねえ」
「感嘆すらしている。──そんな彼女に、またオレが一廉の変人と太鼓判を押しているカササギが関わろうとしているのだから実に剣呑である」
七瀬ちゃんはえんがちょえんがちょと唱えながら、懐から取り出した紫紺の数珠を両手に掛けて、忙しく手で印を結ぶ。
「喝ッ」
今し方、螺旋階段をのぼりきったコロウ先輩の後ろ姿を眺めていた僕にむけて、七瀬ちゃんは拳を突きつける。数珠についていた梵天房がぺちりと鼻先に当たる。
「女難の相がでておるぞ」
「凄い。当たってるよ七瀬ちゃん。今、寺生まれでもないのに数珠を常備している一人称オレの不思議系美少女に搦まれている」
「それもかなり悪質だ」
「僕もそう思う」
「だから部活は、これからオレの作る七識仏密曼荼羅真理部に入るべきだ」
「あ。思った以上に悪質なやつだ」
悪質な宗教勧誘だ。
「ついでに、この紫紺の数珠も買うべきだ」
「悪徳な商法だ」
「時価総額三万円だ」
「悪辣な値段だ」
「あとオレとペアだ」
「即決だ」
ということで、僕は七瀬ちゃんから紫紺の数珠を二十四回払いで購入を決定。
僕をいとも簡単に釣り上げたことで、春爛漫の桜を彷彿とさせる満面の笑みを浮かべる七瀬ちゃんに、今月の支払い額の一二五○円を支払うと律儀に領収書を切ってくれた。
宛名は鴨。但し書きは友人関係拘束費。
どうやら、僕は数珠の代金にかこつけてお友達料を払わされるらしい。
まあいい。七瀬ちゃんと二年間友人で居られ続けられるなら三万円など、携帯会社より随分良心的なのだ。
「で、どうする。オレの部活に入らんか?」
「ああ、それなら悪いけど、もう決めてるんだよ」
僕は遠慮する。
「むむむ。それはどこの部活だ。事と次第に、オレの新入部員を奪った咎をもって、焼き討ちにしてやる」
「一度も七瀬ちゃんの七識仏密曼荼羅真理部に加入した覚えないけどね」
そう断ってから、僕は部活棟をさした。
「社会調査研究部だよ」
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