第50話 女子高生たちは生き残る

 彼女がクラウチングスタートの体勢をとった時点で、すでに割れんばかりの歓声が上がった。高校三年、女子陸上全国大会の会場はその瞬間まさに彼女ひとりのためのステージだった。

 柚木雛ゆずき ひなは静かに息を吐き、ピストル音と共に一歩目から地面を大きく蹴り上げる。あとはゴールにおもいきり飛び込むだけだ。

「ひなぁ――っ!!!」

 観客席で、自分の名前を叫ぶ幼馴染の姿を視界の端で映しながら、彼女は勝利の笑みを浮かべた。




 それが、今よりたった数ヶ月前の話である。

 その日もいつもと変わらぬ昼下がり、三年生は午後からの授業はなく、柚木 雛はいつも通り屋上の塔屋でぼんやりと空を眺めていた。

 今頃校舎内では一年生と二年生がせっせと勉学に励み、レベルのお高い進学を希望している三年生は特別講義室にてお受験勉強の追い込み真っ最中だろう。

 雛はというと、実のところ何もする気が起こらずこうしてサボっているわけだが。


「あ、またここにいた」


 足もとから声がして視線を下ろすと、そこには幼馴染の天乃宮薫子あまのみや かおるこが軽く手を振り、雛もそれに返すよう手を挙げた。

 薫子とは幼稚園の頃からの腐れ縁……というと本人がむっと頬を膨らませるので大親友、が正解だ。家が同じマンションで、雛は7階、薫子は14階に住んでいる。物心ついた時にはいつも二人は一緒だった。

「うん、しょ、よいしょ……」

 薫子も梯子を登り塔屋までくると、何も言わず雛の隣に腰を下ろす。

「雛はここ好きだよね」

「まあね〜」

 彼女たちの通う私立聖エーデル女子学院は近隣では有名なお嬢様学校であった。

 中高一貫で全校生徒は千人をかるく超え、白を基調としピンクのリボンが胸元で揺れる愛らしいセーラー服と近代風と異国風の混ざり合ったオシャレな校舎はまさに女子の憧れ。そして何よりも充実した設備。広い階段教室にカフェテラス、さまざまな催しの楽しめる三階建ての吹き抜けがある大ホールに、屋上にはソーラーパネルと菜園。

 たかが学生にという意見もあるが、教育に大切なのは環境であるをモットーに聖エーデル女子学院に通う生徒たちは皆清く正しく美しく平穏な日々を送っていた。


「だとしてもそろそろ先生に怒られるんじゃない?」

 薫子が小さく肩を竦める。

 しかしサボっていることを咎めないのは大親友の事情を知っているからで、雛は全国大会で優勝し部活を引退してから、ぼんやりと過ごす日が増えていた。おそらくは燃え尽き症候群と呼ばれるものなのだろう、と彼女は考えている。

 しかしそのせいで進路も何も考えておりませんというのは少々、いやかなーりまずいのだが。


「こ~~んな天気の良い日にさあ、ちまちま受験なんてやってられないよー」

「そうかもだけどさー」


 二人してごろんと大の字になって空を仰ぎ、目を瞑る。そよそよと風が気持ち良かった。


「卒業したら、みんなとも離れちゃうんだね……」


 雛の声は寂しげで、薫子も「……うん、そうだね」とだけ返す。六年間いろいろなことがあった。初めて出会った頃の同級生たちは皆まだまだランドセルを下ろしたばかり子供だったのに、あと二年と少しで大人の仲間入りだ。


「かおるんは進路どうするの?」

「んー……私は進学。来月試験だよ。ほら、前言った国立大」

「頭いいもんなあ〜〜いいなあ〜~〜〜」

「雛だって普通に勉強できるじゃない……やる気出したら一位とれちゃうくせに」

「昔のことだよ忘れてけれ〜〜」


 きっともう、こうやって空を見上げながらゆるーく話をする時間もなくなってしまうのだろう。そう思うと底知れぬ寂しさが溢れてきて、雛は何もする気になれなかった。いや、それにそもそも。


「…………あれ?」


 薫子の声に、雛は瞼を開ける。

「どうしたの?」

「うん。あそこ、ほら。煙が出てる」

 そう言って彼女が指差す方向、街中の、ビルで遮られていてよくわからないがたしかに黒い煙が上がっていた。

「火事かな……にしては」



 ドン!!!!!!!!!



 突然響いた爆発音に二人は「ひゃあ!?」と揃って跳ね起きた。それに呼応するように次々と街の方から衝突音と悲鳴が聞こえてくる。

 事故だ──と二人は思った。

 しかしその考えは瞬時に否定される。

 屋上の、さらに高い位置にある塔屋にいたからこそこの時点でを見える位置にいたことが、何よりも幸運であったのだろう。

 通りで逃げ惑う人々。

 それを追いかけ、喰らうおぞましい人間……のようなものに。


「ねえ……ねえ、かおるん……あれ、アレ何?」

「何って……そんな、の……」


 遠目だが、アレがかなりヤバイものだってことははっきりと理解できた。そしてアレが二人ともそれなりに知っている、ホラー映画やゲームでおなじみのアレにあまりにも似過ぎていることにも。



「…………ゾンビ、だ」



 どちらともが、互いに聞かせるわけでもないか細い声でその名を口にした。



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