鬼の慟哭

 長親ながちかが帰ってからしばらくして、俺は柚葉ゆずはたちの家に戻った。慎重に確認したが、どうやら警察はいないらしい。部屋に入ると、誰もいないようだった。どうやら長親がうまくやってくれているようだ。俺は居間のソファに腰掛けてそのときを待った。


 玄関が開く音が聞こえ、ゆっくりとした足取りで居間に入ってくる人影があった。

「おやっ、ジョウ君じゃないか」

 俺がいることに少なからず驚いたようだ。この人を驚かせることができるとは珍しい体験をしたものだ。かえでさんはその驚きもすでに忘れてしまったかのように向かいのソファにゴロリと横になった。

 しばらくの沈黙を破ったのは楓さんのほうだった。

「ミズキは逝ったようだね」

 楓さんが六条ろくじょう先生のことを名前で呼ぶのを初めて聞いた。眷属けんぞくであると、主の死がわかるのだろうか、楓さんは自分が陥れた相手を懐かしむような顔をした。

「六条先生は消えてしまいました。楓さんは満足ですか」

 そう言っても、楓さんの表情に変化はない。どこか遠くを見ているようで感情を読み取ることはできなかった。

「満足なものか。私は親友を失ってしまった。まったくもって残念で仕方がないよ」

「じゃあ、どうしてこんなことを!」

 叫ぶ俺に向かって、楓さんはしかめ面を見せた。

「君はどうやら、私がミズキを殺したがっていると思っているようだけどそれは違う」

「でも、実際――」

「私が殺したいのはね、ジョウ君、君だよ」

 冷たいナイフを首筋に当てられたような気がした。

「どうして……」

 困惑する俺をじっと見つめながら、楓さんは俺の問いに答えだした。

「そうだね。君の両親の話をしようか」

 楓さんは話の内容を思い出そうとしたのかしばらくの間、目をつむった。

「君の両親は結婚を反対されて、神島に来た。それは知っているかな?」

 俺はこくりと頷いた。父の日記に書いていることが事実ならそのとおりである。

「二人は私の父の家、つまりここに住んでいたらしいのだがね、神島にきてすぐに子供ができていることがわかった。それはもちろん君のことではない。君が生まれるよりも七年前の話だ」

 ――なんだって。

 楓さんはすらすらと話を進めていくが、俺は理解が追いつかなかった。

「君の母親は体が弱かったが、それでもなんとかその子を産んだよ。だが、その子は難病にかかっていた」

 ――難病。その単語に嫌な予感がした。

「それでも、しばらくは親子仲良く暮らしたよ。ところがだ、その子が七歳になる頃に両親は姿を消してしまったのだよ。その子は伯父の養子になったが、両親のことを嘆いて体と心の両方を病んでいった。病院のベッドで死ぬほど苦しんでいたある日、窓辺に座る少女に出会った。君も知ってのとおり、その少女がミズキだ。そして、その悲劇の子供の名前は楓という。つまり私と君は実の姉弟ということだよ」

 柚葉と俺がいとこだとわかったときも驚いたが、今回はその比ではなかった。桐子は両親が神島にいたのは七、八年だと言っていたが、その間に子供がいたとまでは知らなかったのだろうか。俺の驚きにも興味がないのか楓さんは淡々と話を続けた。

「元気になった私は今の両親と仲良く暮らしたさ。本当の両親のことなど忘れるぐらい幸せだったとも。だが、ある日あの男は戻ってきた。あの男は狂ったように君の故郷での出来事を話したよ。そうして私は実の両親に君という子供がいることを知った。そして、母親が君を愛し死んでいったことも。私は正気ではいられなくなってね、今の幸せが偽物じゃないかと思うようになったんだよ」

 ――なるほど。

「だから柚葉の両親を殺したんですか」

 楓さんは初めて表情を変えた。

「なぜ、それが分かったのかな。誰にも言っていないことだったのだけれど」

 できれば否定してほしかった。俺の予想なんて大外れだといつもの大げさな言い回しで吹っ飛ばしてほしかった。

「柚葉の記憶を見たんです。ご両親の葬式であなたの顔は愉悦に歪んでいた」

「くくく、まさにそのとおりだ。五年ほど経ったころだろうか、君の父親を殺したことが両親にバレてしまってね。どうも、行方不明になった弟について、柚葉の父は調べていたらしい。こりゃ困ったってことで車のブレーキに細工をしたのだよ。君は心を操る鬼だったね。私にもその力が欲しかったものだよ。そうすれば、こんな面倒なことをせずに済んだのにね」

 ――ガシャン!

 部屋の外で大きな物音がした。すぐにドアを開けると、そこには真っ青になった柚葉がいた。なぜだ。柚葉は長親に頼んで、病院へ行かせたはずなのに。楓さんはわかっていたのか、まったく柚葉の方を見なかった。

「お姉ちゃん……パパとママは事故で死んだんじゃなかったの?」

 柚葉は楓さんに詰め寄ったが、楓さんは表情を変えないどころか、微笑を浮かべている。

「柚、君にだけは私を責める権利がある。そう、私が君の両親を殺した」

 柚葉は体を震わせて、むせび泣いた。

「どうして……あんなに仲良かったじゃない」

 楓さんは立ち上がり、柚葉の肩に手を置こうとしたが、柚葉はそれを払いのけた。

「触らないで! パパとママを殺した手で触らないでよ!」

 柚葉の激昂に楓さんはやれやれと手をあげた。

「なぜ殺してしまったのかは私にもわからないよ。もう私は普通の人ではいられなかった。そう、それこそ鬼のようになってしまったのかもしれないね」

 楓さんはまたソファに戻って、目を閉じた。柚葉の泣き声だけが聞こえる。できれば耳を塞いでいたかった。だが、まだまだ楓さんには聞くことがある。

「俺の命もずっと狙っていたんですか」

「いや、この家に君をかくまったのは君が異形だという話を聞いたからさ。私には鼻が効く眷属がいてね」

 ――爪崎のことか。やはり楓さんと爪崎は繋がっていた。爪崎が実行犯である可能性が高い。

「君が例の弟だとわかったのは桐子さんが持ってきた父の写真を見たときさ。あれは衝撃的だった。あのとき以来、私は君の幸せを壊すことだけを考えた」

 桐子さんは楽しそうに表情をころころと変えだした。

「それで桐ねぇを殺したんですね」

「それだけではないがね。桐子さんは真実に近づきつつあった。あまりに優秀であまりに危険な存在となったのでね、君への警告の意味も含めて殺したのだよ。そのときミズキに罪をなすりつけようと思いついた」

 桐子の本当のかたきが目の前にいる。俺は体が熱くなっていくのを感じた。

「そして警察に俺を殺させようとした」

 ビンゴだと言って、楓さんは指を鳴らした。

「ただ単に君が鬼だと主張したところでどうにもならない。君が鬼という存在だということを証明する必要があった。だからミズキと争ってもらったんだよ。その場を警察が見れば、さすがに言い逃れはできないだろう。しかし、ミズキがこれほど生徒思いだったことは計算外だったがね」

 そう言うと楓さんはゆっくりと立ち上がった。

「私は君の幸せを壊すことに快楽すら覚えているのだよ。だから桜という子も殺してあげようと思った。どうやら失敗したようだけれどね。そして、あと君の幸せといえば……」

 楓さんがドアを素早く開けるとそこには涼宮すずみや先生と長親の姿があった。

「あとはこの二人と……そうだね、悲しいけれど柚葉を殺してあげると君は壊れるだろうか」

 ――やめろ。やめてくれ。

 俺は楓さんに飛びかかって首を締めた。楓さんは苦しそうな顔もしなかった。ただ何もかも諦めたような儚げな目で俺を見つめていた。ああ、俺は姉を殺してしまうのだなと心のどこかで囁く声が聞こえる。

「やめて! ジョー君、お願い。お姉ちゃんを殺さないで……」

 俺の手に柚葉はすがりついた。俺はそれでも力を緩めなかった。

「お願い……お姉ちゃんが殺されるのも、ジョー君が人殺しになることも見たくないの」

 ――自分を見失いそうなときには大切な人を心にとめておきなさい

 俺は楓さんの首から手を離した。楓さんは咳をしながらその場に崩れ落ちた。

「ふふふ、殺してもらう作戦も失敗だね。まったく私は何をやってもだめみたいだ」

 自嘲している楓さんを見ることができなかった。ただ一言だけ伝えたかった。

「俺だって、本当の姉を殺したくなんてない……」

 その言葉を聞いた楓さんは爆笑した。

「いやー笑った、笑った。殺されそうになった相手をまだ姉扱いしてくれるとはね。そうかい、姉か。私にもその人生があったのかもしれないね。かわいい弟と妹を守るっていうのも姉冥利につきるってもんじゃないか」

 そう言うと同時に楓さんは俺と柚葉を押し倒した。突然どうしたのかと驚いていると、窓を割って銃撃音が聞こえた。

「先生! 長親! 逃げろ! 逃げるんだ!」

 銃撃は俺たちの方に集中しているようだ。涼宮先生と長親が無事に逃げきることを信じて、精一杯声を張り上げた。

 しばらく経つと銃撃が終わった。手や足を掠めただけで済んだようだ。

「ジョウ君……無事かい?」

 楓さんの消え入るような声が聞こえた。

「無事です! 楓さんは?」

 楓さんは微笑んだ。その口元からは血が流れている。

「私はどうやらだめなようだ。まったく最後まで格好のつかない姉ですまないね」

 抱き起こそうとした手を楓さんは止めた。

「私のことは諦めてくれたまえ。そのかわり、そのかわりに柚葉を……」

 ――そうだ柚葉!

 柚葉は倒れたまま動かない。床に血が広がっていく。呼吸を確かめるとまだ息はしているようだ。

なんとか止血をしようとしたとき背中から声をかけられた。

じょう君、投降しなさい。もう君は逃げられない」

 俺は丘山おかやまさんの言葉を無視して、柚葉の止血を急いだ。そんな俺の足元に銃弾が弾けとんだ。

「その子も助けてあげようじゃないか。だから投降しなさ――」

 警告を続けようとした丘山さんの足を楓さんが掴んだ。丘山さんはそれを何気なく見ると、楓さんの額に銃弾を打ち込んだ。

 楓さんの顔がゆっくりと倒れる。その目にはもう人をからかうような光はない。楓さんの体が光に包まれる。美しいと思えるほどの光が……。

――いかないでくれ。

俺は楓さんを必死で捕まえようとした。しかし、楓さんの体は六条先生と同じように弾けてきらきらと舞い上がった。

――楓……ねえさん。

「うああああああああああっ!」

 俺は哭いた。体が膨張していくのがわかる。それに気づいた丘山さんは銃口を俺に向けて叫んだ。

「う、撃て! 撃て!」

 無数の銃弾が俺の体に浴びせられる。しかし、すべてを弾き返した。俺の体はもう完全に鬼と化しているのだろう。丘山さんの青ざめた顔が見えた。

 ――こいつだ。いや、こいつらが楓さんを殺した。

 俺は信じられないスピードで走り、部隊を襲った。面白いように人が吹っ飛び、手足、首が千切れていく。もはや原型をとどめないものもあった。阿鼻叫喚の中、俺は冷静だった。それでも俺は自分を止めようとは思わなかった。

 しばらく暴れまわると銃声一発しなくなった。たった一人、尻もちをついて俺を見上げている丘山さんがいた。

「ば、ばけものがっ」

 そう言って、丘山さんは拳銃を取り出した。俺は瞬時にその首を吹き飛ばした。首の切断面から勢い良く血が吹き出し、丘山さんの体ががゆっくりと倒れていく様を俺は眺めていた。

「ジョー君……」

 ――柚葉。

 柚葉の声に俺は駆け寄ったが途中で足が動かなくなった。柚葉は鬼となった俺を見て、何と言うだろうか。かつて桜に言われた言葉を思い出す。柚葉の顔を見ることができない。柚葉はもう一度俺に呼びかけた。

「ジョー君。こっちに来て……」

 言われるまま俺は柚葉の傍らに座った。

「お姉ちゃんは?」

 柚葉は顔を左右に動かした後、俺の顔を見た。

「消えてしまった。助けられなかったよ……」

「そっか……それでジョー君そんなに悲しい顔をしているんだね」

 俺の顔はいつもの顔とは違うはずだ。

「俺のことが怖くないのか?」

 そう言うと柚葉は微笑んだ。

「怖くないよ。ジョー君のことはずっと前からわかってたもの。文化祭の劇でジョー君とキスをしたときにね、色んな記憶が見えたの。楽しい記憶、悲しい記憶、本当に色々。これはジョー君の記憶と気持ちだってすぐにわかったよ。あんなに優しい気持ちはきっとジョー君のものだって。鬼の記憶もそのときに見ちゃったの。ごめんね。でも全然怖くなかった。だけど悲しかったなあ……」

「なんで……?」

「ジョー君が苦しがってるのに私は何にもできないんだなって思うと、すごく悲しかったし悔しかった」

「柚葉は俺に夢をくれたじゃないか。ほら、あのハンカチを覚えているか? あれを巻いてくれたとき、俺はまだ生きていていいんだって思ったんだよ」

 柚葉はあの日を思い出すかのように空中を見ていた。

「そっか、私はジョー君の役に立てたんだね。嬉しいなあ」

 柚葉の目から生気が失われていくようだった。

「ねえ、ジョー君知ってた? 私ね、ジョー君のことが大好きなの」

「いつから?」

「あの日助けてもらったときからずっと。一目惚れってことになるのかな、なんだか恥ずかしい」

「こんな俺でも好きだって言ってくれるのか」

「いつもどおりの優しいジョー君だよ。だから大好き……」

 そう言って柚葉は目を閉じた。

「柚葉! おい! 起きてくれ柚葉!」

 体を揺さぶっても柚葉は起きる気配がなかった。まだ息はしている。何とかしなくては。

 そのとき、拍手の音が聞こえた。


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