鬼の後悔

 俺が突進するのと銃声が鳴るのは同時だった。俺の手は丘山おかやまさんに届かなかった。しかし、銃弾も俺には届かなかった。銃弾が俺に届く瞬間、何かが俺を押し倒した。

「丞……大丈夫?」

 俺に覆いかぶさっている六条ろくじょう先生からか細い声が聞こえた。先生は黒い羽を目一杯広げて俺を守っていた。

「先生……」

「大丈夫そうね……よかった」

 そう言って先生は目を閉じた。

「先生!」

 力が抜けていく六条先生を抱きかかえた。温かいものが俺の体を濡らしていく。

 ――血……先生の血。

「なんで……なんでこんなことに」

 丘山さんの顔を見た。俺は情けない顔をしていたことだろう。

「どうしてか。それは君とこの女が異形いぎょうだからだ。それ以上でも以下でもない」

 それを聞いた俺の心は冷え切った。そして意識し続けた。

 ――コントロール、コントロールしろ。

「わかりました。投降します。そのかわり六条先生の命も保証してください」

 そう言うと、周囲の張り詰めた空気が和らいだのが感じられた。

「わかった、約束しよう。ではその女を渡し――」

 丘山さんがそう言って部隊の一人が近づいてきた瞬間、その銃を奪い闇雲に撃ちまくった。銃など撃ったことはないが引き金を引けば弾が出るぐらいのことはわかる。それが当たろうがどうだろうが関係なかった。時間さえ稼げればよかったのである。

 案の定、思わぬ俺の行動に警察の部隊は少し怯んだ。その隙きに六条先生を抱えて、屋上から飛び降りた。「追え!」という丘山さんの叫び声を背中で聞きながら、俺は学校を後にした。


 鬼となっていた俺はビルからビルへと飛び渡り、なんとか誰にも見られることなく港の倉庫街にたどり着いた。周囲を警戒していると、俺の腕を握る力を感じた。

「先生!」

 六条先生がうっすらと目を開いている。

「ふふ……私なんて置いていけば良かったのに、本当にお人好しね。これでは、柚葉ゆずは涼宮すずみや先生が惚れても仕方ないわ」

 冗談を言う六条先生を安心させるように微笑みかけた。

「そうです。俺はお人好しなんですよ。だから、もし先生が犯人だったとしても殺すことなんてきっとできなかった」

 屋上であれだけ湧き上がっていた殺意がなくなっていくのを感じていた。丘山さんたちから助けてもらったからだろうか。いや、ただ単純に傷つく六条先生を見ていられなかったのである。

「あれだけ殴りかかっておいてよく言うわ――ごほっ!ごほっ!」

 六条先生の傷はなかなか治らない。

「先生、喋っちゃだめです。なんとか止血しないと……」

 焦っている俺の頭を先生は優しくなでた。

「大丈夫。私は吸血鬼よ。簡単に死んだりはしないわ。ただ、このままじゃ、治るのも時間がかかりそう。申し訳ないんだけれど、あなたの血をくれないかしら」

 俺は先生の言葉に笑ってしまった。

「何を笑っているのかしら」

 先生はかなり不服そうな顔で俺を睨んだ。

「だって先生のセリフ、まるで文化祭でやった劇みたいでしたから。はははっ」

 文化祭の頃は本当に楽しかった。柚葉がいて、長親ながちかがいて、涼宮先生がいて、かえでさんがいて、そして六条先生がいた。それが今では桐子とうこを失い、さくらも生死の境目を彷徨っている。そして、目の前では六条先生が苦しんでいた。

 ――せめて、俺ができることをしなければ。

 そう思った俺は右手を先生の口元に差し出した。


 しばらく経つと先生は話ができるほどに回復した。まだ体の傷は癒えないようで起き上がることができない。

「あなたの血、なかなか美味しかったわ。さすがは鬼の一族なだけあるわね。それに以前飲ませた私の血が馴染んでいたみたい。あなたの方は大丈夫かしら」

 血が美味しかったなどと言われるのは初めての体験だったが、六条先生が元気になったことを素直に喜んだ。

「良かったです。ここは港の倉庫ですけど、しばらくは見つかることはないでしょう。ただ、これからどうしますか」

 不安そうに尋ねると、六条先生は顎に手を当てた。俺には何が起こっているのかわからなくて、今後の見通しがまったくたたなかった。

「伝えておかなければいけないことがあるわ」

 六条先生が言っていることは警察が乗り込んでくる前に言おうとしていたことであろう。今度は冷静に聞こうと思った。全部聞いてからでも判断するのは遅くない。

「あなたはこの街にいる異形は私とあなたの二人だけだと思っているようだけれど、少なくとも、もうひとりいるわ」

 猟奇殺人の犯人が六条先生でないとしたら、たしかに異形はもうひとりいることになる。先生はそのことを言っているのだろうか。

「いえ、私はひとりじゃなくて、二人はいると思っているわ。一人はあなたも知っているはずよ」

 そう言われても俺にはまるで覚えがない。困惑している俺を先生は困ったように見た。

「忘れたのかしら、私は昔、難病の少女を助けたわ。眷属けんぞくにすることでね」

 ――そうか。吸血鬼の先生が助けた少女は異形の存在となっている。その少女がまだこの街にいるというのか。

「その少女が犯人なんでしょうか」

「計画を立てたのはそうでしょうね。おそらく実行犯は別にいるわ。だから異形は他に二人いると推測したの」

 なるほど、実行犯がその少女だとすると、六条先生はとっくに見つけ出しているはずである。計画犯と実行犯がいることで、先生は足取りをつかめなかったのかもしれない。

「どうして猟奇殺人なんて起こしているんでしょうか」

「猟奇殺人自体は食事のようなものかもしれないわ。だけど、桐子さんの事件はそうじゃない。確実にあなたと私を標的にしているわ」

 猟奇殺人が食事であるという考え方は桐子もしていたことである。真犯人はそれを利用して、桐子の事件を起こしたのだろうか。

「桐ねぇが猟奇殺人を調べていたことで俺が標的になるのはわかります。だけど、どうして先生まで巻き込まれる必要があるんですか」

 俺の言葉に先生は口元を歪めた。

「巻き込まれる……か。元々、標的は私の方だったかもしれないわ。桜さんが襲撃された場所に呼び出されたことからして、あなたに私を始末させようとしたんでしょうね」

「どうして、そんな回りくどいことを……」

 先生を狙っているなら桐子を殺したり、桜を襲ったりする必要はないはずである。

「吸血鬼の眷属はね、そのあるじには逆らえないの。直接、手を下すことはできない。だから、あなたを利用することにしたのよ。私が眷属にしたことを恨んでいるのでしょう。それはそうよね、突然人から化物にされたんですもの」

 そのために、桐子たちは犠牲になったというのか。少女に対する憎しみが募っていく。

「先生はその……、助けた少女のことを今でも知っているんですか」

 先生は少し悲しそうな顔をした。

「ええ、あなたもよく知っているわ」

「え……?」

 一呼吸置いて先生は少女の名を告げた。

「……楓よ」

 凄く時間が経ったような気がしたが、もしかしたら一瞬だったかもしれない。俺はそれほど先生の言葉を信じることができなかった。それでも良いというふうに先生は続けた。

「楓を助けてから、私達は親友になったわ。いえ、なったつもりだったのは私だけかもしれない。でも、あれ以来二人は協力して、うまく社会に溶け込んだ」

 溶け込んだという表現にそれまでの二人の苦労が伺えた。今では二人とも人としての生活を確立させている。

「楓は昔、弱い子だったわ。いつも私の後ろに隠れていた。今では考えられないでしょう?」

 確かに考えられない。楓さんといえば、我が道を行く、傍若無人、そんな言葉が似合う印象である。出会ってから弱いところなど一度も見たことがない。 

「彼女が変わったのは両親が亡くなってからよ。まるで別人になったと言ってもいいわ。それでも二人の繋がりは切れることはなかった。たった一人の同族だったからかしらね」

 ――両親が亡くなったときか。文化祭で柚葉とキスをしたときに流れ込んできた映像を思い出す。二つ並んだ棺桶、そして手を優しく握ってくれた人。あれは柚葉の両親が亡くなったときの記憶であろう。なぜなら手を握ってくれた人は楓さんだった。そして、忘れられないのはその顔が笑顔で歪んでいたことだった。

「楓さんは先生に助けられたんじゃないですか。恨むなんてそんな……二人はあんなに仲が良さそうだったのに」

 俺はふざける楓さんに困っている六条先生の姿を思い浮かべた。

「そうね……楓がここまでする意味はなにかしら? 私が眷属にしたこと自体を恨んでいる? いいえ、それならもっと早く泣き言を言っていてもおかしくはないわ。ご両親が亡くなったときに何かが壊れてしまったのかもし――ごほっ!ごほっ!」

「先生! 大丈夫ですか!」

「ふふふ、せっかく血をもらったのにここまでみたいね」

 ――そんな。せっかく良くなったと思っていたのに。やっと先生のことを信じられると思ったのに。

「そんな顔をしないで。あなたのせいじゃないわ。いい、丞よく聞いて。あなたは鬼であることを嫌っているかもしれないけれど、あなたは鬼と人の心両方を持つ優しい子よ。それはとても素敵なこと。だから、自らを失いそうになったときは大切な人をその心にとめておきなさい」

 先生の目がだんだんと閉じていく。

「嫌だ、先生! 起きてくれよ! 血ならいくらでも飲んでいいからさ! ほらっ先生!」

 俺は腕を先生に差し出したが、先生にはもう見えていないようである。

「色んな人に会ってきたけど、あなたが鬼だなんてね……。鬼と人どちらが美しい心を持っているのかしら……」

 先生の体が急激に軽くなり光だした。その光はこの世のものとは思えないほど美しく、儚げだった。そしてぱっと弾けたと思ったら抱き寄せた腕には何も残っていなかった。

――先生が消えてしまった。俺は最も尊敬する人を失った。


 六条先生が消えたことに呆然としていたが、一人になってしまったことを思うと涙が止まらなかった。ひらすら泣き明かしてから俺は倉庫を出た。

 今、俺は警察と楓さん両方に狙われている。どうしたらいいのか迷っていると、電話がかかってきた。

 ――柚葉。

「もしもし」

「もしもし! ジョー君、大丈夫なの?」

 柚葉のところにも警察が行ったのだろうか。かなり慌てているようだ。

「ああ、大丈夫だ」

 俺は涙を拭いて、できるだけ気丈な声で答えた。柚葉たちにこれ以上迷惑をかけるわけにはいかない。

「長親君からジョー君が急に出ていったって聞いてたんだけど、さっき丘山さんからジョー君がどこにいるか知らないかって連絡があってね。何かあったんじゃないかって皆心配していたの」

 どうやら、俺や六条先生のことは柚葉たちには知られていないようだ。特殊部隊なんてもの自体が極秘事項である。異形がいると言っても普通の人は信じないだろう。

「楓さんはそこにいるのか」

「お姉ちゃん? お姉ちゃんなら今いないけど、桜さんが神島病院に入院してるって聞いて、出かけていったよ。ジョー君も病院にいるんじゃないの?」

 楓さんは桜を殺しに向かったのか? いや、あそこには警察が待機している。簡単に手を出すことはできないだろう。俺を釣るための行動かもしれない。どうするべきか。俺は考えた末にこれしかないと決断した。

「長親に変わってくれないか」


 俺と長親はいつかのようにこたつに向かい合って座り、コーヒーを飲んでいた。

 ここは長親のアパートの部屋である。長親に電話を変わってもらった俺は、長親にアパートまで来るように頼んだ。これは男同士の秘密だと伝えたので、どうやら誰にも言わずに出てきたらしい。

「丞、どうしたのさ。急に出かけていったと思ったら、今度は僕をここに呼び出したりして……」

 長親はなんだか今日は騒がしい日だよとそわそわしていた。

「長親、俺たち親友だよな」

 長親は即座に頷いた。とても嬉しかった。やはり長親のことは信じることができる。

「信じてもらえるかわからないが、今相談できるのはお前だけなんだ」

 そう言って、長親に今日起こったことの経緯を話した。

「六条先生が?」

 六条先生が死んで消えてしまったということを伝えると、長親は涙を流した。

「俺の言うことを信じるのか」

 長親は涙を拭いて、はっきりと頷いた。

「丞は前に僕の言うことを無条件で信じてくれたんだ。今度は僕が信じる番でしょ。だって僕たち友達じゃないか」

 長親はそう言って微笑んだ。

「で、僕は何をしたらいいんだい」

「そうだな、まずは……」


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