鬼の焦燥

 葬儀が終わって数日が過ぎ、落ち着いてきた頃にふと思い出した。

 そういえば、桐子とうこの荷物の中に資料のようなものはなく、手帳にも特に気になることは書いてなかったと丘山おかやまさんは言っていた。犯人が持ち去った可能性もあるが、こちらの家に置いているかもしれない。

 俺は何かないか探すべく、桐子の部屋へ入った。部屋の中はモノで溢れていて、資料どころではなかった。まずは片付けなければ。

 掃除を続けること数刻、古い日記のようなものが見つかった。開けてみると、ボールペンで事細かくその日あったことが書かれていた。日付を見ると、だいぶ昔のものだ。

――これが父さんの日記か。

 桐子が以前話していた日記ではないかと、ページをめくっていった。あるページに目が止まった。


『この村には心を操る鬼が住んでいるというが、まさにそのとおりである。私は彼女に一瞬で心を惹かれた。彼女と話していると、なんとも楽しく幸せな気持ちになるのである。彼女が鬼であるとしたら、鬼とはなんと心優しいものだろうか』


 これは父が母と会ったときの日記であろう。まるで、子供のように母への愛情が素直に書かれている。

「父さん、恥ずかしいこと書くなあ」

 少しこそばゆい気になりながら、さらにページをめくっていった。


『この村に足を運んで、一年になる。今日、彼女に結婚を申し込んだ。彼女はとても喜んでくれたが、少し寂しそうな顔をしていた。お父さんが許してくれないことを気にしているのかもしれない。私はそれでも彼女と一緒にいたいと思っている。いざとなれば、神島こうのしまで彼女と一緒に暮らそう』


 日記はさらに続く。


『本当に彼女と神島で暮らすことになるとは思わなかった。彼女は何の文句を言うこともなくついてきてくれた。二人を幸せにすると決めたのだ。この街で私ができるすべてをかけて、二人を守っていこう。兄貴には世話になるが、もう頼りになるのは兄貴しかいない』


 この日記は両親が神島へ移住したところまで書いてあるようだ。兄というのは柚葉ゆずはたちのお父さんのことだろう。

 内容は桐子が言っていたことと一致する。だが、どこか違和感を感じる。

 ――父さんについては進展なしか。

 次は猟奇殺人についての資料を探した。猟奇殺人についての資料はかなりの数が出てきた。まずは桐子が書いた手記のようなものを読んでみた。


『猟奇殺人と呼ばれるものは異常者が異常な理由で異常な方法をもって殺人を行うことである。その視点からいえば、今回の事件は猟奇殺人といっても良いだろう。

 人間の行う殺人は二つで区別されると考えている。感情のある殺人と感情なき殺人である。この事件の被害者に共通点がないところから、通り魔的な感情なき殺人と考えるのが普通である。もちろん、加害者にとっては殺したい欲求をぶちまけたことですっきりしたいという感情があるのかもしれないが、これほど多くの殺人を行っている時点で人間の持っている感情のブレーキは外れているのは間違いなく、その点から異常者といえる。

 ただ、これは犯人が人である場合のことである。この事件の加害者には特徴的な犯行がある。それは、人肉を食っている可能性があるということだ。被害者の遺体から唾液が検出されていることから、食べるなり舐めるなりしたことは間違いない。唾液や歯型などは大きな証拠となる。それでもそれらの行為がなされているということは、加害者は捕まることを恐れていないのだろうか。

 だが、私はこうも考える。加害者にとって、これらの犯行は食事に準ずるものなのではないだろうか。人が牛や豚を食べるときに後ろめたさを感じないように、加害者はただ食事をとっているのではないか。そうすると、加害者は人を牛や豚と同じように思っている人ではない何かである。

 そこで、その人ではない何かは異形であると私は考える。異形とはこれまで発見されていない能力を持つ存在だと思ってもらえれば良いだろう。私の専攻する民俗学では異形がいた伝承や証拠が多くみられる。その異形と総称されるものが、伝承のとおり人智の及ばない能力を持っているとしたら、この事件は猟奇的殺人というよりも、猟奇的になってしまっている殺人といえる』

 

 手記はまだまだ続いていたが、やはり桐子が犯人は異形だと考えていたことは確かだ。それからも犯人が異形であるという考えと異形の伝承や能力について書き連ねているが、最後にこう書かれていた。

 

『私は異形の存在について一つ心あたりがあるのだ』


 薄々感じていたが、桐子は俺が起こした事件を調べているうちに、俺が異形ではないかと疑っていたのだろう。神島で桐子が行った異形についての講釈は俺に聞かせていた節がある。

 殴り書きされた紙を見つけたとき、その考えは確実となった。


さくらからやっと事件のことを聞き出した。やはり異形は存在する。なんと素晴らしいことだろう』


 桐子は桜が何も話してくれないと言っていたが、桜の口を割ることに成功していたようだ。桜は独りで抱えることに限界があったのだろう。最も信頼できる桐子に話をしていてもおかしくはない。

 別の資料を見てみる。そこには新聞記事が貼られていた。新聞記事の見出しにはこう書かれている。


『妖怪の発見か。神島における警察局の謎の行動』


 記事によると、神島において警察局による何かの捜査が行われていたそうだ。その捜査を行っていた部署が妖怪や怪奇を専門とした特殊部隊であると書かれている。

 三流新聞の記事であろうが、桐子は興味を持ったようだ。


『この警察の捜査と叔母たちが村へ帰ってきた時期は近い。叔父と叔母はこの関係で警察から逃げてきたと考えるのは飛躍しすぎだろうか。

 しかし、警察局にこのような部隊があるとしたら、異形は本当にいるのかもしれない。私は心が踊って仕方ないのである。』


 両親が村へ戻ってきた理由の考察が書かれていた。

 俺が鬼の血を引いているということは両親のどちらか――母で間違いないだろう――が鬼ということだ。この記事が本当だとしたら、警察の捜査の対象になっていてもおかしくない。

 それに気づいた両親は神島を離れ、母の故郷の村へと逃げてきたのではないか。

 ――特殊部隊か。

 陳腐な響きだが、このような部隊がまだ存在しているとしたら、俺や六条ろくじょう先生も安心してはいられない。

 別の資料にはまた新聞の記事が貼られている。


『難病の少女、奇跡の復活』


『治療法がなく、まもなく死を迎えようとした神島病院に入院していた七歳の少女が一夜にして全快した。この事実に医療機関は治療法の発見に向けて、少女に研究協力を要請したが、少女と両親は断固拒否した。少女の病気が突如治った原因は謎に包まれたままとなった』


 この記事の内容に興味というより既視感を覚えた。

 ――そうだ、六条先生の記憶。

 病気で苦しんでいた少女を吸血鬼の眷属としたと言っていた。場所が神島病院ということは、六条先生が言っていた子の可能性が高い。桐子はこの事件に異質な力が加わっていると考えたのだろう。

 さらに資料を探していたとき、桜が部屋に入ってきた。

「ねえ、どうしてお姉ちゃんの部屋を片付けてるの?」

「遺品を探しているんだ。桐ねぇは俺の父さんや猟奇殺人事件のことを調べていた。何か資料がないか探してたんだよ」

「そんなの本人から聞けばいいじゃない」

 ――またか。

「桜、桐ねぇは死んだんだ。もう会うことはできない」

「何を言っているの……」

「もう一度言う。桐ねぇは死んだ。猟奇殺人に巻き込まれて死んでしまったんだ」

「嘘よ! 丞ちゃんがいなくなった後、お姉ちゃんはずっと私のそばにいてくれたんだよ。お姉ちゃんがいなくなったなんて信じられないし、耐えられない!」

 村に返ってきてから初めて桜が桐子の死について触れた。桜の正気を取り戻せるかもしれない。

「わかってる。だから今度は俺がそばにいるって言っているじゃないか」

「わかってないよ。だってじょうちゃんは一回私を置いていったじゃない!」

 桜の慟哭を黙って聞くことしかできなかった。

「誰がお姉ちゃんを殺したの」

 桜の声色が低くなる。

「まだわからない。でも俺が絶対見つけてみせる」

「わからないんだ……」

 虚脱したふうに見えた桜だったが、俺の顔を見ながら震えだした。

「そうだよ。猟奇殺人って普通の人じゃできないって言ってた。でも丞ちゃんならできるよね。丞ちゃんはあのときも普通じゃなかったもの。お姉ちゃんを殺したのって……」

 桜のたどり着いた考察はあまりに俺にとってショックなことだった。

「違う! 俺はとうねぇを殺してなんかいない! たしかに俺は人間離れした能力を持っている。だけど、それは俺だけじゃないんだ。俺も桐ねぇを殺したやつを憎んでいるんだ。だって俺たちは家族だろう。そんなことできるわけない。信じてくれよ」

 そう訴えた俺を桜は怯えたような目で見ている。俺はこの目を知っている。

 もう限界だった。俺は桜の横を通り過ぎ、自分の部屋へ閉じこもった。

 しばらくすると、電話が鳴っていることに気がついた。

「もしもし」

「丘山だが、夜分にすまないね」

 この人は俺が落ち込んでいるときに現れる。

「いえ、だけど電話をかけてくるなんて、何かあったんですか」

「実はね。君のお姉さんが神島市である男と会っていたという供述がとれたんだ」

「ある男? 誰ですか」

「名前は爪崎つめさきという。聞き覚えがあるかい」

 体が熱くなりそうなのを何とかとどめた。あいつが関わっているというのか。

「知っています。関係があるわけじゃありませんが、何回か話しかけられたことがあります」

「会ったことがあるとは驚いた。どうやら、お姉さんはその男に何かしらの調査を依頼していたらしい。爪崎は情報屋まがいのこともしていてね、桐子さんはきっとそのことを聞いたんだろう」

 怪しいやつだと思っていたが、やはりその手の仕事を生業にしていたらしい。桐子は度胸が座っている。危険だからといって、怯むことはなかっただろう。

「その男は危険です。姉が来る前から俺たちに絡んでくることがありました。危ない連中とも関わりがあると思います」

「ふむ、警察の方でも被疑者の一人として捜査しているんだが、まったく足取りがわからなくて困っているところだよ。誰かが匿っているのかもしれない。何か情報はないかい」

「いえ、話したのだって数えるほどですし」

「そうか、なんでもいいから思い出したらまた連絡をしてほしい」

「わかりました。それから柚葉たちのこと、よろしくお願いします」

「わかっている。危険な目には合わせないよ」

 そう言って、丘山さんは電話を切った。

 六条先生が桐子に協力者がいるかもしれないと言っていたのを思い出した。それが爪崎だとは思わなかったが、あいつを見つけて桐子と事件のことを聞き出す必要がある。

 爪崎のギラついた目を思い出す。あの怪しい光は危険だと本能的に感じた。協力者といっても桐子を殺したのはあいつかもしれない。必ず俺の手でやつを見つけて真相を聞き出してやる。

 その思いとともに、桜から離れる理由ができたことに安心している自分が嫌になった。


 桐子の部屋を調べた翌日、父の資料があったという納屋に行ってみたが、そこには積み重ねられた本やダンボール箱と古びた電化製品しかなかった。すでに父の資料は持ち出されているのだろう。

 神島へ帰るべく準備を進めたが、今度は桜に言っておかなければならない。

 桜の部屋に行くと、桜は一枚の写真を見ていた。そこには桜と桐子が仲良さそうに映っている。。

「桜……話がある」

 桜はこちらを振り向かない。

「お姉ちゃん、変なことばっかり言ってたけど、やっぱり優しくて綺麗だった」

 桜は桐子の死を受け入れたのだろうか。桐子との思い出を描いているようだ。

「俺はもう一度――」

「また、私を置いていくんだ」

 桜と俺は子供の頃からずっと一緒だった。お互いの考えはよくわかる。桜は桐子の死を受け入れたときから、こうなることを予感していたのかもしれない。

「桐ねぇの死と関係しているやつが神島市にいるんだ。なんとしても、捕まえて桐ねぇのことを聞き出さないといけない」

「そうなんだ……。その人が犯人なの?」

「それはまだわからない。だから調べに行きたいんだ」

「わかったよ。一つだけ約束してくれないかな」

 俺は頷いた。

「犯人だったら殺してきて」

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