鬼の血脈
ガタゴトガタゴトと列車に揺られながら、村から逃げたときのことを思い出していた。あのときもありったけの金を使い列車に乗ったはずだが、このように揺れを感じる余裕もなかったのか、記憶が曖昧である。気がついたときには
幾度か乗換え、村から一番近い駅に着くと、すぐにタクシーに乗った。バスという選択肢もあるが、桜と出かけたあの日のことをできるだけ思い出したくなかった。
しばらくして、懐かしい風景が見えてきたのでタクシーを停めてもらった。家の前まで行く予定だったが、少し村を歩いてみたいと思った。バスの数倍もするタクシー代を払い車の外に出ると、冬の空気が肺を満たした。
村は何も変わっていない。見上げる冬の空はビルに囲まれた神島のそれより広く高く感じる。変わったのは季節だけで、あれほど暑かった村の道には雪が少し積もっていた。
ふぅっと白い息を吐いて実家に向かって歩きだそうとしたが、その一歩はとても重く感じた。荷物はけして多くはない。ただ腕に抱えた軽いはずの骨壷が俺の歩みを重くさせるのだ。
実家まで歩いている途中、神島駅まで送ってくれた
「事件のことは任せて欲しいと言ったのに、こんな結果になって申し訳ないと思っているわ」
俺は窓の外を見ていたが、ガラス越しに六条先生の顔を見た。その顔は苦悶に満ちている。
「先生のせいじゃありません。犯人が悪いんです。それに
「そこが気になるところね。
桐子が監禁されている様子を想像して、心臓が苦しくなった。先生の予想は外れていて欲しい。
「桐ねぇはまだ調査していたかもしれません」
桐子は早朝に出ていったが、そのまま帰宅の途へついたとは限らない。何に興味を持つかわからない桐子である。どこかで道草を食っていたかもしれない。
「その調査についてだけど、桐子さんは一人で調べていたのかしら。桐子さんは神島には土地勘がないはずよ。協力者がいてもおかしくないわ。例えば、探偵とか」
確かにそうだ。いくら桐子が優秀だからといって、これだけ短期間で父のことと猟奇殺人のことを調べ上げるのは困難なことである。
「協力者がいたとしたら、犯人かもしれませんね」
「いずれにしても、犯人は必ず特定してみせるわ」
六条先生の言葉に同意した後、車内は再び沈黙に包まれた。
実家へ続く道をゆっくりと歩いていると、ところどころで知り合いに声をかけられた。
「桐子ちゃんは残念なことじゃったねぇ。まだ若いっていうのに」
だいたい同じような言葉の裏に事件のことを聞きたいという雰囲気を感じ、そうですねとだけ答えて、家路を急ぐことにした。
実家についた頃にはタクシーでここまで来ればよかったと後悔していた。
久しぶりに見る実家はとても広く、とても古く見えた。実際、庭も広く、家は古い。ただ、柚葉たちの洋風の綺麗な家と比較してしまっていることもあるだろう。それに今の心境がこの家をさらに古く、暗く感じさせていた。
玄関の扉には鍵がかかっていなかった。やっぱり田舎だなと軽く笑って扉を開けた。
玄関に荷物を置いて靴を脱いでいると、足音が聞こえた。祖母は足が悪いのでこれほど急ぐことはできない。俺は
「じょう……ちゃん?」
玄関前の廊下で
桜は引きこもりのようになっていたと聞いたが、その可愛らしさはまったく変わっていなかった。きっと桐子が励まし続けたおかげだろう。肩まで伸びた髪の毛があれから経った時間を語っている。
「そうだ、俺だよ。久しぶりだな。今日は桐ねぇを連れて帰ってきた。ほら、桐ねぇ。桜が迎えに出てくれたよ」
俺がそう言うと、桜はつまらなさそうに骨壷を見た。
「
「だけど、桐ねぇはもう……」
「いつもふらっといなくなって困っちゃうよね。今もきっとどこかで調べ物をしているんだよ。さぁ、そんなところに座ってないで、中に入って。ここは丞ちゃんの家なんだから」
桜の言葉に困惑しながら部屋の中へ入っていくと、座布団の上に上品に座って祖母が待っていた。
「ばあちゃん……」
「おかえり、丞や」
優しい祖母の声に涙が溢れた。
「ばあちゃん、ごめん……」
「何を謝ることがある。丞が桐子を連れて帰ってきてくれた。それだけで十分」
そう言って、祖母は俺の側に寄り、風呂敷を外して骨壷を撫でた。桜はそれを不思議そうに見ている。その様子を見て、俺は小声で祖母に尋ねた。
「ばあちゃん。桜は大丈夫なのか」
祖母はため息をついて、小声になることなく答えた。気にしないで良いということだろう。
「桜は桐子が死んだことを理解しておらん。ニュースを何回も見ているはずなのに、まったく反応もしないよ。丞がおらんようになってから、心労が絶えなかったから、心を閉ざしておるんじゃろう」
桐子が言っていたとおり、桜は俺が出ていったことを自分のせいだと責め続けたのだろう。ただでさえ精神的に不安定だったのだ。姉の死を受け入れることができないのかもしれない。
「引きこもりのようになっていたと聞いていたよ。でも、今の桜は桐子のことは別として、まったく俺が出ていったときと変わらないじゃないか」
「そうだね。たしかに先日まで桜はふさぎ込んでいた。元気になったのはお前が返ってくると聞いてからだよ。桜にとって、それほどお前の存在は大きい」
俺にとっても桜の存在は大きい。だから、あのとき拒否されたことで自分を見失ってしまった。
「ばあちゃん、聞きたいことがあるんだけど……」
「まぁ、荷物ぐらい置いてきなさい。もうすぐご飯もできる。話はゆっくりすればええ」
荷物もそのままにしていることに気づいた俺は自分の部屋へ向かった。
部屋に入ると、背後に桜がついてきていた。
「ねぇ、丞ちゃん。あの日のことだけど……」
桜が言っているあの日とは、俺が桜の前で初めて能力を使った日のことだろう。
「丞ちゃんが助けてくれて、私本当に感謝してるの。でも、あんなことを言ってしまって、丞ちゃんを傷つけちゃったよね」
桜のせいじゃないと言いたかったが出てきた言葉は違うものだった。
「あのときの俺はどんな感じだったんだ」
この質問に桜は驚いたような顔をした。
「覚えてないの?」
もう一度、あのときのことを思い出そうと努力したが、無駄なことだった。
「自分ではわからなかったんだ。眼の前が真っ赤になって、気づいたときにはあの状態だった」
「……私が見た丞ちゃんはいつもの丞ちゃんじゃなかった。目が血走っていて、体も一回り大きく見えた。それにね、頭にガラスみたいな角が生えてた。それを見たとき、私怖くなっちゃって……。ごめんなさい」
桜にとっては思い出したくもない記憶であろう。答えてくれただけありがたかった。
「そんなふうになっていたのか。それじゃあ、もう普通の人間じゃない。桜が怖がっても不思議じゃないよ」
「でも……」
「桐ねぇがね、鬼の伝承について調べていたんだ。この村には鬼の一族が住んでいるって伝えられているんだって。もしかしたら、俺は鬼かもしれないな」
「じゃあ、私も鬼の一族だね。そう思ったら、あのときの丞ちゃんも怖くなくなってきたかも」
桜は嬉しそうに微笑んだ。
夕食を終えて、俺は祖母と話をすることにした。
「ばあちゃん、父さんと母さんについて聞きたいんだ」
「なんだって? 聞こえないね」
祖母の耳が遠いなんて話は聞いたことがない。
「ばあちゃん、これは桐ねぇが話してたことだけれど、父さんと母さんは神島市に住んでいたの?」
「わしとじい様の出会いはとても素敵だったよ。わしは村で一番の器量よしと言われていてね、じい様ったら……」
どこまでとぼける気だろうか。俺は祖母が話してくれるのをずっと待った。
しばらく聞くふりをしていると、祖母は一度お茶を飲んで、曲がりかけの背中を少し正したように見えた
「ふぅ、仕方ないね。丞も知っても良いころじゃろう」
どうやら根負けしてくれたようだ。
「あれは二人が出会って一年が経った頃じゃったか。二人は結婚したいとじい様に言いにきた。だが、元々付き合いをよく思っていなかったじい様は大反対しての、その結果二人は駆け落ち同然で村を出ていったんだよ」
「でも、俺は村で生まれたんだろ? なんで、父さんたちは戻ってきたのさ」
「理由はわからん。だが、二人は逃げてくるように村へ戻ってきた。もちろん、じい様は激怒したが、娘の腹の中にお前がいることがわかって、しぶしぶ村で住むことを認めたんじゃ」
やはり、村に帰ってきた理由ははっきりしない。何があったのかが両親のことを知る上で大事なことだと思うのだが、証拠が出てこない。
「父さんが母さんを殺した理由がわからないんだ。警察だって父さんを探している様子がないし。それに母さんは亡くなる前に酷く体調を崩していたそうじゃないか。本当は病気で死んだんじゃないの?」
「いいや、じい様の言うとおり、お前の父親が殺したんだよ」
それだけ言って、祖母は黙った。俺は違う方向から話を進めることにした。
「それから、これは馬鹿馬鹿しいことかもしれないけど、俺たちには鬼の血が流れているんじゃないのか」
飄々としていた祖母の顔が驚きに変わった。
「お前、何か兆しがあったのかい?」
ふいに出た言葉に祖母は後悔しているようだったが、ある程度予想していた結果に俺は冷静だった。
「俺は普通の人間じゃないことはわかっている。それを桜に見られたから家から出ていったんだ」
俺は祖母にあの日の事を話した。
「そうだったのかい。桜は何も言わなかったからね……」
「鬼の伝説は本当だったんだね。ばあちゃんや桜にも鬼の力があるってこと?」
「……確かにわしや桜、桐子にも鬼の血は流れている。だけど、鬼としての能力を持っているのは極わずか。その能力がお前にあることはわかっとった」
「わかっていた?」
「ここからはお前にとって辛い話になるが、お前を身ごもった娘は腹が大きくなるにつれて、精気を失っていったよ。お前が生まれた頃には床に臥せっていた。それでも、お前に乳をやると言って聞かなかった娘はどんどんやつれていった。それは、お前が娘から精気を吸っていたからなんだよ。鬼の子は親から魂を吸って成長すると言われている。わしも経験したことだが、母体が健康体であれば、それほど問題になることではない。だが、元々体の弱かった娘は耐えることができなかった」
衝撃だった。母さんが病気に苦しんだ原因は俺にあるという。そんな事あるはずないと叫びたいが、俺は何人かの意識を吸う体験をしていることに関係があるのではないかと気がついた。
「じゃあ、俺が母さんを殺したんだね……」
「いや、そうではない。殺したのは間違いなくお前の父親だよ。」
絶望していた俺は祖母の否定の言葉によって自分を取り戻した。
「お前の父親が殺そうとしたのはお前のことだ。あれはお前が二歳になるかならないかぐらいのことじゃったか。どうやって調べたのかわからんが、お前が鬼であることを突き止めたらしいあやつはお前を殺せば娘が元気になると思ったのだろうね。ある日、お前を刺し殺そうとした。だが、娘はお前を殺させまいと庇って死んだ。お前の父親は発狂して出ていってしまったよ。じい様は死ぬまでお前の父親を許すことはなかった」
父は俺を殺そうとしていた。それは悲しい事だったが、その行動は母を守ろうとしてのことだ。その事実を知ると父親を憎む気持ちが薄れていくのがわかった。
「お前の母親は強い子だった。どんなに自分が苦しんでも弱音を吐くことがなかった。お前のことも夫のこともとても愛していたんだろうね」
次の日、桐子の葬儀が行われた。俺は喪主として奔走していたが、忙しさで桐子を思い出すのを誤魔化していた。桜は祖母に言われるまま制服に着替えて葬儀に出席していた。何が行われているのかわからないという表情で、親族からお悔やみの言葉を聞いても理解していないようだった。
葬儀が終わってから、桜は祭壇をじっと見つめていた。
「あのお姉ちゃんの写真、丞ちゃんが撮ったやつだよね。すごくいい表情してる。お姉ちゃん、私にもすごく優しかったけど、あんな表情はしてくれなかったな」
桜は花に囲まれた桐子の写真を眩しそうに眺めている。
「そんなことはないだろう。俺と桐ねぇは口喧嘩ばかりしてて、俺には桐ねぇの笑顔が思い出せないよ」
「わかってないなあ。お姉ちゃんは丞ちゃんのことが大好きなの。もしかしたら私よりも好きかもしれない」
そんなことがあるものかと首をひねった。
「今度、ちゃんと顔を見てみて。きっと素敵な表情をしてるから」
俺は押し黙ってしまった。それは二度と叶わないと桜には言えなかった。
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