鬼の失意
桐子を送った後、昨日決めたとおり、
「はぁ……。お姉さんたちは容赦がないね。質問攻めのおかげで疲れてよく眠れたよ」
恐怖と慣れない環境で眠れないかと思っていたが、その点だけは桐子と
柚葉が長親に向かって両手を合わせた。
「ごめんね長親君。お姉ちゃんには私からキツく言っておくから」
「いいんだよ。急に転がり込んだのは僕だしね。みんなといるおかげで怖さも薄らいだよ」
長親を一人にしていたら、今頃怯えて家から出なくなっていたかもしれない。長親を柚葉の家に連れてきたのは正解だった。
その日、何事もなく学校に着くと、俺は
――やっぱりここか。
「あら、朝から珍しいわね。もうすぐホームルームが始まるわよ」
六条先生は屋上で手すりに体を預けていた。
「話があります。昼休みにまた屋上に来ていただけませんか」
「大事な話のようね。わかったわ」
それだけ言うと、六条先生は俺の横を通り抜けて、階段を降りていった。微かに香水の匂いが残る。
昼休み、用があるとだけ長親に告げて屋上へ向かった。
六条先生は朝と同じように手すりに体を預けていた。
「わざわざ呼び出して、話をするということは鬼についての話かしら。私の血を飲んでから何か変化があったとか?」
「いえ、今日は俺のことではないんです。長親から相談されたことなんですが、あいつは一昨日の夜に猟奇殺人の犯行現場を見たそうです」
この話には六条先生も流石に驚いたのか、眉をひそめている。それでも一瞬のことで、すぐにいつものクールな表情に戻った。
「加賀君は無事だったようで良かったわ」
「昨日から柚葉の家に泊まっていて、できるだけ一人にしないように気をつけています。先生に話したいのはその犯人のことなんですが。長親は犯人が全身毛に覆われた狼男のようなモノだったと言っているんです」
六条先生の考えるときのクセなのか、顎に指を当てている。その格好はこれから謎を解く探偵のように格好が良かった。
「犯人が異形という可能性があるのね。異形であるなら、あの手の猟奇殺人も一人でやってのけるでしょう。そういえば、あなたのお姉さんが猟奇殺人について調べていると言っていたわね。大丈夫なのかしら」
「姉なら、今朝。実家に帰りました。しばらくは大丈夫だと思います」
「それならいいのだけれど」
「これから、どうすればいいでしょうか。長親が目撃したことを犯人が気づいていたら、狙われる可能性があります。それにやっと手がかりを掴んだんです。放おってはおけません」
「その考えは危険だわ。あなたはまだ力を制御しきれていないし、周りに被害が及ぶかもしれない。この件に関しては、私が調べてみるわ」
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
「あなたは
桐子が帰った翌日、学校から帰宅すると楓さんがソファーに寝転がってTVを見ていた。今日は理事長の仕事はお休みらしい。執筆活動でもしていたのか、とても眠そうである。
TVにはワイドショーとニュースの中間のような番組が流れている。司会者はゲストに話をふり、意見を聞いては大げさに反応を返していた。
「お姉ちゃん、いつも言うけど、行儀が悪いよ」
「おかえり。学校では理事長として行儀よくしてるさ。家でぐらいごろごろしたいもんじゃないか」
俺は理事長室でも楓さんがごろごろしていることを知っている。だが、それを言ったところで楓さんは何も思わないだろうから、あえて黙っておくことにした。
「まぁ、変人には行儀なんてものは必要ないんだけれどね」
楓さんはそう言うと、机の上のダンボール箱を指さした。
「ジョウ君にお荷物だよ。桐子さんかららしい。差出人に名前しか書いてないんでね。結構重かったけどなんだろね」
「桐ねぇから荷物? 帰ったばっかりだっていうのに何なんだ。新しい資料でも見つかったのかな」
ダンボールは特に変わったものではなく、ホームセンターなどで普通に売っているものである。持ち上げてみると、確かに箱のわりに重さがある。ガムテープを剥がして中を見てみると、陶器でできたような箱が入っていた。
柚葉も気になったのか、その箱を不思議そうに見ている。
「まぁ、開けてみるか」
その行為がどれほど後悔するものか考えなかった。俺はこのとき、もっと怪しむべきだったのである。いや、怪しんだところで結果は変わらなかったのだから、どうしようもない出来事だった。
陶器の中を覗き込む。
「きゃああああ!」
柚葉の叫び声が響き渡った。
――なんでだ。なんでだ! なんでだ! なんでだ! なんでだ!
なんで、こんなものが入っているんだ。頭が錯乱して眼の前の光景を信じることができない。
箱の中に人間の生首が入っていた。美しく化粧された桐子の生首が。
血の気が引いて、倒れそうになったところを楓さんに支えられた。
「ニュースを見てごらん」
楓さんに言われるまま、TVを見た。
「繰り返します。午後3時頃、神島市の倉庫にて女性の遺体が発見されました。遺体は損傷が激しいようですが、遺留品から、被害者は
TVから聞こえてきたニュースに俺は絶望した。桐子は殺された。そして、その首がここにある。
眼の前が赤くなる。まずい、これは桜のときと同じだ。そう思った俺は桐子の首を置いたまま、自分の部屋へ駆け込んだ。体が変化していく感覚がある。
――コントロール、コントロールしろ。
ずっとそう訴え続けると、頭は冷静になり、体の変化もなくなった。残ったのは虚脱感だけだった。
桐子と俺はけして仲の良い姉弟ではなかった。顔を合わせれば皮肉の言い合い。いや、桐子は皮肉のつもりではなかっただろうが、とにかく馬が合うなんてことはなかった。
しかし、幼なくして両親を失った俺を自然と受け入れてくれたのも桐子だった。
その桐子が死んだ?
「あ……あ……うあああああああああああああああっ!」
どのくらいの時間だろう、部屋に閉じこもって泣き続けていたが、ノックの音が聞こえた。今は出たくはないと無視していると、聞いたことのない声が聞こえた。
「
誰かが警察に通報したのだろう。無視をしていても仕様がない。俺はゆっくりと扉を開けた。
「どうも、警察局刑事課長の
警察手帳を見せながら、がっしりとした体躯にとても綺麗とは言えないコートを着た中年の男が扉の前に立っていた。
俺は黙って、彼を部屋へ招き入れた。
「この度はご愁傷様でした」
その言葉に俺は激情して、着古したコートの襟元を掴んだ。丘山という刑事をこれでもかというほど睨みつける。
「ご愁傷さまだと! そんな簡単な言葉であんたに何がわかるっていうんだ!」
泣きはらした目から、また涙が出てくる。
「そうですなぁ、君の言うとおり、私は何もわかっていない。だからこそ、捜査をして犯人を見つけることこそがお姉さんや御遺族のためだと私は考えているんだ。辛いと思うけど、どうか、お話を聞かせてもらえないかな」
俺は手を離して、ふらふらと後ずさりながらベッドの上に座った。
「
「遺留品についている指紋と遺体の指紋が一致した。それと遺体と……お姉さんの頭部のDNAを調べた。お亡くなりになったことは確かだよ」
最後通牒に俺は項垂れた。
そんな俺のことを丘山さんはじっと見つめていた。刑事なのだ。このような状況には何度も立ち会っているだろう。
「君がお姉さんと最後に会ったのはいつだい」
「昨日の朝方です。姉はしばらくこの家に泊まっていましたが、一度実家に帰ると言って出ていきました」
丘山さんはなるほどと言いながら、これまた古びた手帳にボールペンで書き込んでいる。
「君は昨日の夜、外出はしなかったかな」
「それは俺が犯人だと疑ってるってことですか」
「いやいや、常套句というやつだよ。犯行は昨日の夜七時頃と推定されている。その頃に家にいたと誰かが証明してくれれば、君への疑いは晴れる」
「外出はしていません。柚葉や長親と家にずっといました。でも家族や友人の証言は信用してもらえないんでしょう」
「そういうわけじゃないがね。それに君は千早家の家族ではない。本名は七幸丞と言う。違うかね」
動悸が激しくなった。桐子の身内ということが分かれば、俺の素性などすぐバレてしまうことに気が付かなかった。俺はどうしようか焦ったが丘山さんは表情を緩めた。
「いや、君がこの家に住むことになったり、
楓さんがどう証言したかわからないが、丘山刑事は楓さんを信じているようだ。それに父が千早の出だというのは本当のことである。俺がこの家に住んでいてもなんらおかしいことはない。
「お姉さんは何かトラブルを抱えたりしてなかったかね」
「はは……トラブルのオンパレードのような人ですよ。この街では父のことと、連続猟奇殺人事件のことを調べると言っていました」
「ほう、事件のことを。何か事件についてお姉さんから聞いていないかい」
「いえ、特には。たまに家を空けて調べていたようですが」
事件については長親のことがあるが、丘山刑事が聞いてこない限りは言わないほうが良いだろう。信じてもらえる可能性は低い。
「実のところ、今回の事件は猟奇殺人と関連があるかはっきりしないと私は思っている」
「なぜですか? TVでは警察は関連があるとして捜査すると報道されていました」
「そうだね。もちろん関連があるという方向でも捜査しているよ。ただ今回は今までの事件とは違う部分がある。今までの事件では遺体の一部を郵送してきたことなどないのだよ」
たしかにそうだ。なぜ、犯人は俺宛に生首など送りつけたのだろう。
「私は君が犯人だとは思っていないが、君が深く関係しているのは間違いない。犯人は君のことを知っている」
「身内の犯行だということですか!」
「そこまではわからない。身内でなくても君のことを調べることはできるからね。だが、君のことを調べる必要はあったわけだ」
「何か証拠は出ていないんですか。そうだダンボールや中の箱に指紋がついているかもしれない」
楓さんが受けとったと言っていたダンボールは開封されずに机の上にあった。
「楓さんが言うにはダンボールは正午頃に配達に来たそうだ。宅配業者に確認をとったが、間違いなかった。ダンボールには楓さんを含めていくつか指紋がついていたが、中の陶器の箱に君以外はまったくついていなかった。中の箱を開けたのは君らしいから、指紋から犯人を特定するのは難しいだろう」
「宅配を頼んだやつが犯人じゃないんですか」
「そう考えたんだが、宅配業者は集荷を頼まれたので、あるマンションに取りに行ったらしいが、扉の前に伝票を貼ったダンボールと料金が置いてあったらしくてね。不思議に思いながらも持って帰ったそうだ。もちろん、さきほど部屋を調べたが、誰も住んでいなかったよ」
何も進展がないのかと焦っていると、部屋の扉が叩かれて、丘山刑事の同僚らしき人が手招きをしていた。丘山刑事はその同僚のところへ行くと小声で何かを話している。
話が終わったのか、もう一度部屋へ入ってくると、丘山刑事は軽く頭を下げた。
「すまない、どうやら今回の殺人事件と猟奇殺人事件は関係あるらしい。憶測でものを言うもんじゃないね」
「何か証拠が出たんですか」
「いやね……遺体についていた唾液が今までの事件と一致したんだよ」
――唾液だと。
丘山刑事が言った言葉はあることを証明していた。
桐子は犯人に食われたのだ。
「念のためと言ったらあれなんだが、君たちの唾液を採取させてくれないかな」
俺は丘山刑事を睨んだが、鑑識が部屋に入ってきたために、従わざるを得なかった。
検査の結果、俺たちの唾液と犯人のものは一致しなかった。おかげで俺や柚葉たちは被疑者から外れたわけだが、桐子が食われたという異常な事実に俺は何度も吐いた。
柚葉と長親も顔色が悪かったが、俺のためを思ってか、ずっとそばで看病してくれた。楓さんはいつもどおりのように見えるが、何を考えているかわからない。
警察は家の中を調べていたが、何も見つからなかったのか、引き上げていった。
「また、話を聞くことがあると思う。どうか、気持ちを強くもって欲しい」
丘山刑事はそう言うと頭を下げて、家を後にした。
警察の調査がある程度済んだ後、桐子を火葬にし、遺骨を持って七幸の家へ帰ることになった。
桐子は小さな箱に入るほどになってしまった。こうなってしまっては桐子が亡くなったという実感がない。また俺たちに軽口を叩くためにこの街に帰ってくるんじゃないか。そんなことばかり考えていたら、帰省の日はあっという間に訪れた。
六条先生が駅まで送ってくれることになり、皆に挨拶をしてから、車に乗った。
七幸の家に帰ったら、もうここには戻らないんじゃないだろうか。そう思っていたのは俺だけではなく、柚葉はいつでも帰ってきていいんだよと優しい言葉を何度もかけてくれた。
憂鬱になっている原因はもう一つある。
桜だ。
桜にどんな顔をして会えばいいのか。桐子の死を知った桜はさらに落ち込んでいるだろう。
――今、桜を支えられるのは俺しかいない。
そう言い聞かせて、帰路に立った。一度逃げたことを引きずりながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます