鬼の鼓動

 冬の知らせがくる頃、長親ながちかから相談があると家に誘われた。

 長親の家には何度か行ったことがある。長親は実家が神島こうのしま市から離れているため、アパートで一人暮らしをしている。アパートは小綺麗で部屋も広めだが、長親の部屋に関してはそれは当てはまらない。大量のフィギュアや漫画、アニメのDVDにゲームで溢れており――綺麗に整頓はされているのだが――生活空間はとても狭いものとなっていた。

 いつもはそのコレクションを眺めたり、ゲームでも始めるのだが、今日はこたつの中でコーヒーを飲みながら向かい合って静かに座っている。

「で、相談ってなんなんだ」

 黙っていても仕方ないので、俺の方から切り出した。

 できるだけ優しく言ったつもりだが、それでも長親は話をしようか迷っているようである。

 よほど話しにくい内容なのかもしれない。

 長親もこのままでは意味がないと思ったのか小さな声で語りだした。

「その信じてもらえるかはわからないんだけど、いや、じょうはきっと信じてくれると信じているよって僕は何を言っているんだろうね。ははは」

「いいから、話してみろよ。信じるかどうかは話を聞いてからだってよく言うだろう」

「うん、じゃあ話すよ……。昨日、僕は予約していたゲームを買いに行って、帰りが遅くなったんだけどね。近道をしようと思って裏道を通ってたんだ。ほら、ゲーム屋さんの近くに廃工場があるでしょ。ちょっと怖かったけど、早く帰ってゲームがしたかったんだ」

 話しながら、長親はコーヒーカップをくるくる回している。ただ回しているだけで飲むことはしない。緊張の現れであろうと俺は思った。実際、長親の話し方には緊迫したものがある。

「廃工場に行く角を曲がろうとしたときにね、変な音がしたんだよ。怖かったんだけど、気になって僕は角から覗いてみたんだ。そしたらね……」

 長親は一旦間をおいた。

 まるで、心霊体験を話しているような長親を見て、俺も少し緊張した。

「全身に毛が生えた大きな何かが人のようなものを食べていたんだ。僕は腰を抜かして大声を出しそうになったけど、ばれないように逃げ帰ったんだ」

 その体験を思い出したのか、長親の顔が青くなっていく。

「幻でも見たんじゃないかと思ってたんだ。でも、今朝ニュースを見たら、例の廃工場で猟奇殺人があったって言うじゃないか。僕はもう怖くて、怖くて、誰かに相談したかったんだ」

 今まで猟奇殺人の確かな目撃情報はない。長親の話が本当だとすれば、驚くべきことである。

 それに、犯人と思われる何かが人ではないという点に俺は震撼した。

 温泉旅行のときに六条先生は異形の中には体型を変えるモノも少なくないと言っていた。

 桐子の言うように、事件は異形によって起こされているのだろうか。

「僕はどうしたらいいと思う? 警察に言っても、こんな話でたらめだと思われて信じてもらえないよ。丞だけが頼りなんだ」

 確かに警察は当てにならないだろう。俺は今必要なことは何かを考えた。

「重要なことだけど、お前が見ていたことに気づかれていないのか」

「わからないよ。僕はびっくりしてすぐに逃げちゃったし。でも、追いかけてこなかったから、気づかれてないんじゃないかな」

「楽観的になるのはやめよう。長親、とりあえず今日から俺たちの家に泊まれ。登下校も俺たちと一緒にしよう。一人でいることは危険だと思う」

「丞は信じてくれるのかい」

「本当かどうかはわからないけど、もし、お前が危険な目にあった後に後悔はしたくないからな。なんてったって俺たちは友達だろう。はは、一回言ってみたかったんだ」

 俺の言葉に感動したのか、長親は目に涙を浮かべてこたつを越えて抱きついてきた。クラスの女子たちがこの光景を見たら、発狂ものだろう。


 長親を連れて家に帰ると、柚葉ゆずはかえでさんに理由を話し、しばらく長親を家に泊めてもらえるように頼んだ。

 さすがに異形いぎょうのことは話さず、犯人を見たということだけを伝えたが、楓さんはたいそう興味をもった。

「犯行現場を見ただって! 猟奇的な殺人をどのようにやってたのかな。何か道具を使ってたりしたのかい。人肉を食べたなんて噂もあるよねぇ」

 興奮している楓さんを柚葉が睨んでいる。

「お姉ちゃん。長親君はとても怖い目にあったのよ。なんで、そんなに楽しそうに話を聞いてるのよ。まったくデリカシーがないんだから」

「おやおや、柚が私にデリカシーなんてものを今更求めるとは思わなかったよ。わかった、わかった。怖がっている加賀かが君も魅力的だけれども、ここまでにしよう」

 楓さんは興味がなくなったかのか、ソファーの上に寝転がって、眼鏡を外すと、目を閉じた。寝てしまったのかもしれない。

 あいかわらずだなと思っていると、一人足りないことに気がついた。

「柚葉、とうねぇはどこに行ったか知ってるか」

桐子とうこさんなら、用事があるからって出かけて行ったよ。夕食には戻るって言ってた」

 桐子も猟奇殺人に興味を持っていたので、この話を聞いたら飛びついていたかもしれない。後で聞くことにはなるだろうが、その前に長親から情報を聞いておきたいと思った。

「とりあえず、俺の部屋に行こう。詳しい話を聞くよ」

 長親は頷くと俺の後を付いてきた。

 部屋に入ると俺は一つしかない椅子に座ったので、長親はベッドに座った。

「大変な目に合ったな。確認しておきたいんだけど、犯人は人じゃなかったのか」

「あれは人じゃないよ。全身が毛で覆われていたし、人よりも、とても大きかったんだ」

「犬か何かっていう可能性はないのか」

「そう言われると可能性がないとは言えないけど、二本足で立っていたし、そうだな、狼、狼男みたいだったよ」

 狼男。満月の夜に人から狼へと変身すると言われているが、あくまで伝説でその実態は知られていない。

 古代では戦士の証として狼の毛皮をかぶる風習があったと言われるし、宗教的に月夜の晩に囚人に狼の耳と毛皮をかぶせ、走らせるといった掟があり、それらの話が元であると聞いたこともある。この国では狼は大神とも言われ、信仰の対象とされている地域もある。

 物語で出てくる狼男は全身が毛で覆われているが、人のように歩き、人の言葉を話す。そして、人を襲う存在として描かれていることが多い。

「もし、そういう存在だとしたら、楓さんが言っていたような猟奇的な殺人も可能かもしれない」

「僕、もう怖くて仕方がないよ」

 震えている長親をなだめながら、気になったことを聞いた。

「どうして、犯人は遺体を隠さないんだろうな」

 長親も真面目な顔で考えているようだ。

「そもそも、そこまでの知能がないか、隠さなくても平気だと思っているのかもしれないね」

「もしくは、わざと隠さずに騒ぎにしているか」

 連続猟奇殺人事件が行われるのは夜中だと言われているが、その犯行は雑であると言えるだろう。遺体はすぐに見つかるような場所に放置されているし、人を食うなどという奇行も見られる。

 それでも、未だに捕まっていないのは確たる証拠を残していないからだ。

 なぜ、このような大胆な犯行が行えるのか。考え出すとキリがない。

 話が終わると、柚葉を呼んで長親を空いている部屋に案内してもらった。

 長親の話を信じると、神島市には俺と六条ろくじょう先生以外にも異形がいることになる。なぜ、人を襲っているのかはわからないが、簡単に話が通じる相手ではないことは確かだろう。このことは六条先生にも報告する必要がある。

 外に柚葉の気配を感じた。六条先生の血を飲んだことで、感覚が鋭くなった気がする。

「ジョー君、ご飯にしましょ。桐子さんも帰ってきたよ」

 わかったと答えて、部屋を後にした。


 夕食が並んだ机を囲むと、さっそく桐子が長親に話しかけた。

「長親君というんだってね。あたしは桐子だ。ウチの弟くんがお世話になっているよ」

 桐子は感謝の言葉を述べながらも、その態度は大きく、長親はすっかり萎縮してしまっている。

 しかし、桐子は基本的に人嫌いである。友達と呼べる人がいるのかどうかも定かではない。長親に関しては多少なりとも興味を持ったようだ。

「は、初めまして。加賀かが長親です。お世話になっているのはいつも僕のほうです」

「猟奇殺人を目撃したんだって? まったく手がかりがなかったのに凄いことじゃないか」

「いえ、たまたま見てしまっただけで、本当は見たくなかったと言いますか……」

「犯人の顔は見たのかい?」

 長親は犯人は怪物ですとは言えず、答えに困っていた。

「……はっきりとは見えませんでした」 

「そうか、それは残念」

 そう言うと、桐子は長親の目をじっくりと見た。何かに感づいたのか。

「ところで、何で君はそのことを警察に伝えないのかな」

 痛いところを突かれた。俺も長親も答えに窮する。

「普通、犯行を見たら警察に連絡するもんだよね。だけど、しなかった。だから君には警察に言えない理由があったと考えられる。例えば、犯人が知り合いだったりすると伝えにくいかもしれない。もしくは、警察でもどうしようもない相手だった。もしかしたら、もしかしたらだよ。その犯人は人ではないんじゃないのかい。だから信じてもらえないと思って、警察には駆け込まなかった。もしくは駆け込んだが信じてもらえなかった」

 桐子が鋭いのはわかっていたことだが、ここまで当てられると何も言えなくなる。

 桐子の巧みさにかかれば、長親など子供のようなものだろう。初めから、桐子は長親を疑ってかかっていたのかもしれない。

 黙っている長親を見て、楓さんも興味を持ったようだ。

「そこは私も気になっていたところだ。桐子さんはこの間話した鬼のような存在の仕業ではないかと言いたいんだね。興味深いなぁ。その説が本当だとすると、鬼は人間を食べてるかもしれないね」

 そう言いながら、楓さんは鶏肉を口に運んだ。

「お姉ちゃん、また変なこと言って! 桐子さんも桐子さんです。せっかくの料理が美味しくなくなっちゃうじゃないですか。話をするなら、ご飯が終わってからにしてください」

 柚葉に怒られた桐子は大変ショックだったらしく、必死で謝った。桐子は柚葉がたいそう気に入ったようで、柚葉に甘い。その様子は桜に対しているようだった。

 桐子はひたすら柚葉に謝ったあと、何かを思いついたように手を叩いた。

「そうだ。丞の両親の話をしよう。色々調べてきたんだよ。君のお父さんは神島の出身だって話はしたね。どうやら、神島大学で郷土史学を教えていたらしい。専攻は地方の伝承の調査だったらしくてね、たまたま訪れた私達の村で君の母親に出会ったそうだ。日記にそう書いてあるからおそらく間違いない。君の両親は村で仲慎ましく過ごしたそうで、結婚を機会に彼女を連れて神島市で暮らすことになったらしいんだ。ところが、君は村で生まれている。そうなると、二人は神島を離れて、また村に住むことになったんだろうね。日記は途中で終わっていて、そのへんは詳しくはわからないんだけれど」

 突然の両親の話に俺はついていけなかったが、みんなは興味があるのか箸を止めて聞いていた。

 俺は自分の身の上話をみんなにはほとんど話していない。気にしないとは言ってくれていたが、やはり好奇心には勝てないのだろう。

「父さんの日記があるなんて、何で教えてくれなかったんだよ」

「別に隠していたわけじゃない。君が父親について何も聞いてこなかったから、興味がないのかと思ってね」

 確かに父親の存在を教えられても、執着することはなかった。物心ついたころにはすでにいなかったからか、もしくは母親を殺害した存在として考えたくなかったからかもしれない。

「父さんと母さんはどのくらいの間、神島にいたんだ」

「はっきりとはわからない。日記の日付と君が生まれた年とで考えると、おそらく7, 8年といったところだと思うけどね」

「どうして、大学を辞めてまで村に戻ったんだ」

「それもわからない。母親が故郷を恋しがったか、元々村で暮らすつもりだったのか、もしかしたらお腹の中に君ができたからかもしれないね。急に質問攻めだね。どうしたのかな」

 理由はわからないが、知りたい欲求が抑えられなかった。

「君が興味を持った理由はたった一つ。話に母親のことが出てきたからさ。君は生粋のマザコンだからね。昔から覚えてもいない母親のことを何かと聞きたがったものだ」

 皆の前で暴露された恥ずかしさで大声を出しそうになったが、的を得ているので何も言えなくなってしまった。

 母親という存在にはとても憧れていた。小学校ぐらいの友達は母親ととても仲良さそうに手を繋いでいたものである。友達は屈託のない笑顔を母親に向けていた。そのときどんな気持ちになるのだろうと関心を持っていた。

「男なんてみんなマザコンさ。君の母親はとても美しくて優しかったからね。幼心にもそれを覚えているのかもしれない。まぁ、そのへんは心理学の分野だから、私はまったく興味がない」

 人の心を読むのが得意な桐子の発言とは思えない。

「母さんについては何も見つからなかったのか? ほら、写真とか」

 さりげなく聞いてみたが、心臓が早なっているのがわかる。母親が美しいと言われては気にしてしまう。自分のルーツである存在だ。ひと目見てみたいと思うのは当然であった。

「残念ながら何も。ばあさんに聞いてみたが、私が記憶している以上のことは話してもらえなかったよ。まったく強情なばばあだ」

 写真ぐらいはあると期待していたが、その考えは甘かった。今のところ母親の情報は美しくて優しかったということだけである。

 少しの静寂が訪れた。柚葉がもじもじしていたのが気になったので声をかけた。

「何か質問があるのか柚葉。俺は聞いてのとおり何も知らないが、桐子が答えてくれるかもしれないぞ」

「ううん、そうじゃないの、そうじゃなくてね」

 柚葉にしては歯切れが悪い。

「ジョー君、両親がいないなら、ずっとこの家で暮らしたらどうかなっ。だって私達いとこ同士じゃない。何か理由があって実家を出てきたんでしょ。そうだよ、ここで暮せばいいよ」

 少し興奮気味の柚葉を楓さんが箸で指した。

「柚、やめな。ジョウ君の過去については何も聞かないことにしただろう。話を聞いて、感傷的になっているのかもしれないが、今のジョウ君が全てだと言ったのは柚、君だ」

 楓さんにたしなめられた柚葉は赤くなって「ごめんなさい」と言った。

「いいんだ。この家は俺だってとても気に入ってるし、学校だってあるしさ。まだしばらくは暮らすことに違いはないんだから、実家のことも将来のこともその間に考えるよ」

 俺が明るく振る舞ったからか、それからの食事は長親を歓迎する楽しい話で盛り上がった。ただ、桐子はじっと俺のことを見ていたことが気になった。


 食事が終わった後、皆がそれぞれのことをしだすと、俺は桐子に今まで触れたくなかったことを聞いてみた。

「桐ねぇはその……父さんが母さんを殺したときの事を覚えているのか」

「ふむ、君にしては勇気ある質問だが残念ながら答えはノーだ。君の母親が亡くなったことは覚えているが、どうして亡くなったかは君と同じく祖父に聞いただけさ。私が子供だったからかねぇ。亡くなったと知ったときには叔母さまはすでに墓の下だったさ」

 祖父は父さんが母さんを殺して逃げたと家族にはっきり告げたが、それ以上は何も言わなかった。祖母も同じである。

「ただ、叔母さまは亡くなる前には体調を崩されていてね、私は普通に病気で亡くなったのかと思っていたのだよ」

 初耳だった。母が病気で亡くなったのだとすれば、これほど父を憎む必要もなくなる。しかし、父は俺を置いてどこかへ消えたことに違いはない。その理由がわからない。

 もやもやとしたものを抱えて、俺は部屋に戻った。

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