鬼の逸話

「ありゃりゃ、これは偶然だね。彼女連れとはびっくりじゃないか」

 文化祭の片付けが終わり、柚葉ゆずはと家に帰る途中、その時は突然訪れた。

「お姉ちゃん、どうし――」

 柚葉が間違えるのも仕方がない。初めてかえでさんに会ったとき、俺も勘違いしてしまったことを思い出す。俺はゆっくりと振り向いて、声の主を確認した。

「久しぶりだね、とうねぇ」

 桐子とうこ。俺のいとこにして姉。もう二度と会うことはないと思っていた人。懐かしさを感じながら、どうして居場所がわかったのかという焦りが生じた。

「どうしてわかったんだっていう顔だね。うん、こんなところでも何だし、家は近くかい? よかったら入れておくれよ」

 飄々とした桐子を見て混乱しながらも柚葉は桐子を部屋に通すと、何も言わずにお茶を入れにいった。柚葉のそういう気配りは本当に助かるところだ。

 桐子はなんだか子供のように、部屋の中を楽しそうに見ていた。

「丞はこの部屋にあの子と住んでるのかい?」

 桐子はそんなことには興味を持っていないだろうに、意外なところに気を回すこともある。俺が柚葉と一緒に住んでいると答えても、驚くことはないだろう。

「この部屋は大家のあの子のお姉さんが貸してくれたんだ。二人とも恩人だよ」

 柚葉が紅茶を持ってきてくれた。桐子は大げさに感謝の言葉を告げている。

 その後、柚葉は自分の部屋へ戻った。

 しばらく無言の時間が過ぎた。

 紅茶を半分ほど飲んだところだろうか、じれて先に俺が切り出した。

「どうやって、見つけたのかはもういいよ。俺を連れ戻しにきたのか? それなら応えられない。俺は犯罪者なんだ」

 あれだけの現場を残してきたのだ。警察が動いているに違いないし、もしかしたら七幸なゆき家にも捜査が入っているかもしれない。

「それが、そうでもないんだな。さくらはほとんど話してくれないから、あの現場で弟くんが何をしたのかは知らないが、あれだけの犯行を一人の人間では行うことができないんだそうな。最近、頻発してる猟奇殺人と関連もあるんじゃないかと言われているのだよ。ああ、大丈夫。全員重傷や意識不明だけど、死人は出ていない。それに弟くんが帰れない理由はそれじゃない」

 いつもそうだ。普段は無駄なことばかり言っているくせに、ふいに核心をついてくる。

「桜は、あれだ。引きこもりってやつになってしまったよ。あの日、弟くんが出ていったって知った桜は自分のせいだって、泣き続けていたよ。それ以来、ずっと自分を責め続けてる」

 俺は拳を握りしめた。わかっていたのだ。桜が傷つき続けていることを。だけど、近くにいても傷つけてしまう。俺にどうしろというのだ。

 また無言の時間が過ぎていく。その間、俺は桜のことで頭がいっぱいだった。

 ふいに桐子が指を鳴らした。まるで、話の転換を行おうというように。

「実はあたしにはそちらのほうが興味がない」

 桐子が何を言っているのかわからず、呆けたような顔をしてしまった。

「弟くんを連れ戻すなんてことは、今はどうでもいいのだよ。問題はどうしてここがわかったのかって方だね。今日、出会ったのは本当に偶然さ。あたしは弟くんを探しに来たんじゃなくて、この家を探しに来たんだから」

 俺の頭は混乱していく一方だった。

「そうだ、さっきの子、名前はなんていうのかな。あの子を連れてきておくれよ。あの子にこそ聞きたいことがあるのだよ」

 なぜという疑問も持たせてもらえず、桐子に言われるまま、柚葉を連れてきた。柚葉は突然呼ばれて、少し緊張しているようである。

「柚葉ちゃんって言うんだってね。いくつか聞きたいことがあるんだけれども、まず、君の名字は千早ちはやで合ってるよね?」

 柚葉は少し不安そうに「はい」と答えた。

「じゃあ、この写真の人を知ってるかな」

 柚葉はじっくりと写真を見た。二人の男性が写っているが兄弟なのか、どこか面影が似ている。仲良さそうに肩を組んでいる写真だが、少し昔のもののようだ。

 柚葉が少し驚いたように答えた。

「こっちの人は私のお父さんです」

 柚葉はお父さんの若い頃の写真を見たことがあるので間違いないと言った。付け加えて、もう一人はわからないと桐子に申し訳なさそうに言った。

「いや、十分! あたしの目的は達成されたようなものだよ。こっちの男性はね、柚葉ちゃんのお父さんの弟さ。つまり叔父さんだね。そして……丞のお父さんでもある」

 俺と柚葉の驚きはさっきの比ではなかった。柚葉の叔父さんが俺の父さんということは俺と柚葉はいとこ同士ということになる。

「どうやって、この家に住むことになったのか興味があるけれども、とてもとても凄い偶然だとしか言いようがないね。弟くんのお父さんがいなくなったとき、あたしは六歳ぐらいだったよ。うっすら顔を思い出せるほどだね。君が家を出てから、何か役立つものはないかと、納屋を漁っていたら、君のお父さんのものが出てきてね、彼にはお兄さんがいることや、神島こうのしま市の出身だということがわかった。それで、ほいほいやってきたってわけさ。柚葉ちゃんのお父さんはここにはいないのかい?」

「父はずっと前に交通事故で他界しました」

「ありゃりゃ、そりゃ残念だ。お父さんから、もっと詳しいことが聞けるかもしれないと思ったんだがね。ふむ、こればかりは自分で調査するしかないね。そうだ、しばらくここに泊めておくれよ」

 急な頼みに窮している柚葉の代わりに答えた。

「急に来て、何を言っているんだ。そんなことできるはずないだろう」

「どうしてだい? 他にも部屋は余っているようだし、ちゃんとお金は払うよ。それに、弟くんだって急に来たタチじゃないのかい」

 何もかもを知っているような桐子の言葉に俺が顔を歪ませていると、柚葉は平静を取り戻したようだ。

「大家はお姉ちゃんなんです。お姉ちゃんに聞いてみて大丈夫だったらご滞在ください。それまでお待たせすることになりますが、家でごゆっくりされてください」

 桐子は「構わないよ」と答えて、俺に向かってウインクをした。


 夕食時になって、楓さんが帰ってきた。柚葉が桐子のことを説明すると、楓さんは二つ返事で桐子の滞在を認めた。

「私にとても似ている人が来たって言うじゃないか。そんな変人が二人もいると聞いては興味を持つってものだ。いや、しかし本当に似ているね。いつまでも滞在してくれ給え」

 自分で変人とわかっていたんだなと感心していると、桐子のほうも楓さんに興味を持ったようで、失礼なほどじっくりと観察している。

 桐子は自分の中で納得がいったのか、楓さんに満面の笑みを向けた。

「それはありがたい。ウチの弟くんはともかく柚葉ちゃんのような可愛い子と一緒に住めると思うと楽しみでしょうがないね。ウチの妹はさっぱり元気がなくなってしまって、妹成分が足りなくなっていたところでして」

 桐子は俺の心に棘を刺しながら――本人にはその気はないだろうが――柚葉の腕に絡んでいる。

 柚葉が話はそれまでというように手を叩いた。

「さ、ご飯にしましょう。今日は桐子さんもいらっしゃったし、少し頑張ってみたんだ」

 机の上には柚葉が言う通り、いつもより少し豪勢な料理が並んでいた。

「ほう! これはごちそうだね。弟くんや祖母の料理はマズいってわけじゃないんだけれど、少しばかり質素でね。いや、作ってくれるだけありがたいとは思っているよ」

「へぇ、感謝してくれてるとは初めて知ったよ。その言いようだと、今はばあちゃん一人に料理を作らせてしまってるんだな……」

「あたしが作ったら、ばあさんはもっと面倒を抱えることになると思わないかい。桜は家庭的に見えて料理はさっぱりだしね」

 桜は料理を作れたとしても、桐子が言う通りの状態なら何もできないだろう。

 俺が暗い顔をしていたからだろうか、柚葉が話題を変えた。

「桐子さんの地元はどんな所なんですか?」

 俺は柚葉の問いに村のことを思い出す。特に特徴がある村ではない。畑の中にぽつぽつと家があり、過疎化の影響を多分に受けている。遊ぶ所など山の中しかなく、子供の頃はゲームセンターなどに憧れたものだ。

 神島市と比べて良いところは自然にあふれているところぐらいだろうか。

 桐子も同じ意見を持ったらしい。桐子は苦笑した。

「どんなところかー。はっきり言って何もないね。よく言えば自然がたっぷりだ。神島市とは同じ国とは思えないほどにね。鬼が住んでいるという伝説まであるんだよ」

 桐子はちらっと俺の方を見た。鬼という単語に動悸が激しくなったが、話に反応したのは俺一人ではなかった。

「鬼だって? それは興味を惹かれるね。私は少しばかり民俗学を学んでいてね、その手の話は大好物なんだ。詳しく聞かせてくれないかい」

 楓さんは机に肘をついて眼鏡を少し触ると、桐子の話を聞く態勢をとった。

「またまた似ているものですね。あたしも民俗学を専攻してまして、地元の伝承を調べたりもしたのですよ。そうですね。ここ、神島市も無関係ではありませんし、お話しましょう」

 桐子は一口お茶を飲んだ。

「千年ほど昔、神島は鬼島おにじまと呼ばれてまして、鬼が住んでいたと言われています。鬼は人にとって恐怖の象徴でした。そこで都から討伐軍が鬼島へ派遣され、鬼は退治されたり土地を追い出されたりしました。そんでもって、その土地に二度と鬼が住みつかないようにと神に願い、神島と名前を変えたってわけです。ここまでは、わりと有名な話なので楓さんもご存知でしょう」

 桐子の話に楓さんは頷いた。

「そこから先なんですが、都の軍勢から何とか逃げ延びた鬼たちは一族に分かれて各地に隠れ住んでいるっていうんです。その一つがあたし達の地元だと言われているのですよ」

 そこで楓さんが質問を投げかけた。

「なるほど。ところで、鬼はなぜ鬼と呼ばれていたのだろうね。私は人とは異なる能力を持っていたと考えているが、もしかしたら、ただの山賊や海賊だったという可能性もありえる。そこのところを君はどう思うかね」

 桐子はまるで答えを用意していたかのようにすんなりと応じた。

「あたしも鬼は異能の存在だったと思いますね。なぜなら、都からの軍勢には退魔師や巫女が帯同したと資料に書かれているからです。山賊相手では彼らはただの役立たずでしょうが、鬼が悪魔のような存在だと考えられていたってなら、連れてこられても納得できますからね。ただ、都の人たちが勘違い野郎だったという可能性は否定できませんが」

 楓さんは質問を続けた。

「人とは違う能力を持っていたとして、いったいどんな能力を持っていたんだろうね。メルヘンな私はそこのところが一番気になるのだよ」

 鬼の話のどこがメルヘンなんだろうかと思ったが、俺も能力については気になる部分である。

 もし、桐子の話にヒントがあるとしたら、能力を扱うのに役立つかもしれない。

「そればかりははっきりとはしませんが、能力は一族によって違ったんじゃないかなぁ。人にも各分野において能力が違うでしょう。力持ちの鬼や足が速い鬼、治癒能力が高いなんてのもいたかもしれない。伝説の吸血鬼なんていいですねえ。ちなみに、あたしの地元に住みついた鬼は人の心を操る能力を持っていたと言われていますよ」

 最後の言葉についつい俺は桐子に詰め寄ってしまった。

「心を操る能力だって!? それはどういう風に操れるっていうんだよ。心を読んだり……人の記憶を見れたりするのか?」

 桐子は微笑を浮かべて、お手上げだという風に両手をあげた。

「知らないよ。知ってるわけないじゃないか。あたしは鬼じゃないし、鬼に会ったこともない。会ってみたいもんだけれどね。心を操れるなんてものは、もはや超能力や魔法のようなものだよ。事実なら楓さんが言うようにとてもメルヘンだけれども、信じきれるものじゃないね」

 興奮してしまった自分を抑えるように水を飲んだ。楓さんは話を聞く態勢を解いた。

「非常に興味深い話をありがとう。私の創作意欲も増すってもんだよ」

 桐子は料理を口に運びながら、それは良かったと満足げだった。

「ところで、神島市では連続猟奇殺人事件が起きてるね。あたしはそれこそ鬼の仕業、いや鬼だけと限定することはできないか。何か異形なものの仕業だと考えていてね、こちらに滞在しているうちにその件も調べてみたいと思っていたんだ」

 調子に乗っている桐子に俺は顔をしかめた。

「食事中にする話じゃない。それに危険なことはやめてくれよ」

 なぜだいという顔をしている桐子に、俺は諦めかけていた。

 桐子は興味を持ったら後先考えずに突っ走るタイプである。たとえ危険だとわかっていても好奇心のほうが上回って、行動に移してしまうことが多い。

 俺が困っていると、ずっと黙っていた柚葉が俺に同調してくれた。

「そうですよ。お姉ちゃんも調査したいだなんて言ってたけれど、お姉ちゃんは文献でも探して、ゆっくりと物思いにふけっているのがお似合いだって言ってやったんです。危険な仕事は警察に任せておけばいいんです」

 その言葉に桐子と楓さんは苦笑した。それからは他愛のない話をしながら、まだ温かい食事をとった。


 文化祭が終わっていつもどおりの学校生活を送っていたが、ある日、俺と長親ながちかは理事長室に出頭させられていた。楓さんはいつものようにソファーに寝転がっている。

「やぁ、よく来てくれたね。のんびりしてくれたまえ。お茶でも飲むかい」

 俺は慣れっこだが、長親は初めての理事長室なのか少し緊張しているようだった。

「お茶はいいですが、今日は何の用ですか?」

 楓さんは残念だという顔をして、話を続けた。

「文化祭のコンテストで君たちは優勝しただろう。その賞品をまだ渡していないと思ってね。ほら、賞品はこれだよ」

 そう言って、楓さんは四枚の紙を俺に渡した。紙を見ると、和風建築の建物と露天風呂の写真が載っている。

「温泉無料チケット? これが賞品ですか?」

「そうだよ。日頃の疲れを温泉で取ろうじゃないか」

 温泉には行ったことがないから興味はある。

「なんで四枚なんです?俺と長親なら二枚でいいじゃないですか」

 楓さんはひとさし指をチッチッチというように動かした。

「野暮なことを言うもんじゃない。ペアチケットだよ。君たちは涼宮すずみやちゃんや柚に世話になっただろう。そこんとこ、ちゃんと労ってあげなきゃ不公平ってもんだ」

 柚葉の件は楓さんのせいなのだが、確かに助けてもらったので、何かお返しをしたいと思っていたところである。

「そうそう、六条ろくじょう先生も同行するからね」

 六条先生もミス・コンテストで優勝しているので、当然賞品を貰う権利がある。

「六条先生のペアは誰ですか?」

 楓さんは親指を立てた後、その指を自分に向けた。

「もちろん、私だよ」

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