鬼の舞台

 神祭かみさいも後半を迎え、大盛り上がりの中、ついに2年A 組の演劇の時間がきた。長親ながちかはまだ目を覚ましていない。かえでさんは何とかすると言っていたが、簡単にヒロインの代えはきくものではない。クラスのみんなの不安が伝わってくる。六条ろくじょう先生に相談したいが、コンテストでのキスの一件以来、話せていないし、先生も何かずっと考え事をしているようだった。万策尽きたと思ったとき、勢い良く舞台裏のドアが開いた。

「待たせたっ!」

 元気よく楓さんが入ってきた。後ろには柚葉ゆずはもいる。

「楓さん、ヒロインの件はなんとかなりそうなんですか? 長親は無理ですよ」

「大丈夫さ。ちゃんとヒロインの替え玉は用意してきたよ。さ、柚。君がヒロインさ」

 柚葉の目がいっきに大きくなった。

「何言ってるのよ、お姉ちゃん! 急にヒロインなんてできるはずないじゃない!」

 柚葉の当然の反応にも、楓さんは余裕をみせている。

「私は知っているのだよ。柚が毎日劇の練習を見ていたことをね。ヒロインのセリフや演技だって、だいたい覚えているのだろう。私の妹なら覚えているはずさ。それにミスコンの二位なのだよ。これ以上ヒロインに相応しいものがいるかね。いや、いない!」

「おねえちゃ――」

「それにね、柚。これはチャンスなのだよ。それは――」

 楓さんが柚葉の耳元で何かを言っている。聞いた柚葉はまた目を見開き、顔が赤くなっている。俺がだんだん不安になってきたとき、クラスの女子たちが動き出した。

「衣装を柚葉ちゃんのサイズに合わせるから、みんな手伝って! 進行は多少変わるかもしれないけど、みんな焦らないでね。先生! 六条先生!」

 考え事をしていたのだろうか、六条先生は驚いて生徒のほうを見た。

「柚葉ちゃんの演技指導をお願いします。ギリギリまで仕上げて、いい舞台にしたいですから」

「わかったわ。柚葉、台本を持って、こっちにきてちょうだい」

 意気消沈していたみんなの顔がやる気に満ちてきた。長親には悪いが、アクシデントのおかげで、クラスが一つになっているのを実感していた。俺も衣装に着替えて最後の練習を行っていたとき、ふいに声をかけられた。

「あなたはいいヤツなのか、悪いヤツなのか、どっちなの」

 六条先生のキツイ声が俺に突き刺さる。

「その質問の意味はわかりませんが、俺は……どっちかわかりません。でも、先生や柚葉たちにとってはいいヤツでいたいと思ってますよ」

 俺の答えを聞くと、六条先生は表情を和らげて、微笑みを浮かべた。

「まったく、私の唇を奪おうとして、いいヤツでいたいなんて、よく言えたものね」

 奪われかけたのは俺なのだが、六条先生といつも通りの会話ができて、俺は安心して演技の練習に打ち込んだ。

「そろそろね」

 六条先生がそう言った少し後だった。

「続きまして、2年A組 演劇 『従者じゅうしゃの願い事』 です」

 学園のホールで拍手が起こる。緊張と興奮で一度体が震えた。役者たちは緞帳が降りた舞台に上がる。ブザーが鳴り緞帳があがっていくとともに緊張感も上がっていくのが感じられる。 


「本来ならば貴様のような卑しい身分のものは従者になどなれぬ。されど姫様のお達しだ。まったく、なんでこのようなものを従者に」

 物語は少年が公国の姫の従者としてお城に上がるところから始まる。

 ある日、姫の帽子が木に引っかかってしまった。誰も取れないで困っていた所、少年が帽子が取れたら願いを叶えてくださいと言って帽子を取ってきた。姫は少年に恋をし、ずっと断っていた従者に少年を抜擢したのである。

 その後、姫と従者は成長し、姫に結婚の話が舞い込んでくる。しかし、姫は従者に恋をしていた。

「お父様、私はどこの貴族とも結婚したくありません。お願いです。従者と結婚させてください」

 この言葉に怒った公爵は、従者に体罰を与え、城から出るように通告する。姫は自分の我儘のせいで、従者がこのような目にあったことを悔やむ。姫はせめてもと、従者の傷の手当をしようとするが、傷は全て癒えてしまっていた。

「私は普通の人間ではありません。このような傷など癒えてしまう吸血鬼なのです」

「父はあなたに酷いことをしました。あなたのその力があれば、いくらでも反抗できたでしょうに、しなかった。人間でも悪いことをする人はたくさんいます。あなたが吸血鬼だとしても、正しいことができる人だと私は思っています。だから……」


 柚葉は潤んだ目で俺を見ている。俺はもし、柚葉が姫のように俺の正体を知っても、信頼してくれたらどれだけ幸せだろうかと考えていたが、この後は脚本に大きく書かれていたキスシーンである。長親とやっていたときでも恥ずかしくてできなかったので、柚葉とはより一層緊張するだろうと思っていた。

 しかし、柚葉の演技は初めてとは思えないほど素晴らしく、お互いに姫と従者に感情移入したかのようで、とても自然にキスシーンのふりをすることができた。

 次のセリフに入ろうかと思ったときである。柚葉がさらに顔を近づけてきたために、唇が触れてしまった。客席がざわめく。柚葉は目を閉じたまま、唇を離さない。俺は焦って柚葉を引き離そうとしたが、そのとたん、また頭の中に映像が流れてきた。


 目の前に棺桶が2つ並んでいる。夫婦だろうか、1つは男性、1つは女性のものだった。その顔を見ると、悲しみが溢れてくる。棺桶にみんなが花を手向ける。震えていると、手を握ってくれる人がいた。その人の顔を見ると……。


 驚いた俺は現実に戻ってきた。まだ柚葉とのキスは続いている。しかし、先程とは違って、俺も柚葉も涙を流していた。

 見ている人にとっては迫真の演技に見えたのだろうが、なぜこうなったのか俺は混乱したままだった。

 柚葉のほうから唇を離し、長いキスが終わった。


「今のは結婚の証。誰も私達の思いだけは離すことはできません」

 従者はもう一度、姫の側に戻ることを約束して、城を出ていった。姫はもう二度と従者と会えることはないだろうと泣いたのである。


 ここで前半が終わる。セットを変えるために、役者はしばらく舞台裏で待機する。

 柚葉のことが気になり、キスのことや、さきほど見えた映像について聞こうとした。

「柚葉、さっきのはな――」

「ジョー君。今は演技に集中しよ。とってもいい舞台になってる。みんな輝いて見えるもの」

 柚葉はそう言うと、六条先生のところへ演技指導してもらいに行った。たしかに良い舞台だが、あれは不意打ちすぎるだろう……。


 演劇は終盤を迎えていた。

 もう一度、姫のもとへ帰ってきた従者だったが、戦争によって傷を負う。助かる手段はあるが、従者は悩む。

「なんてこと。そんな簡単なことで、あなたと私は結ばれるのですね。もっと早く言ってくれれば良かったものを」

 しかし、姫は従者の悩みなどふっ飛ばしてしまうのである。そうして、その後の長い人生を幸せに過ごした。


 客席は拍手で包まれていた。

 クラスのみんなは泣いたり喜んだりしていた。だが、俺はどこか寂しい気持ちになっていた。

 従者は正体を明かしても、愛され、幸せな人生を送っていく。俺ははたしてどうだろうか。柚葉や先生たちに正体を明かしたとき、俺を受け入れてくれるだろうか。

 桜のことが心をむしばむ。

「こら、柚葉の唇までを奪っておいて、その顔はなにかしら」

 そんなに酷い顔をしていたのだろうか、六条先生が俺の肩を叩きながら微笑んでいた。

「みんな、いい演技だったわ。うちのクラスは本番につよい生徒ばかりね。それに、柚葉、本当に助かったわ。素晴らしかった。キスシーンまでばっちりね」

 六条先生がそう言うと、生徒たちが一斉に冷やかしの声をあげた。

 柚葉を探したら部屋の隅っこで小さくなって顔を赤くしている。演劇の最中は、柚葉はそんなに気にしていないようだったが、今はあのときの強さは微塵もない。

「柚葉、ほら、あれは劇に夢中になってたんだよ。なんていうかな、事故みたいなものだ、俺は気にしてないから、柚葉もそんなに恥ずかしがるなよ。俺まで恥ずかしくなってしまうだろ」

「ジョー君は嫌だった?」

「え、嫌ってことはないけど、ちょっとビックリしたかな。それに嫌って言ったら柚葉のほうだろう。急にヒロインにされて、キスシーンまでさせちゃってさ」

「そっか」

 柚葉は少し笑ってから友達の輪に加わっていった。

「なんなんだよ」


 神祭は終わりが近づき、神輿が担がれていた。なんでだと長親に聞いたら、「神祭だからだよ」と簡潔な答えが帰ってきた。神輿は凄い豪華だし、周りで舞っている巫女も神々しい。その中には柚葉もいた。

 劇が終わった後はキスのことばかり考えていたが、落ち着いてくると、キスシーンの合間に見えた映像を思い出していた。

 暴漢や後藤から『吸った』ときイメージのようなものが流れてくることはあった。しかし、柚葉のときほどはっきりした映像ではなかった。

「そういえば、六条先生のときも見えたな」

「私がどうしたって?」

 隣から聞こえた声にビックリすると、そこには六条先生がいた。声に出していたのかと後悔し、どう言い訳しようかと考えていたら、六条先生のほうから話しかけてきた。

じょう、少しあちらで話しましょう」

 六条先生はそう言って、人気のない校舎裏のほうを向いていた。コンテストのときや劇のこともあり、一気に緊張感が増した。六条先生についていき、いよいよ人気がなくなったときに先生は振り返り、俺の目をじっと見た。美しい目が俺の心を見通しているようだ。

「単刀直入に言うわ。丞、あなたは普通の人間じゃないでしょう」

 不意打ちだ。俺は動けなくなった。バレてしまった。なぜだ。俺はなにかヘマをしてしまったのではないか。思考が巡っていく。

 そして何よりも思ったことは、この街にいられなくなるのではないかということである。

 七幸なゆきの家を出たことを思い出す。長らく忘れていた、忘れさせてくれていた環境がここにはあった。それをまた失うのか。

「な、なにを言ってるんですか。普通の人間じゃないって。そりゃ少しは変わっているかもしれませんが、わざわざ言うほどではないでしょう」

 俺はギリギリの冷静さをもって、六条先生の質問に答えた。

「そうね。普通こんな質問はしないわ。だからこそ、私の言っていることがあなたには伝わると思っているのだけれど。丞は自覚してないかもしれないから、もう少し、わかりやすく言うわ。あなた、異形いぎょうや怪奇といった存在でしょう」

 冷や汗が止まらない。表情を保っているだけで精一杯だ。それもいつ崩れるかとう瀬戸際だった。なんとか誤魔化すしかない。そうしなければこの生活は終わってしまうかもしれないのだ。

「先生、この世で異形や怪奇現象なんてものは物語の中だけですよ。劇を見て、影響を受けちゃったんじゃないですか」

「そう、認めないのね。コンテストのキスのとき、あなたは私になにかしたわね。意識的にか、そうじゃないかはわからないけど、確実に私に何かしたのよ。だから、私はあなたを突き飛ばしたわ」

 キスのとき、たしかに俺の中に映像が入ってきた。苦しんでいるどこかで会ったような女の子と話をした。だが、あの映像と先生が関係しているとは確信が持てない。

 黙っていると、六条先生はため息をついたあと、笑顔を俺に向けた。

「まあ、こうなるとは思ってたけど、やっぱり言うしかないわね。どうして異形がいるかって信じているかというとね……私自身が異形だからよ」

 俺が異形じゃないかと言われたとき以上に驚愕した。この世でおかしいのは自分だけだと思っていたのだ。まさか、こんな近くに同じ境遇の人がいるとは考えもしていなかった。

「何ていうのかしら、世の中でいう吸血鬼ってやつね。別に血を吸わなくてもいいのだけれど、劇のように傷は治るし、血を吸えば仲間を増やすこともできるわ」

 六条先生はいつもとは違う軽い口調ですらすらと自分のことを話し始めた。

「さて、あなたの能力は何かしら。キスをしたとき、何をしたの。私にここまで話させたんだから、言ってもらわなきゃ、私もある程度の措置を取らざるを得ないのだけれど」

 先生の笑顔は今までとは違う。これ以上誤魔化すことはできない。

「異形……自分でそう思っていました。能力が何かはわかりません。力が強くなったり、人を抜け殻のようにしたことがあります。こんなのおかしい。俺だけが変わっているんだって。世の中に俺みたいなのがいちゃいけないんだって。そう思っていました。でも、先生が打ち明けてくれて、俺だけじゃないんだって安心感を正直抱いてます」

 俺はずっと誰かに言いたかった気持ちを何とか伝えようとした。六条先生は黙っている。続きを促しているようだ。

「コンテストのときの話をします。先生とキスをする瞬間、映像が流れ込んできたんです。ベッドで苦しんでいる女の子を観察していました。ナースコールを押そうと必死になっている少女になんとなく言ったんです。『助かりたいか』と」

 六条先生は懐かしいような悲しいような顔をしていた。

「それは私の記憶よ。今でも覚えてる忘れられない記憶。私は子供の頃に出会った女の子は病弱で、もう数年も生きられないと言われていたわ。毎日苦しみを味わっていた。唯一心が和んだのが窓の外の椿の花を見ていたときだったそうよ。椿ってすぐ花が落ちてしまうからほんとは縁起が悪いらしいのだけど。ある日、とても苦しんでいる日があったわ。必死でナースコールを押そうとしていた。もう助からないと確信したから声をかけたの。助かりたいかと。一瞬、彼女は私を見て苦しみを忘れたような顔をしたわ。そして、彼女は即答した。私は彼女の首筋に歯を立てた。それから彼女はまったく苦しまなくなった。医師や家族は奇跡だと言って、祝福していたわね。これが私が吸血鬼として初めて能力を使ったときよ」

「じゃあ、俺が見たのは先生の記憶」

「そうかもしれない。だけど、もっと強いものをあなたから感じたわ。それが何かまではわからなかったけど」

 六条先生は少し考えるように伏し目がちになった。そして何かを決断したかのような顔で俺を見つめている。

「私はあなたを信じることにする。何かあったら相談しなさい」

 そう言って、六条先生は校舎裏を跡にした。汗だくになった俺のシャツは秋の夜風によってすっかり冷やされていた。

 そして、さきほどの会話をもう一度思い出す。

 異形が俺だけではなかったという事実は怖さとともに安心を感じさせてくれた。六条先生が俺のことを信じてくれたことも嬉しかった。

 だが、俺はまだ俺自身のことがわかっていない。記憶を見る能力。それが俺の能力だとしても、俺はそれを制御できていない。どんなときに、どんなことをしてしまうかわからない。また、桜のときのようになってしまうと思うと震えがくる。

 六条先生の協力を仰いで、自分を見極めなくてはならない。

 校庭のほうは、さらに騒がしくなっている。後夜祭が始まったようだ。どたばたの文化祭だったなと校庭のほうへ駆けった。

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