鬼の相棒

千早ちはやじょうです。今日からよろしくお願いします」

 転校とはこういう感覚か。

 俺は2年A組の教室で多少緊張しながら自己紹介をしていた。六十ほどの瞳が俺のことを興味深そうにじっと見ている。

 しばらくすると、教室の中はざわめきだした。隣同士や前後の席でひそひそと話をしているようだ。それを見て、六条ろくじょう先生は教卓を軽く叩いた。

「はい、質問は個人的にしてちょうだい。千早君、君の席はあそこね」

 六条先生は後ろの方の席を指した。

 席につくと、さっそく隣の男子が話しかけてきた。

「ねえ、君、背が高いね。それに凄いイケメンだよ。うらやましいなぁ」

 その男子は比較的背が低く、幼くて綺麗な顔をしている。一瞬女子かと思ったが、男子の制服を着ているからには男子だろう。

「あ、僕、加賀かが長親ながちかだよ」

 まったく見た目と名前が一致しないなと思ったが、それは失礼か。

「よろしく加賀君」

 すると、少し拗ねるように、「長親でいいよ」と彼は言った。

「もう仲良しかしら、加賀君、千早君」

 あ──と思ったときには遅かった。

 六条先生が笑顔で二人の目の前に立っていた。

「加賀くん、あとで職員室に来なさい」

「え……僕だけ!」

 長親は涙目でこっちを見てくるが無視した。転校初日に職員室に呼ばれていては、悪い噂しか立たない。俺は静かに過ごしていくつもりなのだ。

「千早君は生徒指導室ね」

 ――なんてことだ。

 横を見ると、長親が嬉しそうにしていた。


 授業が終わって、六条先生に付いて、生徒指導室へ入った。

「ごめんなさいね」

 そう先生は始めると、

「ここぐらいしか、ゆっくり話せなくてね。聞きたいこともあるし」

と、思いもよらぬことを言った。怒られはしないとわかっていたが、謝られるとは思わなかった。

「君はC組の千早さんの親戚なのよね。千早さんのお姉さんの勧めで入学したのよね」

 ──なんだ、そんなことか。

 別に隠すことではないが、なぜ聞くのだろうと思った。

「理事長ったら、また勝手なことをして。」

「理事長?」

 つい聞き返してしまった。

「そうよ。この学園の千早楓理事長。知らなかったのかしら。それはそれで、不思議な事ね」

 ──しまった。

「いや、学園の関係者だとは聞いてましたが、まさか理事長だとは」

 なんとか誤魔化そうと本当のような嘘のようなことを言った。

「ふーん。そうなのね。まぁいいわ」

 確実に怪しんでいるが、とりあえず、この場は切り抜けたらしい。

「前の学校では勉強はどのくらい進んでたのかしら。この学校は進学校なこともあって、少し難しいかもしれないから、わからない所があれば、いつでも相談しに来なさいね」

 優しい先生だ。顔が小さくて鼻筋がとおり、宝石のような美しい目にどこか惹き込まれそうになる。長い髪の毛をアップにしているところは可愛らしい。少しキツそうに見えるがモテるだろうなと思った。

「さ、戻りましょう」

 

 教室に戻ると、長親がダッシュで近づいてきた。

「丞! 大丈夫だったかい」

 ああ──と答えて、席についた。何か騒がしいなと思ったら、クラスの女子が集まって、こっちを見ながら何か言っているようだ。クラスだけじゃない。廊下からも生徒がこっちを見ていた。

「ねえ! 千早君。柚葉ゆずはちゃんとは、どういう関係なの?」

 一人の女子生徒が尋ねてきた。

 またかと思いながら、

「親戚だよ」

 と嘘の真実を伝えた。


 かえでさんにお願いしたのは名字のことであった。

 七幸なゆきを名乗って学校に入っていては、どこかで噂を聞きつける人がいるかもしれない。せっかく得た機会を無駄にはしたくなかった。

 その理由は言えなかったが、楓さんと柚葉に頼んで、名字を借りると同時に親戚ということにしてもらいたいと頼んだ。

「なるほどなるほど、そっちのほうがスムーズかもね」

 怪しむ素振りもなく、楓さんは了解してくれた。

 

 しかし、そのことが、これほど生徒の間で反響を呼ぶとは……。

「そういうことじゃなくて!」

 女子生徒は少し興奮気味になってきた。顔は少し赤くなり、鼻の穴が広がっている。

「柚葉ちゃんの恋人なのかってこと」

「恋人なんかじゃないよ」

 ここはきっぱりと言っておかなくては柚葉に迷惑がかかるし、これからの学校生活に支障が出る。

「じゃあ、昔からの許嫁かしら!」

 ああ……生徒たちは俺というおもちゃを手に入れたのだ。そう簡単に手放すはずがない。クラスメイトたちは俺と柚葉のことで勝手に妄想を膨らませているのだろう。あちらこちらで嬌声が聞こえた。

「ジョー君!」

 間が悪いことに柚葉がクラスに入ってきた。

「ジョー君。一緒のクラスになれなくて残念だね。一人でも大丈夫そう?」

 今、大丈夫じゃなくなってきている途中である。俺は頭を抱えた。

「やっぱり、あの二人なにかあるわよ」

 そんな声が聞こえてくる。教室中の全ての瞳が俺たちに注目しているように思えた。このままでは噂が広がるばかりである。

「柚葉、ちょっと外に出よう」

 柚葉の手をとって外に出ると――

「きゃーっ」

 黄色い歓声が飛んできた。


「どうしたのジョー君?」

 屋上に行くと、柚葉はそしらぬ顔で聞いた。二人の距離感の問題について、説明した。

「そんなの私は気にならないよ。私はジョー君の親戚で家族なんだから」

 柚葉は少しふくれたような顔で言った。その顔はとても愛らしくてドキッとした。

 嬉しくて、「そうだな」としか言えなかった。柚葉が気にならないというなら、多少おもちゃにされようが構わない。

「あれ、すみれちゃんだ」

 感慨深い心境になっていると、柚葉が屋上の端の方を見て言った。そこには一人の女性が立っていた。女性の服装は白いニットにグレーのロングスカートで、髪の毛は軽くウェーブがかかっており、とても清潔感がある。

 柚葉の声を聞いて、そこにいた女性は振り向いた。

「あら、柚ちゃんじゃない。どうしたのこんなところで」

 女性はそう言いながら近づいてきて、俺の方を見た。その目は俺を怪しんでいる風ではない。どちらかというと興味を持っているようだった。

「柚ちゃんにも春がきたのね」

 女性は嬉しそうな寂しそうな声で言うと、柚葉が慌てだした。

「そ、そんなんじゃないよ。今日転校してきた親戚のジョー君です」

 柚葉が紹介してくれたので、俺は軽く会釈をした。

「まぁ! 転校生って柚ちゃんの親戚さんだったのね」

 女性はかなり驚いたようだ。

「私は養護教諭の涼宮すずみやすみれです。よろしくねジョー君」

 涼宮先生はたおやかに一礼したので、こちらも畏まって一礼を返した。

 涼宮先生はこれからよろしくね。と、笑顔でもう一度言うと、屋上を後にした。

「すみれちゃん、凄く可愛いでしょ!」

 柚葉が俺を試すように尋ねてきた。

 たしかに美人というより可愛いという表現が当てはまる女性だった。何よりも、仕草や、まとっている雰囲気が穏やかで女性らしい。

「あー、エッチな顔してる」

 心外なことだと思ったが、返事をせずに涼宮先生のことを考えていた。

 ――彼女は泣いていた。


 教室では相変わらず視線が集まっていたが、なんとか午前の授業を乗り切った。

 昼休みをどうすれば良いのかわからずにいると、長親が近寄ってきた。

「丞、昼ごはんはどうするの?」

 そういえば、考えていなかった。何も持ってきていないことを長親に伝えた。

「じゃあ、食堂に行こうよ。僕はいっつも食堂なんだ」

 ここ、私立神島こうのしま学院は全校生徒五百人未満と小規模ながら、綺麗な校舎や広いグラウンド、活発な部活動、可愛い制服などで、大人気の学校らしい。そんな学校に転入できたのも、確かにコネのおかげだなと六条先生の気持ちが少しわかった。

 食堂もホテルみたいなんだよと長親が自慢げに教えてくれた。食堂は前の学校にはなかったなと興味を持ち、了承した。

 長親と一緒に歩いていると、一部の女子が頬を赤らめて熱い視線を向けてくる。

 ――勘弁して欲しい。

「まったく職員室に呼ばれるなんて、災難だったよ」

 そういえば、長親は六条先生に呼び出しをくらっていたなと思い出した。

「そうだ。職員室の帰り、保健室の前を通ったら、後藤先生が出てきてね――」

 後藤先生というのは男性の数学教諭らしく、若くて、女子に人気があると長親が教えてくれた。

 ――保健室か。長親の話では何があったかわからないが、涼宮先生と関係あるのだろうか。


 豪華だが戦場でもあった食堂から帰還すると、放送が鳴った。

「2年A組の千早君。至急、理事長室に出頭してください」

 出頭とはなんて言い草だ。楓さんにもおもちゃにされているのかと辟易したが、理事長に呼ばれては行くしか無い。今度は何をしたのさと聞く長親に理事長室の場所を聞いて、向かった。

 数知れない視線を浴びながら、理事長室に着き、ノックをした。

「入りたまえ」

 立派な扉を開けて、中に入ると、そこは綺麗な応接室のようだった。

「やあ、ジョウ君。転校初日はどうだい。なんて、つまらないことは聞かないよ」

 いつもの調子の楓さんがソファに寝転がっていた。

「大事なのは、これからのことさ。やっていけそうかい」

 起き上がりながら、そう言った楓さんに俺は頷いた。

「なら良かった。ここは美人の先生も多いしね。ジョウ君にはとびきり美人の六条先生をつけておいたよ。感謝し給え」

 そんなところに権力を使っていたのかと呆れると同時に六条先生の困った顔が浮かんできた。

「ひとつお願いがあるのだけれど」

 楓さんは真面目な顔をして言った。

「加賀くんがミス・ミスターコンテストに出場するように説得してくれないかい」

 ……。

 呆気にとられた。俺は開いた口が塞がらず何もいうことができない。思考も停止してしまった。

「今度、文化祭があるのだけれど、そこに女装コンテストがあるのだよ」

 だんだん楓さんは興奮してきたようだ。

「加賀くんが出場したら良いと思わないか!」

 まったくもって、桐子とこの人は捉えきれない。変人と付き合うのは一人だけでも大変だったのだが……。

「なんで自分で説得しないんですか……?」

「去年、お願いしたんだけれども、逃げられてしまってね」

 ほう、長親やるじゃないか──と当時の苦労が目に見えるようである。

 そこでだと、楓さんは身を乗り出してきた。軽い香水の匂いがした。

「友達からのお願いなら、出場してくれるんじゃないかと思ってるんだ」

 長親と友達になった事を知っているとは情報が早い。

 たしかに長親は友情に熱い雰囲気を持っている。

 しかし、俺に何の得があるのか。率直に聞いてみた。

「得なんてないよ。ただ、ジョウ君には部屋を貸していたことを思い出してね」

 ――ひどい。これはお願いじゃない何かだ。

 反論できなくなったので、努力しますとだけ告げて、理事長室を後にした。


 保健室の前を通ると、男性の声が室内から聞こえてきた。それはとても優しげで楽しそうだった。

「すみれさん。結婚したら、どんな部屋に住もうかな」

 ――涼宮先生が結婚。

 突然の知らせに驚いた。涼宮先生の声は小さくて聞こえない。

 先ほど泣いていた涼宮先生は寂しそうに見えた。結婚を控えて何か思うところがあるのだろうか。

 もやもやしながら、教室に戻ると長親が心配そうな顔で犬のように近づいてくると同時に、女子から歓声があがる。

「丞、何を言われたの。」

 お前のことだ。とは言えず、文化祭について聞かれたんだと伝えた。

「文化祭のこと? 変なこと聞くんだね」

 さすがに長親も不思議がっている。だが、それほど気にしていないのか、それ以上追求してこなかった。

 長親は何か思い出したかのように目を大きくした。

「そういえば、文化祭にはイケメンコンテストがあるんだよ!」

 その言葉に教室の中が一瞬静かになった。そして、クラスメイトたちは一斉に騒ぎ出した。長親も興奮気味だ。嫌な予感がする。

「丞、出なよ! 絶対一位になれるよ! 僕が保証する!」

 男に保証されたくないと思ったが、ここはチャンスである。

「そうなのか。そういえば、ミス・ミスターコンテストってのがあるって聞いたな」

 長親の顔がみるみる青くなった。

「長親がそれに出るなら、俺もイケメンコンテストに出るよ」

 もう長親の顔は真っ青になっている。教室は俺たちの話を聞いたクラスメイトたちによりお祭り騒ぎである。

「俺は転校して間もないだろ? だからコンテストに出るには勇気がいるんだけど、せっかくできたと一緒に文化祭を楽しみたいんだよな」

 こんな取引を受けるはずがないと思ったが、長親はその幼女のような目をつむって、必死に考えている。結論がでたのか、長親は目を開けた。

「いいよ……出るよ!」

 まずい。非常にまずい。

「無理しなくていいんだぞ、長親」

 ──断れ長親。

「いや、丞はコンテストに出るべきだ。友達が文化祭を楽しめるなら僕は何でもするよ」

 女子たちが卒倒しそうになっていた。

 厄介なことになった。転校初日からこれでは、先が思いやられる。しかし、この新しい生活に少し充実感を持ってきていた。自分を受け入れてくれる人たちがいる。それが嬉しかった。

 このままでいられれば――。

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