鬼の住処

 夜は暗いというが、確かに知っている夜はいつも暗かった。

 だが、今日の夜はどうだ。灯りが煌々と照らす街の夜は昼より明るいのではないかと錯覚を起こすほどだ。


 どれほど歩いただろう。昼に村を出て、当てもなく遠くまでやってきた。それからどうすれば良いのかわからなくなり、歩き続けているうちに夜になった。はじめは大きな通りをずっと歩いていたが、いつのまにか裏道ばかり歩くようになっていた。

 ある暗い通りで柄が悪そうな男たちが集まっていた。その集団の横を通り過ぎようとしたときだった。

「助けてください!」

 その声が耳を貫き、足を止めた。あの光景がフラッシュバックする。助けを求めるさくらの顔が、血を沸騰させる。

 ──同じだ。

「おいおい、せっかく見ぬふりしようとしたのに、止めちゃったよ」

 帽子の男が振り向いて言った。

「おい、王子様、なんなら仲間に入れてやってもいいぜ」

 続けてそう言うと、周りの男たちは笑い声をあげた。まだ、声を聞く余裕があるのかと、自分でも驚いた。ゆっくりと男たちの方を向く。

「やるってのか。ちっ、タッパだけはデカイ野郎だな。オラ、俺が相手してやるよ」

 悪態をつきながら、手前の男が近づいてきた。どうやら前と違って、俺は普通に見えるらしい。しかし、腕を少し振っただけで、男は吹っ飛んだ。

「きゃっ!」

 ─―驚いたような声が聞こえる。

 やはり、普通ではない。他の男達も一斉に殴りかかってきたが、結果は一緒である。最後に残った帽子の男は汗をかきながら、

「兄ちゃん、顔に似合わず、強ぇじゃねーか。俺らが悪かったよ。勘弁してくれ」

と腰を曲げた。そのとき――ドスッ! と、鈍い音が暗い通りに鳴った。

「いやっ!」

 さっきより悲痛な声が横から聞こえた。

「へへ。んなわけねーだろ。よくもやってくれたな」

 帽子の男は先程より少し余裕気な声でナイフを握っていた。

 よくもやってくれたか。それはこっちのセリフだ。手が痛いじゃないか。

 俺はナイフの刃を手の平で止めたまま、帽子の男の首を掴んで持ち上げた。

「まじか……」

 帽子の男が途切れそうな声で言った。この手の男が素直に謝るはずがない。

 ……吸ってやろう。

 ふいに、そう思った。

 あのときのイメージからだろうか。本能に近いものがあった。

 ぐったりとしてきた帽子の男の顔を凝視していると――


「ダメです!」


 大きな声が響いた。

 俺は男を落とし、男はそのまま逃げていった。カランとナイフが落ちる。

 初めて声の主を見た。いや、いるのは知っていたが、見ようとしなかった。怖かった。女性は桜や俺と変わらない年齢に見えた。髪の毛は桜より長く肩にあたるほど。背丈は桜より少し高いだろうか。少し潤んだ綺麗な目でこちらを見ていた。

 大丈夫かと声をかけようとして、桜のことを思い出した。血の気がひいて、その場から逃げようとしたとき――

「待ってください!」

 女の子が俺の手を掴んだ。その手の柔らかさを俺は知っている。

「ひどい怪我をしています。救急車を……いえ、これで」

と、ハンカチを取り出し、俺の手のひらに器用に巻いていく。

 俺はされるがままだった。

 なぜ、この子は平気なのだろうか。昼より見た目が普通だったのだろうか。それとも……。

と、考えているうちに、

「はい! 終わりました。あくまで応急措置ですからね。あとで、ちゃんと治療してください」

 女の子は笑顔でそう言った。

 なぜだか涙が出そうになったが、さすがに格好悪い。

「君も危ないから、早く帰りなよ」

 この街にきて初めて喋った言葉だった。喉から絞り出したような声に女の子は笑顔になる。

「はい。ありがとうございました」

 何度もお辞儀をしながら、彼女は大通りのほうへ歩いていった。

 ハンカチからハーブと血の混ざった匂いがして、頭が冷静になってくる。

 そして、また当てもなく街を歩き続けた。その夜は手の怪我を隠して、カラオケ屋に泊まった。金もたくさんあるわけじゃない。これからのことを考えなければならない。


 次の日の早朝、カラオケ屋を出て、途方もなく歩いていると男たちに囲まれた。

「なあ、お兄さん、夜にウチのガキどもをやってくれたらしいじゃないですか」

 ボスだろうか。メガネをかけて、だらしなくスーツを着た男が落ち着いた声で言った。わざと開けていると思われるシャツの胸元から締まった体つきをしていることがわかる。そして、メガネの奥のギラついた目が印象的だった。

「ほう、なるほどな。そういうことか」

 なにかに気づいたのか、メガネの男は一人で納得したように、ブツブツ言っている。そして手を振り上げると、やる気のない声を男たちにかけた。

「まぁいいや。とりあえず、やっちまえ」

 それを合図に、周りの男たちが俺を掴んで殴り倒す。

 ――もういいや。

 何も考えずに殴られるままになっていたが、一つだけ思い残すことがあった。殴られながら、自然とハンカチだけは汚れないようにしていた。もう血で汚れきっているのに、それだけがおかしくて、笑みが浮かんだ。

「何笑っとんじゃい! 気持ち悪いやつじゃのぅ!」

 誰が言ったかはわからないが、そこで手が止まったようだ。メガネの男が覗き込んで言った。

「これに凝りたら……凝りたらねぇ……ハハ! まぁいいや。ここいらじゃ、静かにしておいてください。頼みましたよ。お兄さん」

 それを合図に、男たちは引き上げていった。

 ――はぁ、喧嘩なんてしたことなかったのに、昨日今日でなんだよこれ。

 もうこのまま、どうなってもいいか。桜たちに迷惑がかからないなら。

 そんな考えが浮かんだとき、

「ありゃりゃ、これはこれは」

 どこか聞き慣れた言い回しが聞こえてきた。

 ――とうねぇっ!

 と、思ったが壮大な勘違いだった。

 俺を上から眺めている女性は桐子とうことスタイル、顔、声や喋り方まで似ているものの、どこかまとっている雰囲気が違った。それに眼鏡をかけている。桐子が眼鏡をかけているところなど見たことがない。

「やあ、少年。生きてるかい。死んでるならラッキーかもよ。なんてったって、この私の人工呼吸、つまりチューしてもらえるかもしれないよ!」

 俺は唖然とした。何を言っているんだこの人はとツッコミたくなる気持ちになったが、

「生きてます」

と、素直に答えてしまった。

「そうかい! 生きてるなら、しっかり生きなきゃね!」

 俺を元気づけるように言って、女性は俺を抱き起こそうとした。

「やや。細身だと思ったが、さすがに男の子だね、とても背が高い。少年、私に抱きつきたまえ」

 俺はどうしようかと考えたが、女性の言うとおりにし、抱きかかえられながら目の前の建物の中に入っていった。

「とりあえず部屋に入れてっと。ゆず! お客さん連れてきたから、こっち来てよ」

 どこかの部屋に入ったらしい。

 女性の部屋だろうか、柚と呼ばれた人の部屋だろうか。落ち着いた色調の部屋だ。

 奥の部屋からパタパタとスリッパの音が聞こえてくる。

「こんな早くから何よ、お姉ちゃん。まったく――」

 その声を聞いて、ハッとした。

 少女はボロボロの俺を見て、怪しんでいるようだったが、俺の顔を覚えていたのだろう。

「あれっ! あなたは!」

 と驚きを隠せないように大きな声をあげた。

 また会えるとは思っていなかった。だけど、会いたいと思っていた。もう、二度とないかもしれないと思っていたものをくれた人。

 昨日の少女がびっくりしたような顔で固まっている。その顔を見ながら、俺は言った。

「ハンカチ。洗ってないけど、いいですか」

 

 まるで、数年ぶりというほど布団で寝るのは気持ちがよかった。あれほど疲れきった体が休まっているのがわかる。


 路上で拾われたのち、大家であるという姉妹から部屋を貸してもらった。そこには備え付けのベッドが置いてあり、それを見てすぐに倒れ込んだ。

「しっかり休んでね」

 そう聞こえたような気がしたが、意識は暗闇の中に落ちていった。


 今は何時だ。外はうっすらと明るい。部屋の時計を見ると六時を指している。朝だろうか、夕方だろうか、この時期はわかりにくい。

 ノックが鳴った。

 はいと答えると、ハンカチ少女――勝手に名付けている――が入ってきた。その格好は制服である。やはり同じ年頃のようだ。

「起きられたんですね。1日経っても目を覚まさないんで、心配しました」

 なるほど、どうやら倒れた日の夕方ということはないようだ。

「朝ですか?」

 非常に安直な聞き方でしまったと思ったが、

「朝ですよ」とハンカチ少女は明るい声で答えてくれた。

「そうだ。手の怪我を見てみないと」

 そうだった。俺はナイフで手のひらを刺されている。その痛みも忘れてすやすやと寝てたわけだ。まったく自分でも呆れる。

「あれれ?」

 手を見たハンカチ少女はとぼけた声を出した。

「傷がほとんどありません! あんなに血が出ていたのに……」

 自分でも手のひらを見てみた。

 本当だ。傷が塞がっている。血も全く出ていない。

 ――あの力のおかげか。

 そんなことを思った自分を心の中で笑っていた。

「不思議ですけど、よかったですね」

 ハンカチ少女は安心したような顔をした。

「そうだ。あなたのお名前を聞いてもいいですか?」

 少し躊躇したが、じょうという名前だと正直に教えた。

「ジョーさんですか。男らしい名前ですね! ボクシングのマンガの主人公が同じ名前でしたよね!」

 真下ましたのジョーのことだろうか。彼の放つ渾身のアッパーカットは防ぐことはできない。桐子がマネをして、俺の顎にクリーンヒットしたことがある。思い出したくない。

「ハンカチ少……君の名前はなんていうんだ」

 女の子の名前を聞くなんて体験は今まででも数少ないことだった。

柚葉ゆずはです。果物の柚に葉っぱの葉です」

「綺麗な名前だね」

 言った後で、なんて軽い発言をしたんだと悔やんでいたが──

「ありがとうございます!」

 柚葉は素直に喜んでいた。

「おーおー、お熱いことで何より何より」

 ドアの方向から違う声が聞こえてきた。

「お姉ちゃん!そんなんじゃないわよ。ただの自己紹介でしょ!」

「ふむふむ、その言い方はジョウ君に失礼じゃないかね。若いもの同士、エンジョイし給え」

 俺を助けてくれたお姉さんがビシッと親指を立てている。会話からして二人は姉妹のようである。

「お姉ちゃんだって若いでしょ。あ、また徹夜したんでしょ」

 眼鏡でわかりにくいが、たしかに、お姉さんの目の下にはクマができている。またということは日常茶飯事なのだろう。

「インスピレーション! ──が浮かんだのだから仕方あるまい。鉄は熱いウチに打てってね」

 何の話かわからないが、姉妹の仲はとても良いことが分かる。

 ――桐子と桜もこんな感じだったな。

 そんな思いにふけっていると、

「ジョウ君よ。君がどうして道で倒れていたかなんてことは聞かないよ。興味もない」

 お姉さんはふいにそんなことを言った。

「これからだよ。これからどうする気だい。帰るところがあるなら、帰ることをオススメするよ」

 真面目な顔で、本気で俺を心配して言っていると思った。

「……ありません」

 小さい声でそう答えると、

「そうかい。じゃあ、ここに住むといい」

 お姉さんは実に軽くそんなことを言った。

「いいんですか。こんな、どこの誰ともわからない奴なのに……」

 これから、どう宿をとっていこうか迷っていた俺はすぐに食いついた。

「いいとも。部屋は空いてるからね。柚がお世話になったみたいだし、お礼だと思い給え」

 等価交換だと言うような言葉は正直ありがたかった。

「よろしくお願いします」と俺は頭を下げた。

「やめ給え。これからは、家族のようなものだ」

 家族。その響きに怖さを感じた自分が嫌だった。俺は家族を捨ててきたのだ。

「そうだ。ご飯にしましょ。お腹減ったでしょ」

 そんな思いを吹き飛ばすように、柚葉が言った。

「そうだね。ジョウ君も一緒に食べようじゃないか」

「え、ご飯まで……」

 お姉さんの提案がありがたすぎて、すぐに乗っかることができなかった。

「家族のようなものと言っただろう。家族なら一緒にご飯を食べて当然じゃないかね」

 ビシッと親指を立てて、お姉さんは言った。自然と涙が出てきた。この家、この二人は本当に温かい。新しい家族の温もりに俺は涙を流し続けた。二人はその涙を笑顔で迎えてくれた。

「そうだ。私はかえでという。覚えてくれ給え」

 楓さんはそう言うと、ウインクをして部屋から出ていった。

「さ、行きましょ」

 柚葉についていくと、昨日入った部屋に着いた。洋風の木造建築は古いヨーロッパの家を想像させる。ところどころに置かれた小物が部屋の雰囲気を明るくしていた。

「この部屋は家族用になっているの」

 柚葉が説明してくれる。

「2階もあってね。二人で暮らしていても、狭くないのよ」

「二人?」

 その言葉にふいに聞いてしまった。

「そう。両親はもう死んじゃってね。それ以来、お姉ちゃんが私を育ててくれたの」

 柚葉はたんたんと答えてくれた。

 バカな質問を――と思いながらも、同じような境遇に親近感を感じていた。


 洋風の朝食を終えると、楓さんが落ち着いた声で尋ねてきた。

「君は学生だったのかな。学校はどうする」

「どうするって言われても、戻ることはできません」

 なぜ急に学校の話をするんだろうと思った。俺はすでに住所不定の人間だ。学校になんて行けるわけがない。

「私の知り合いに学校の理事長がいてね。転校生の一人ぐらい放り込めると思うのさ」

 放り込めるとは凄い言い方だなと思ったが、興味を持った。

「私も行ってる学校だよ。楽しいところっていうのは保証するよ!」

 柚葉が積極的に勧めてくる。

 ――いいかもしれない。

 また、年相応の生活をすることができるかもしれない。このまま落ちていくと思っていた世界に光が差したような気がした。

「行きたいです」

「それは良かった。やっぱり若者は学校へ行くのが一番さ」

 楓さんが親指を突き出しながら、笑った。

 つられて笑顔になったが、必要なことがある。

「一つだけお願いがあります」

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