異世界からの留学生がやたら私に甘えてくる

八百十三

異世界からの留学生がやたら私に甘えてくる

 東京都立豊玉高等学校の一年には、異世界からの留学生が一人いる。

 名前はゲアハルト・バッハ。15歳の男子で、高校1年生。

 どこかの国の首都にある、聖アロイジウス学園という学校から来ている。

 姿は有り体に言えば二足歩行の猫・・・・・・である。柄は茶トラっぽい。

 大きくて綺麗な紫色の瞳をしていて、おでこにはMが入っている。

 パッと見童顔なのだが、スラリとしていてめっちゃ背が高い。尻尾も長い。

 つまるところイケニャンである。

 日本語も英語も堪能で学業万能、運動神経は猫並み、それでいて男子にも女子にも優しいクラスの人気者。

 そいつが。

 私、結川ゆいかわ 美菜乃みなのの姿を見るや。


「美菜乃~~~!!」


 満面の笑みで駆け寄って。

 全身で私にすり寄って甘えてくるのだ。

 それこそ猫のように。


「ゲアハルト、やめてってば!これから図書室に本返しに行くんだから!」

「えー?じゃあボクも一緒に行こうかなー。あ、本持つよ、重いでしょ?」

「いいって!」


 留学してきて一ヶ月は経った頃から、こんな調子で人目もはばからずに甘えてくるのだ。

 周囲はすっかり私とこいつをカップル認定していて、私が甘えられる様を眺めながら他人事のように色々言ってのける。

 周囲からしてみればいい観察対象だろう、クラス一真面目で堅物な委員長と、それに引っ付き回る留学生の人外なんて。観察される側としてはたまったものじゃない。


「ねー美菜乃、部活終わったらさー、帰りに駅前の唐揚げ屋行こーよ」

「腹ペコか!ってか誘い方女子っぽいのに何でそこだけ!」


 今日もゲアハルトは、私にくっついて愛を振り撒いていた。




「はー……ったくあいつときたら毎日毎日、好きだって気持ちを隠そうともしないで」

「大変ねーあんたも、まぁいいじゃない。ハル君優しいしイケメンだし、悪い気もしないでしょ」


 自宅にて。

 私は夕食を食べながら、母親に愚痴を零していた。

 学校にいる間は勿論だが、登校中も帰宅中もゲアハルトにまとわりつかれるのが常態化しているせいで、私が彼の好き好き攻撃から逃れられるのは、家にいる間だけである。

 勿論、ゲアハルトについて愚痴を零せる相手も、家族だけに限られる。学校の友人に零そうものなら「それなんてノロケ?」と笑われて終わりだ。

 周囲が「ハル君」とあだ名で呼ぶ中、頑なに本名を呼び続けるのも私だけだし。

 それもこれもあいつのホームステイ先の家が、私の家の近所にあるのがいけない。ちょっと恨むぞ、1ブロック向こうに住んでる青木さんご夫妻。


「イケメンったって猫よ相手は。異世界の人よ。悪い気も何もあったもんじゃない」

「そう?高身長で細身、運動神経抜群、勉強も出来て語学も堪能、優しく気立てが良くてイケメン、おまけに育ちのいいおぼっちゃん。最強じゃない。

 もしハル君が人間だったらって考えてみなさいよ。高嶺の花なんてレベルじゃないわよ」


 腹立たしい気持ちをぶつけるように、駅前の唐揚げ屋でテイクアウトした唐揚げをかじり、飲み込んだ私に、母は手にした箸をこちらに向けてきた。

 ゲアハルトの出身はアトラール皇国という国の首都である、バルベという街だ。アメリカで言えば、ニューヨーク市に住んでいるようなものらしい。

 つまり、彼の家はびっくりするほどお金持ちだ。世界を超えて息子を地球に留学させられるのだから当然ではあるけれど。

 それならなんでうちみたいな普通の高校に留学を、という話ではあるが、国の規定で異世界人の留学生を受け入れられるのが公立高校だけなのだ。


「まぁ、確かにそんなハイスペックイケメンが学校にいたら、私が付き合えるはずないんだけどさ……」

「でしょ?それを相手の方から好いてくれているのよ、喜ばないと勿体ないでしょ」


 私の気持ちなどお構いなしに、さらりと言いながら雑穀米を頬張る母に。


「他人事だと思って……」


 小さく文句を呟きながら、私は箸で摘まんだ残りの唐揚げを口に運んだ。




 数日後の、朝。

 登校するために身支度を整え、鞄を掴んで靴を履いたところで、私は「あれ?」と呟いた。

 いつもならもっと早い時間にあいつが家の前で私を呼ぶのに、今日はそれがない。

 風邪でも引いたのだろうか。そんなことを考えつつ首を捻りながら家のドアを開けると、ちょうど青木さんちのお母さんが、私の家の前に来るところだった。


「あぁ、ちょうどよかった美菜乃ちゃん。ゲアハルト君ね、しばらく学校をお休みするから」

「はぁ……どうしたんですか?」

「それが、ご実家の方で何かあったらしくてねぇ……詳しくは聞けなかったんだけど」


 青木さんのお母さんも、困り顔で首を傾げていた。ホストファミリーの青木さんにも話せないような、深刻な話なのだろうか。

 首を捻りながら、私は一人で通学路を歩いた。

 ゲアハルトがくっついて来ない、視界に入り込んでこない、静かな登校。

 いつもならあいつを鬱陶しく思っているのに、今日はなんだか、不思議と寂しい。

 不意に、後ろから「やばい寝坊した!」とか言いながら塀の上を駆けてくるゲアハルトを想像してしまう。


「塀の上って……猫かっての」


 ふっと力無く笑いながら、私は高校の正門をくぐっていった。




 学校でも具体的な説明がされることは無く、「ゲアハルト・バッハはしばらく学校を休む」という話がされただけで。

 結局何であいつが急に休んだかも分からないまま、私は家に帰ってきた。

 そのまま夕食とお風呂を済ませて。宿題を終えた私がスマホ片手に部屋でごろごろしていると。


「美菜乃」


 小さく、ゲアハルトの声が聞こえた。

 驚きに目を開いて身体を起こし、周囲を見回す私の耳に、再び聞こえたあいつの声。それと、ガラスを叩く音。


「美菜乃、ボクだ。開けてくれないか」


 声の出所を察知して、ベランダに繋がる窓のカーテンを開く。果たしてそこには。


「……猫?」


 そこにいると予想していた、ゲアハルトの身体は無く。代わりにゲアハルトと同じ柄をした茶トラの猫が、紫色の大きな瞳で私を窓越しに見ていた。

 野良猫にしては毛並みも整っているし身体つきもいい。それにさっきの声。

 よく分からない感覚を飲み込めないままに、私はガラス窓を開けた。

 茶トラの猫はスルリと私の部屋の中に入ってくると、その細身でしっかりした身体を私にこすりつけた。

 その人懐っこい仕草で、私は一つの確信を得る。


「……ゲアハルト?」

「そう、ボクだよ」


 私の言葉を受けて、猫が人の言葉をはっきりと喋った。

 何故猫の姿をしているのか、どういう仕組みでそうなっているのか、聞きたいことは山程あるが。

 それより何より聞かねばならないことがある。私は床に腰を下ろし、座るゲアハルトと向かい合って口を開いた。


「なんで、急に休んだの?青木さんが、実家で何かあったって言ってたけど……」

「そう、その通りだ。

 ボクの故郷……アトラール皇国で大規模なクーデターが発生した。国民は次々に国を離れ、移り住んでいるらしい。

 ボクの家族もそうだ。数日も経てば、日本に亡命してくる・・・・・・・・・ことだろう。

 行政の手続きの為に、どうしても学校に行っている余裕がなかったんだ」


 ゲアハルトの言葉に、私は目を見開いた。

 亡命。

 日本ではなかなか耳にする機会のない言葉だ。世界史の授業で聞いたことがあるくらいだ。

 実際、難民の存在はニュースなどで耳にする。それも大概の場合は、政府が押し留めているそうだけれど。

 異世界からの亡命がうまくいくのだろうか、という私の心配をよそに、ゲアハルトは真剣な面持ちで話し続ける。


「祖国での地位も、財産も、友人も、全て捨てる決断をボクの父さんは下した。

 ボクの学生生活の充実ぶりを聞いて、日本ならば、と父さんは思ったそうだ。

 これから暫くは、日本での生活基盤を確保するために、既に日本にいる僕が動かないといけない……すまない」


 そこまで言って、彼は私に頭を下げた。

 言葉を返そうとするも、私は言葉に詰まってしまう。

 沈黙が流れる中、やがて絞り出したように、私の口が言葉を吐き出した。


「なんで……なんで私に謝るのよ。

 あんた私に、何も悪いことしてないじゃない。故郷ったって、政変でしょ?

 なんでそんなに、あんたが責任感じないといけないのよ」


 なんで、と繰り返す私に、ゲアハルトがそっと体を寄せてきた。

 柔らかい毛並みが、私の寝間着にそっと押し付けられる。


「ボクは美菜乃が好きだ。日本も好きだ。だがそれと同じくらい、家族も好きだ。

 ボクの家族が困っているなら、力になりたい。その為には、家族に対して責任を負わなきゃならない。

 家族を日本に迎えられれば、また学校に行けるから……それまで、待っていてくれないか」


 申し訳なさそうに言いつつ、ゲアハルトが私の足に前脚を乗せた。

 ぐっとそのまま身体を伸ばし、私の顔に自分の顔を近づける。

 そうして頬に、軽く口づけをすると。

 するりと私の傍から離れ、開けたままのガラス窓を抜けて、彼はベランダへと出ていった。


「夜更けに邪魔したね。抜け出したの気付かれる前に戻らなきゃ。

 今日はありがとう。また、学校で」


 そう、優し気な声色で言い残したゲアハルトの身体が、するりとベランダの柵を抜けて家の外へと出ていく。

 私は彼が出ていった開いたままのガラス窓を、閉めることも忘れて、ぼんやりと見つめていた。




 あれから一週間も経たないうちに。

 地球にはアトラール皇国から亡命してきた、人間以外の種族が住まうようになり、それぞれの国で生活を始めていた。

 受け入れを表明した国の中に日本があることに、世界は驚いたらしい。

 日本に亡命する異世界人の中に、大商家として名高いバッハ家がいることは、各国で大きなニュースになったそうだ。

 そして。


「ねー美菜乃、今日うち来ない?母さんがスイーツ作りにはまっちゃって」

「やめてよ鬱陶しい!拒否!」

「えー、こないだお家に差し入れたドーナツ、美味しそうに食べてたって、ボク美菜乃のお母さんから聞いたんだけどなー」

「だーもー、なんで知ってんのよ!」


 今日もゲアハルトは、私にくっついて愛を振り撒いていた。

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