きみの目に、はっきりと

宇多川 流

きみの目に、はっきりと

 なつきは、電車とタクシーを乗り継ぎメモにあった住所まで辿り着いて驚いた。古民家を安く手に入れて改修したと聞いていた通り、木造の壁にある薄い染みなどから古さは感じるものの、それも決して悪い雰囲気ではない。それ以上に住宅の間の隙間にあるようなもっと小さなものを想像していたのが、大きな建物だったので驚いたのだ。

 装飾は南国風で、それが建物の大きさで南の島にありそうという説得力を増している。

 ――なかなかやるじゃない。

 幼馴染みに内心舌を巻きながら、玄関をくぐる。外に面した入り口は木製の引き戸だが、風除室の次は自動ドアだ。

 風除室には〈定休日〉のプレートが立てられていた。飲食店で良く見かけるそれを無視することに、なつきはわずかばかり優越感を覚える。今、ここに入ることを許された客は一人だけだ。今は彼女の貸し切りなのだ。

 自動ドアを抜けると、並んだテーブルと椅子、その奥にカウンターが見えた。木目が多い景色の中、観葉植物も本棚も、テーブルの上のメニュー立てなども南国風だ。

「やあ、いらっしゃい」

 カウンターの向こうから声がかかる。普通に客を迎えたようなことばだが、白いエプロン姿の青年は喜びをこらえきれないような笑顔を向けていた。

「ずいぶん立派なお店じゃないの。驚いたよ」

 カウンターに近づきながら、彼女は尊敬すら込めたまなざしを送る。

 それもそうだ。高校を出て五年で夢を叶えてしまった幼馴染みの頑張りを、近くから遠くから、ずっと目にしてきたのだから。大学を出てから一年は遠く離れた町に就職し、インターネット通信や電話でのやりとりが主になっていたが、心の距離が遠くなることはなかった。

「古い公民館だけど、広過ぎるからなかなか買い手がつかなかったんだってさ。こんな田舎じゃ店を出しても客も来ないだろうし」

「あら、開店前から閑古鳥確定なの」

「そこは、広報戦略とこれでなんとかするよ」

 そう言って、この店唯一のシェフは袖をめくった腕を叩く。何度か彼の料理を振る舞われているので、なつきもその腕前は知っていた。

「しばらくは身の丈に合った経営を頑張るよ。さあ、まずは最初の客になってもらおうか」

「期待していいのかしら」

 カウンター席に座りながら、なつきはそう言った。

 そのことばには二つの意味が込められている。料理への期待、もうひとつは〈ことば〉への期待。ここへ招待する彼からのインターネットメールには、『今まで言いたくても言えなかった大事なことばを伝えようと思う』と書かれていたのだ。

 なつきにも、ずっと言えずにいたことば、秘めた想いがある。できれば相手のそれは自分のそれと同じであってほしい。でもそれはプライドの高い彼女からは言えないし、そんな彼女の性格を、相手も理解しているはずだった。

 だから、いつもと同じように振る舞いながら彼女は緊張していた。期待と、期待を裏切られるのではないかという不安。

 なつきの期待は、相手にも伝わったようだ。

「大丈夫。なつきの好みに合うように伝えるから」

「わたしの好みって言うと、隠された暗号とかアナグラムかしら」

「そうとは限らないよ」

 笑いながら、シェフは料理を作り始める。メニューはあるが、今はなつきの好みを熟知した彼が作りたい物を作るようだ。

 それを見ながら、なつきは自分の好みの伝え方とはなにかを考える。推理小説、歴史ミステリー、映画、ドライブ。ドライブ以外は全部ありそうだ。

 趣味に関わる好みとは限らないが。

「そう言えば、先週薦めた小説は読んだ?」

 一体どう伝えられるのかヒントが欲しくて、彼女はそう尋ねた。

「ああ、あの探偵物ね。きみの好みの、考える楽しさを刺激されるやつ。ちょっと忙しかったから、まだ途中までしか読んでないよ」

「なんだ。あれに登場する暗号は、料理の名前とかに転用できそうだと思ったのに」

「料理の名前か。メニューの頭文字を読んでいったら文章が浮かぶとか?」

 料理を作りながら、幼馴染みは苦笑する。

「それはもう見たけれど、違うのね」

 もしそうなら、彼女は簡単に見破っていたはずだ。

「それも良かったかもしれないけれどね、わかりやすくて」

 料理のひとつが皿に盛られる。ビーフシチューがワインと肉の匂いを漂わせた。トレイに自家製らしいパンも盛られる。

「飲み物は何がいい? ジュース、お茶、コーヒー、紅茶があるよ」

「紅茶がいいね。美味しそう」

 嗅覚と視覚が食欲を刺激してくる。暗号のことは頭の隅にやり、差し出されたトレイの料理に手を出す。しかし食べながらも、彼女は料理の中から何か出てくるのではないかと期待していた。

「料理になにか入っていたりはしないよ。間違って食べたりしたら事故になるじゃない」

 なつきは、〈ガレット・デ・ロワ〉というフランスの折りパイ菓子のことを思い出した。パイの中に陶製の人形が入っている、記念日用料理だ。

 ――ある程度大きければ誤飲は防げるだろうけど、思い切り噛んだ拍子に歯が欠ける危険性がありそう。

「それもそうね。ちょっと最近見た映画の影響を受け過ぎたかしら」

「へえ、恋愛物の映画も見るんだ。きみは落ちのしっかりした、意外性のある物語が好きだと思っていたけど」

「スパイ物の映画でね。恋愛も主題のひとつだったの。落ちはしっかりしていたよ。でも、見るまではわからないじゃない」

「それは確かに」

 物語は、はっきり言いたいことが伝わらなければ意味がない――それがなつきの信条だった。

 食べながら談笑するうちに、ビーフシチューも残り少なくなってくる。

「デザートでございます」

 改まったことばとともに差し出されたのは、ワイングラスに盛られた小ぶりなパフェだ。白と桃色の層が重なったうえに、生クリームと赤いゼリー、ウェハースが飾られている。

「これが伝えたいメッセージ?」

 ウェハースにはチョコレートペンで文字が書かれている。英語で『ありがとう』だ。

 シェフは少し笑った。

「そうかもしれないね」

 曖昧な答えになつきは首をかしげる。まあ、ことばが伝わらないなら今日の機会でなくても、と思い直す。もう、簡単な行き違いで壊れるような関係でもない。

 ビーフシチューを味わい、残っていたパンで器を綺麗に拭き取るまで食べきると、パフェに取り掛かる。ビーフシチューもそうだったが、パフェも彼女の好みに合わせた味だった。

「おいしい。甘過ぎず丁度いい」

 フルーツのほのかな酸味が、口に残っていたビーフシチューのこってりした後味もすっかり消す。生クリームの甘さもしつこくない。

「良かった。自分の味見だけじゃ加減がわからなくてさ」

 彼は嬉しそうに笑い、客もまた美味しそうな笑顔でパフェを味わった。

「休みになったら、開店祝いにどこか行きましょ」

 遠方に住む彼女がここで過ごせる時間は限られている。なつきはとなりの席に置いておいた鞄を手に取った。

「ああ、隔週水曜日が休みなんだ。来週水曜日もそうだよ」

「じゃあ、そのときにも会いましょう」

 軽く別れの挨拶を交わしなつきは席を立つ。

 その胸には少し釈然としないものも残る。食べきった器の底に文章があるのではないか、あるいはトレイに書かれているのではないかと確かめたものの、なにもなかった。歩きながら改めてテーブルや椅子の並びを眺めても、特に変わったものは見られない。

 ――あのウェハースのメッセージがそうだったのかしら。そうでないなら、わたしが気づかないことに彼はがっかりするかもしれない。でも、言いたいことが伝わらなければ仕方がないもの、あきらめるしかない。あるいはそもそも、すべてが最初から勘違いかもしれない。そう思えば、誰にも伝えられない。相手も同じように思っているのかもしれないけれども。

 少し肩を落とし、自動ドアを抜け風除室に入る。

 すると、メッセージが目に入った。それははっきりと、彼女の目にだけしっかり触れる形で書かれていた。

〈結婚しよう〉

 短い文章がプレートの〈定休日〉の裏に書かれていた。




   〈了〉

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