色男、金も力もありけり―6

 今日は三十日。借金の返済日だ。

 いつもなら、竹下ローンの原という男が自宅まで回収に来るのだけれど、この日は違った。夕方になって、私のスマートフォンにショートメールが届いた。

 送信元の名前は【原】になっていた。少し驚いた。原さんがメールを送ってくるなんて珍しい。

『今日は集金にいけなくなった。代わりに部下を寄こす。今日の十八時、という男に金を渡せ』

 メールにはそう書かれていた。原さん、何か用事でもできたのだろうか。『承知しました』と私は返信した。

 時計をる。あと十分で十八時。もうすぐだ。

 十分後、時間きっちりにインターフォンが鳴った。ドアを開けると、知らない男が立っていた。頰に傷のある、いかつい顔をした男だった。闇金の集金役に向いていそうな風貌だ。こんな顔の怖い男に返済を迫られたら、返さないわけにはいかないだろう。

「佐田さんですか?」私は尋ねた。

 男が頷く。「そうだ」

「これ、今月の分です」

 と、私は紙袋に入れた三百万を渡した。佐田はそれを受け取り、中身を見た。金が入っていることを確かめると、低い声で「また来月」とだけ言い残し、立ち去った。

 ──また来月。

 その言葉に、気持ちが重くなる。私の借金地獄はまだまだ続く。武藤さんを騙せば、簡単に抜けることができたというのに。

 でも、これでよかったんだ。あの人を騙すことはできない。好きだから。

 とりあえず、今月の返済も乗り切った。今夜は美味しいものでも食べてお祝いしようかな、なんてことを考えてみた。



 その数時間後。

 スーパーで買った寿を食べながらひとり晩酌していた私の元に、とんでもない災難が降りかかることになるとは、思いもしなかった。

 不意に、部屋のインターフォンが鳴った。いったい誰だろうか、と出てみると、そこには原さんが立っていた。

 ──あれ? なんで原さんが、ここに?

 不思議に思っていると、

「今月分よこせ」

 と、彼はいつもの調子で言う。

「ん?」

 ……今月分?

 私は首を傾げた。何を言ってるんだ、この人は。

「さっき渡したじゃないですか」

 すると、原さんは顔をしかめた。「何言ってんだ、お前」

「佐田さんに聞いてみてください。三百万もってるはずなんで」

 という私の言葉に、原さんの眉間の皺が深くなった。「誰だ、佐田って」

「部下の人ですよ。佐田さんに渡せって、原さんが言ったじゃないですか」

「俺の会社に、佐田なんて奴はいねえぞ?」

「…………え?」

 頭が真っ白になる。え、うそ? どういうこと? じゃあ、あの男は誰? 何者?

 ……え? 私の三百万は、どこ?



 俺とムヨンはベンツの後部座席に並んで座り、運転手の帰りを待っていた。

「──それで」と、ムヨンが口を開く。「どんな手口だったんだ? そのプランBとやらは」

 調子に乗り過ぎて計画から外された男に、俺は今回の詐欺の種明かしをしてやることにした。

「ナナちゃんのスマホに細工したの」

 彼女が落としたスマートフォンのロックを『1110』で解除したあの日、俺は少しだけ中身をいじっておいた。

 借金の集金役は、原という男だと聞いていた。彼女の端末の中には、【原】という名前で携帯電話の番号が登録されていた。その番号を、俺は自分の番号に書き換え、登録し直しておいたのだ。

「これで、俺からナナちゃんの番号にメッセージを送れば、差出人は【原】って表示される」

 原に取って代わった俺は、借金取りになりすましてナナに連絡した。『今日は集金にいけなくなった。代わりに部下を寄こす。今日の十八時、佐田という男に金を渡せ』と。佐田という男も、もちろん偽者だ。

「なるほどな」と、ムヨンが呟く。

 そのとき、運転席のドアが開いた。佐田役のノブが乗り込んでくる。「言われた通り、金を受け取ってきました」

「ご苦労さん」

「よくやった」

 すぐに中身を確認する。たしかに三百万ある。七隈ゆかりから騙し取った金。今回も大成功だ。

「二百五十万は被害者に返す。残りは好きにしろ」

「さすがヨン様、太っ腹ぁ」

 ノブが車を発進する。あの女にはもう用はない。さっさと撤収だ。俺は近くの駅で下ろしてもらうことにした。

「それにしても、お前はひどい男だなぁ」五十万の臨時収入を懐にしまいながら、俺はムヨンに言った。「あんだけ惚れさせといて、容赦なく金を奪い取るなんてさぁ」

 可哀想に。七隈ゆかりには、少しばかり同情してしまう。

 ふん、とムヨンが鼻を鳴らした。「あの女は同じことをしてきたんだ。当然の報いだろう」

「フリとはいえ、一か月付き合ってた相手だぞ? 冷たいよなぁ」俺は肩をすくめて言った。「闇金の奴らに、ひどいことされないといいけど」

「俺には関係のないことだ」と、ムヨンは冷たい声で一蹴した。

 まあ、可哀想ではあるが、たしかに自業自得だ。七隈ゆかりがどうなろうと知ったことではないのだが、ムヨンのドライな発言は意外だった。いくら詐欺の加害者とはいえ、この男がこれほど冷酷に突き放すとは思えない。こんな、きばを剝いたヤクザの中にかよわい女を放り込むような真似、キム・ムヨンらしくない。

 十数分後。なかかわばたえきに到着し、ノブが車を停めた。

 今日は週末ということもあり、中洲はたくさんの人でにぎわっている。手元には五十万。さて、今夜はどこの店で楽しもうか。酒か、女か、ギャンブルか。俺の心は躍っていた。この街は楽しいことで溢れている。

 いつものように、ノブが外から後部座席のドアを開けてくれた。車を降りた俺に向かって、

「もう娘娘倶楽部には行くなよ」

 と、ムヨンがからかうような調子で言った。

「うっせ」俺は笑い飛ばした。「お前こそ、金で女を買うような真似すんなよ」

 実は、俺は気付いていた。後部座席のムヨンの足元に、小さなアタッシュケースが置かれていたことに。おそらく中身は現金。その大きさからして、一千万ほどの札束が入っているのだろう。使い道は明白だ。

 俺の言葉の真意を悟ったようで、ムヨンは口の端を上げて答えた。「それは約束できないな」

 俺も笑みを返した。このお人好しめ。

 ノブがドアを閉め、運転席に乗り込む。黒塗りの車は案の定、百道浜とは逆の方向へと走っていった。


【次回更新は、2019年8月25日(日)予定!】

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