色男、金も力もありけり―3


 興信所の調査員・吉田が、まさか自分と同業の詐欺師だとは、七隈ゆかりは思いもしなかっただろう。自分の犯罪が明るみに出ることを恐れたナナは冷静さを欠き、偽調査員である俺の話をみにしてしまったようだ。保身のため、彼女は今後、俺に対して従順になるだろう。これで仕事がやりやすくなった。

 次は、ナナと偽のカモを引き合わせる。ムヨンの出番だ。

 その夜、俺はなぜか、ムヨンに食事に誘われた。

「今夜八時、中洲2丁目の『eleganteエレガンテ』という店に来い。晩飯を奢ってやる」

 タダ飯が食えるというのならば、行くしかあるまい。ムヨンから地図付きのメールが届き、俺はさっそく向かった。

 そこは、洒落じやれたイタリア料理のレストランだった。店内の照明はほの暗く、なんとなくムーディな感じで、客層も若い女やカップルが多かった。

「男二人でイタリアンかよ……」

 しかも、こんな洒落しやれた店で。大衆居酒屋にしてくれればよかったのに。

 渋々店に入り、名前を告げる。

「大金様ですね、お待ちしておりました」

 店員に案内されたのは、店の外にあるテラス席。中洲の夜景が一望できる。ますます勘弁してくれ、と思った。

 ムヨンはすでに席で待っていた。夜景をバックにワインを飲んでいる姿が、嫌味なほど様になっている。

 俺に気付き、

「座れ」と、ムヨンは顎で促した。「ワインでいいか」

「あ、うん」ビールがいいと言える雰囲気じゃない。

 ボトルの中身はすでに半分ほどなくなっていた。いつからひとりで楽しんでいたのやら。

「ほら、好きなものを頼め」

「あー」差し出されたメニュー表を見ながら、俺は適当に注文した。「じゃあ、ステーキと、ピザ」

 ムヨンは生ハムやチーズをつまみにワインを味わっている。俺もそれに倣い、ちびちびとグラスを傾けた。

 しばらくすると、俺たちの席にスーツ姿の男がやってきた。「失礼します」とムヨンに頭を下げ、

「お味はいかがでしょうか?」

 と、尋ねた。

 普通の従業員ではない。名札に『店長』の文字が見える。わざわざ店長がムヨンの席に? この男、どこまでVIP待遇なんだ。

 眉をひそめながら二人のやり取りを眺めていると、

「ああ、美味しいよ」ムヨンはにっこりと微笑んだ。「シェフに伝えといてくれ」

「ありがとうございます、オーナー」

 再びムヨンに頭を下げ、店長が立ち去っていく。

「……オーナー?」

 俺は目を丸くした。聞き間違えだろうか。

「今、『オーナー』って聞こえたけど」

「俺のことだ」涼しい顔でムヨンが頷いた。「レストランを経営する気鋭の実業家という設定だからな」

「え」

 まさか。嫌な予感がする。

「この店買ったの!? わざわざ!?」

「演出は大事だろ?」

 そこでようやく、ムヨンがこんな場所に俺を呼び出した理由がわかった。こいつ、自分の店を見せびらかしたかったのか。

「明日、この店にナナを連れてくる。どうだ、いい考えだと思わないか?」

「もったいないことを……」

 俺は頭を抱えた。先日のパトカーに引き続き、またもや無駄な出費だ。

「なんでそんなに財力を振りかざしたがるかねぇ」ため息をつき、俺は目の前の男を睨んだ。「お前、停電したら札に火ぃつけるタイプだろ?」

「俺は本物志向なんだ」

「あっそ」

 まあ、買ってしまったものはしょうがない。俺の金じゃないし、勝手にしてくれればいい。こいつは投資家だ。散財するのが仕事なのだ。

 それに、この店の料理はなかなか美味かった。立地がよく、客足も絶えない。案外いい投資になるかもしれないな、と思った。

「お前が羨ましいよ。なんでも簡単に買えて」

「俺にだって買えないものはあるぞ」

「性格の良さとか?」

 むっとした顔で、ムヨンは「違う」と返した。

「この世で絶対に買えないものは、なんだと思う?」

 唐突ななぞなぞに、俺は「さあねぇ」と首を捻った。

 愛とか夢とか、そんな抽象的な言葉が出てくるかと思いきや、ムヨンの答えは意外なものだった。「親だ」

 なるほど。たしかに、一理あるな、と思ってしまった。俺たちは生みの親を選べない。もちろん、親を金で買うこともできない。

「俺の家族は、腐った人間ばかりだった。金と一族のためなら汚い手も平気で使う。周りの人間を見下して、自分の都合で他人を切り捨てる。社員へのパワハラに、脱税、マスコミや警察の買収も日常はんだ」

 グラスを呷り、ムヨンがを続ける。

「自分の中にあの一族の血が流れていることが、俺は心底嫌だった。あんな血も涙もない両親から生まれてきたなんて、最悪だ。自分の親が金で買えればいいのにって、何度も思った」

 珍しく今日はよく喋るな、と思った。ワインも二本目だ。見た目じゃわからないが、こいつも結構酔いが回っているのかもしれない。

「へえ、金持ちのお坊ちゃんも大変なんだなぁ」

 もしかしたら、俺が思っているほど、こいつは神様に愛されていないのかもしれない。そんな気がした。

 住む世界の違う俺には理解できない話だが、こいつがただの甘やかされて育った御曹司ではないことは、なんとなく感じていた。それなりに苦労はしてきたのだろう。でなければ、詐欺の被害者を助けようなんて思わないはずだ。人の痛みがわかる人間でなければ、人に優しくはできない。

 この男に少し興味がわいた。どういう人生を送ってきたのか、知りたくなった。

「血も涙もない親に育てられたにしては、他人に甘いよな、お前」

 俺の言葉に、ムヨンは苦笑を浮かべている。「幸いなことに、俺は優しいシッターに育てられた。両親は仕事が忙しくて子育てどころじゃなかった」

「お前が人助けをしてるのは、その一族のせい?」

「かもな」と、ムヨンはあいまいに答えた。「連中が稼いできた汚い金を、いいことに使ってやろうと思った。俺はあいつらみたいに、自分たちの利益だけを優先させるような人間にはなりたくない」

 ムヨンは眉間に皺を寄せながら、俺にそんなことを話した。

 両親やキム一族との間に根強い確執を抱えていることは、その表情を見れば明らかだった。彼が今、祖国を離れ日本で暮らしていることも、もしかしたら家族とのあつれきが関係しているのかもしれない。

 さらに踏み込んでみようかと思ったところで、ムヨンが先に口を開いた。空になった俺のグラスにワインを注ぎながら、「そういうお前はどうなんだ?」と尋ねる。

「え、俺?」

「お前の親は、どんな奴だった?」

 一口飲み、俺は答えた。「父親は料理人で、お袋はそれを手伝ってた。昔は田舎で細々と博多料理の店をやってたよ」

 仲むつまじく、幸せな家庭だったのは、俺が十歳の誕生日を迎えるまでの話だ。

「でも、経営が苦しくて、馬鹿な親父おやじは偽の儲け話に飛びついちまったんだ。その結果、三千万の借金抱えて一家は離散。オヤジは蒸発。借金取りから逃げるために、お袋は俺を連れて東京の実家に移り住んだ。俺の名字もお袋の旧姓に変わった」

 それからは、お菓子も、漫画も、ゲームも、何ひとつ買えないような、質素で貧乏な生活が続いた。

「迷惑な話だよ。親父が詐欺に騙されるような間抜けだったせいで、俺たちが苦労する破目になったんだ。……そのときは、俺も思ったなぁ。親が選べたらよかったのにって」

 実の親が金で買えるとしたら、俺は絶対にあの親父以外を選ぶ。

「お前の被害者嫌いは、父親が原因か」

「かもね」

 過去と向き合って自己分析をする気はないが、ムヨンの指摘はあながち間違いじゃなかった。詐欺被害者を見ると、どうしても親父のことを思い出してしまう。助ける価値もないと思ってしまう部分もある。

「……まあ、そのおかげで、俺はたくましく育ったけどさ」

 詐欺師として罪もない人間から金を騙し取るこの生き方が正しいとは、俺だって思ってはいない。けれど、俺も必死だったのだ。生きていくためには、こうするしかなかった。

「そのようだな」ムヨンはふっと目を細めた。「頼りにしている」

「はいはい」

 俺は軽く受け流した。余計なことを喋ってしまったな、と反省する。酔いが回っているのは俺も同じのようだ。

 頭を切り替え、話題を変える。「明日、ナナちゃんと会うんだっけ?」

 先刻、この店に連れてくると言っていた。ムヨンが頷く。「ああ」

「フラれんなよ」

「誰に言ってるんだ」いつもの不遜な表情で、ムヨンは自信満々に言った。「俺は女にフラれたことは、一度もない」

 むかつくが、そりゃそうだろうなと思った。こんな金持ちの男前を、女が手放すわけがないか。


【次回更新は、2019年8月18日(日)予定!】

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