裏カジノをぶっつぶせ―5


「土井さん、お疲れさまです」

「店長、お先に失礼します」

 営業時間も終わり、店のスタッフが次々に退勤していく。外はいつの間にか明るくなっていた。

 店にひとり残り、私はため息をついた。

 ……困ったことになった。

 チップの交換所の奥には、分厚い扉の金庫がある。その中には今月分の売り上げが大切に保管されているわけだが──困ったことに、三千万円が足りない。

 なぜなら、私が使い込んだからだ。

 ふらりと立ち寄った高級クラブで、ナナというホステスに出会った。これがまた、いい女だった。美人で、気立てがよく、頭がいい。私はすっかり彼女にはまり込み、店に足しげく通った。彼女の気を引こうと高いボトルも入れた。モエ、ドンペリ、ピンドン、クリュッグ、アルマンド──一晩で百万円以上を散財することもあった。

 やがて貯金も底をつき、困った私はついに、カジノ店の売り上げに手を出してしまったのだ。

 金庫の鍵は私しか持っていない。金を出すも入れるも自由。最初はちょっと借りるだけのつもりだった。五万、十万……抜き取る額は徐々に高騰し、次第に歯止めが利かなくなっていった。

 そんなある日のことだった。ナナが店を辞めた。私に何も言わず、突然姿を消してしまった。他の高級クラブに引き抜かれた、という噂もあった。

 突然のナナの失踪。そこでようやく私は目が覚めた。今まで使ってきたお金は、いったいなんだったのかと。正気になり、事の重大さに気付いたときには、もう遅かった。私がカジノから横領した金は、三千万にも膨れ上がっていた。

 この裏カジノは、ヤクザが経営している店だ。月に一度、オーナーが部下を引き連れて集金にやってくる。店のチップのやり取りはすべて記録してあるので、売上の額はごまかせない。次の集金日を迎えれば、私の悪事も発覚してしまう。

 ……大変なことになってしまった。

 横領がバレてしまえば、私も無事ではいられない。命も危うい。なんとかして集金日までに三千万を用意し、金庫の中に戻しておかなければ。

 知人や友人に借金しようと頼んで回ったが、集まったのは数十万程度だった。さらには自分の店でイカサマをして、何も知らない顧客たちから賭け金を巻き上げたが、それでも目標額には到底及ばなかった。

 集金日は刻一刻と迫っている。私は焦っていた。

 そんな私の前に、ある夜、一人の客が現れた。中野卓という男だ。職業は投資コンサルタントらしい。高そうなスーツに時計、運転手付きのベンツ。まだ若いが、金は持っているようだ。いかにもやり手な雰囲気を醸し出していた。

『投資に興味がありましたら、ご相談ください。損はさせませんよ』

 中野はそんなことを言っていた。

 万策尽きた私にとって、この男は最後の切り札だった。私は「ビジネスの相談がしたい」と彼に持ち掛けた。

 その日の昼、天神で彼と落ち合うことになった。

 待ち合わせに指定された外資系カフェのテラス席で待つこと数分、中野がやってきた。今日もスーツ姿だ。私を見つけると笑顔で向かい側に腰を下ろした。「遅くなって申し訳ありません。クライアントとの打ち合わせが長引いてしまいまして」

「いえ、お気になさらず」

 中野はホットコーヒーを注文してから、

「それで、ご相談というのは?」

 と、本題に入った。

「お恥ずかしながら」私は正直に切り出した。「個人的に、少しお金に困っておりまして、あなたにご相談してみようかと」

「なるほど、そういうことでしたか」

「中野さんは見たところ、かなり稼いでいらっしゃるようなので」私は尋ねた。「なにかけつでもあるんでしょうか?」

 すると、中野は身を乗り出し、私に顔を近付けた。「ここだけの話ですが」と声を潜めて言う。

「私には、儲かる株の銘柄がわかるんです」

「えっ」

「諸事情により詳細は明かせないのですが、私には法人向け融資関係の会社に勤めている知人がおりまして、公表前の事業についての情報が入ってくるんですよ」

「ですが、それってインサ──」

「よく言うじゃないですか」私の言葉を遮り、中野はにっこりと笑った。「『汚れのあるところにお金がある』って」

「……え、ええ、そうですね」

 中野のやっていることは犯罪だ。だが、それがどうした。今更じゃないか。どうせ私だって、裏カジノという非合法な商売に加担している身。同じ穴のむじなだ。ここで不正取引に手を染めたところで、いったい何の問題がある?

 とにかく今は、どんな手を使ってでも、三千万を稼ぐことが先決だ。手段を選んでいる場合ではない。

 中野が説明を続ける。「私は投資家から金を集め、知人からの裏情報で彼らを儲けさせています。もちろん、手数料として10%はいただいてますが。どうです、土井さんも参加してみませんか?」

「そうしたいところなんですが、投資には疎くて……」私は躊躇ためらった。株の話をされてもいまいちぴんとこない。安易に金を支払う気にはなれなかった。

 すると、

「たしかに、いきなりこんな話をしても、簡単には信用できませんよね」中野は頷き、提案した。「では、こうしませんか? 土井さんに代わって、手始めに私が百万円を投資します。たとえば、それが儲けて百五十万になった場合、土井さんは私に元手の百万円と手数料の十五万を渡す。私は土井さんに百五十万を渡す。あなたは三十五万の利益を受け取る。マイナスの場合は、すべての損失を私がこうむります。つまり、あなたはノーリスクで投資して、必ず利益を得ることができる」

「な、なるほど」それなら安心して参加できる。

「本当に儲けることができるのかを証明し、ご納得いただけましたら、次からは土井さん自前の資金でご参加ください」

 マイナスの場合は全額保証。こんな条件を出してくるとは。この中野という男、よほど自分のビジネスに自信があるらしい。

「それなら、悪い話じゃないですね」私は承諾した。契約成立だ。


【次回更新は、2019年8月9日(金)予定!】

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