株式会社MBM―6

『──もしもし、母さん? 俺だけど』

 この町内の名簿が流出したという話は、どうやら本当らしい。前回の詐欺から間を空けずして、また見知らぬ男から電話がかかってきた。

 電話に出て相手の言葉を聞いた私は、すぐに思いついた。こいつも捕まえてやろうと。そうすれば、世の中のためにもなる。あの巡査たちにも会えるし、私はまたニュースで称賛される。いいこと尽くしだ。だから今回も、私は騙されたフリをすることにした。

「あら、タカシ? どうしたと?」

『大変なことになった、今すぐ五十万貸してほしいんだけど』

「五十万? 何があったとね?」

 驚いた声をあげると、相手の男は心底参っているかのような声色で、会社の金を使い込んでしまったことを打ち明けた。

「わかった、すぐ用意しちゃあ。でも母さん足が悪いけん、知り合いに頼んでお金を持って行ってもらうけんね」

『ありがとう、母さん。じゃあ、明日の朝十時に駅で。俺の同僚が取りにいくから。スーツ着てる、しまって男に渡して』

「わかった」

 電話を切り、にやりと笑う。さて、こいつも返り討ちにしてやるか。すぐに私はあの緊急ダイヤルに通報した。

「もしもし、小林ですが。……ああ、伊藤さん? 実は、またオレオレ詐欺の電話がかかってきたんですよ」



 翌朝、伊藤巡査と東巡査がパトカーに乗ってやってきた。

 玄関先で出迎えると、

「ご連絡ありがとうございます」と、東巡査が頭を下げた。

 これで二度目だ。もう手順は把握している。私は紙袋に入れたお金を渡した。「五十万円、用意してあります。犯人逮捕に役立ててください」

「お預かりします」と、東巡査が受け取った。

 その隣で「ミサヲばあちゃん、今回も必ず犯人を逮捕するからね」と伊藤巡査が私の肩に手を置いた。

 二人はパトカーに乗り込んだ。走り去る車を見送る。翌朝には、またネットのニュースに私の名前が載るだろう。いや、今度は二度目だ。新聞に取り上げられるかもしれない。マスコミがかぎつけ、ニュース番組に取材されるかもしれない。そう遠くない未来を想像し、私は笑いを堪えきれなかった。


  

 小林ミサヲに頭を下げると、俺とムヨンはパトカーに乗り込んだ。俺が運転席、ムヨンは助手席。アクセルを踏み、ミサヲの家から走り去る。

「ほらみろ、簡単だったろ?」現金五十万円が入った紙袋を一瞥し、伊藤巡査役の俺は口の端を上げた。「いくらわるがしこいババアでもな、しよせんはアマチュアだ。プロに勝てるわけがないんだよ」

 とはいえ、今回の詐欺にはいくつか問題があった。

 小林ミサヲは八十代のバアさんだが、頭もはっきりしていて、かなりざかしい性格だ。おまけに彼女には息子がいない。息子を騙って電話をかけたとしても、騙せるわけがなかった。

 そこで俺は今回、変則的に『オレオレ詐欺』詐欺を仕掛けることにしたのだ。

 計画に先立ち、ムヨンには警官の制服を二着用意させた。この男の財力があれば簡単なことだった。

 手順はこうだ。まず、その制服を着て交番勤務の巡査になりすまし、ターゲットに接触する。人は数に弱い。数が増えると説得力が増すので、一人より二人の方が怪しまれない。俺は最初、ノブに手伝ってもらおうと制服を着せたのだが、警察というより完全にコスプレしたヤクザにしか見えなかった。これでは逆に怪しまれかねない。苦肉の策で、東巡査役はムヨンが務めることとなった。

 二人組の警官にふんした俺たちは、作成した偽の防犯パンフレットをミサヲに配った。ミサヲが騙されたフリをして犯人を捕まえたくなるよう、内容も工夫した。

 ミサヲには家族がいない。外出も好まない。機械に疎く、インターネット環境もない。友人の多江とはなかたがいしたままだ。つまるところ、彼女は社会から孤立した存在だった。

 プライドが高いミサヲだって、それなりに寂しさを抱えているだろう。孤独な老人の元を訪れた二人の若い警官に、彼女が心を許すのは自然なことだ。ミサヲは俺たちの言葉を素直に聞いた。俺が息子のふりをして詐欺の電話をかけると、すぐにパンフレットに記載されていた番号に通報した。もちろん、その緊急相談ダイヤルも偽物だ。俺の使い捨てプリペイド端末のひとつに繫がっている。

 これでもう、相手は罠にかかったも同然。

「あのババアは相手を騙すことに快感を覚えるタイプだ。そういう奴はかえって騙しやすい」

 自分に騙される馬鹿な相手を前にして優越感に浸ることが大好きなミサヲは、案の定、騙されたフリ作戦でオレオレ詐欺犯を捕まえることをもくみ、金を用意した。そして、作戦が成功したことに、奴はこの上ない快感を覚えたに違いない。予め俺が用意しておいたネットのフェイクニュースに目を通した彼女は、虚栄心と自己顕示欲に満たされ、もう一度この感触を味わいたいと無意識のうちに思っていたはずだ。

 そこに、二度目の電話。俺がオレオレ詐欺を仕掛け、今度は五十万を要求する。当然ミサヲは詐欺を疑い、同じように偽の相談ダイヤルに通報した。前回渡した二十万がちゃんと戻ってきたことから、今回も大丈夫だろうと油断する。そして、偽警官の俺たちに無警戒で大金を渡してしまった、というわけだ。

 あのスリーカードモンテのイカサマと同じ。大事なのは、「自分が相手を出し抜いている」と思わせることだ。自分の方が優位に立っていると錯覚させておいて、その裏でこっそりと罠を仕掛けておく。ずる賢く、想像力が豊かで、勘のいい人間にはもってこいの手法だ。フェアプレー精神にこだわるムヨンには通用しなかったが、あくどいあのバアさんには効果的だった。

 今頃、ミサヲは犯人が逮捕され、五十万が返金されるのをウキウキしながら待っていることだろう。自らの賢さに酔いしれながら。

 だが、金は戻ってこない。俺たちがあのバアさんの前に姿を見せることは、もう二度とない。

 被害金は取り戻した。計画は大成功。

 ただ、ひとつだけ納得できないことがあった。

「……ってかさ」助手席のムヨンに声をかける。「俺は警官の制服を用意しろって頼んだだけで、パトカーまで用意しろとは言ってないぞ」

 すると、ムヨンは涼しい顔で答えた。「パトカーも必要だろ? 警官という設定なんだから」

「パトカーなんかなくても、十分騙せた」

「あった方がしんぴよう性が増す。演出は大事だ」

「いくらしたの、この車」

「塗装費を合わせると、ざっと五百万くらいだな」

「はあ!?」俺は目をいた。「大赤字じゃん!」

 たった五十万円を取り返すために五百万も使ったのか。信じられない。

「……どうすんだよ、この車」

「俺はもう三台所有しているから、駐車場がいっぱいだ」と、ムヨンは嫌味なことを言い出した。聞き捨てならない。あのベンツ以外に二台も持ってるのか。

「この車はお前にやろう。今回の報酬だ」

「いらんわ」俺は一蹴した。「詐欺師がパトカー乗り回せるわけないでしょ」

「業者に頼んで真っ黒に塗装し直してやるよ。必要なければ売って金に換えろ」

「はあ、そっすか」

 呆れた。つまり、ムヨンの実入りはゼロだ。MBMは株式会社というよりボランティア団体だな。

「もういっそ、お前が直接被害者に五十万払ってやればよかったのに。その方が安上がりだ」

「それじゃ意味がない」ムヨンが強い口調で言った。「相手から取り返すことに意味があるんだ」

「どんな意味だよ」

 その謎のこだわりはなんなんだ。理解できない。

「わからないか? 金で買えないものもあるだろ」

 金持ちのボンボンのくせに、こいつは金に対して意外とクリーンな考え方を持っている。俺とは正反対だ。

「いや、金さえあればなんでも買えるね」

「拝金主義者め」吐き捨てるようにムヨンが言った。

 なんとでも言え。誰に何を言われようと、俺はこの世でいちばん金が好きだ。それ以外のことは基本的にどうでもいい。

 だが、この男はそうではないようだ。きっと、人生において金に困ったことがないから、そんな甘いことが言えるのだろうな、と俺は思った。儲けることに対してとんちやくなのもそのせいだろう。多少の赤字なんていたくもかゆくもないということか。

 それにしても、こんな大損をしてまで被害者を助ける理由が、未だにわからない。

「お前さ、なんでこんなことしてんの?」俺はずっと気になっていたことを尋ねてみた。「徳でも積みたいの?」

 すると、

「嫌いなんだ」と、ムヨンは低い声で答えた。「自分のために他人を不幸にするような、身勝手な連中が」

 赤信号になり、車を停める。俺は横目でムヨンの顔を盗み見た。奴は前を向いていた。どこか遠くを見つめたまま、口を開く。

「詐欺被害者の中には、身内に責められる者もいる。なんで騙されるんだ、馬鹿じゃないのかと、家族にせいを浴びせられることもある」

 ムヨンの言葉に、俺ははっとした。

 身内を責めたくなる気持ちは、よくわかる。騙された奴は自業自得だ。だが、巻き込まれた周囲の人間はたまったもんじゃない。一人の不注意のせいで経済的負担を強いられては、文句のひとつやふたつ言いたくもなるだろう。俺もそうだった。母親が高級布団を買ったあの日、心無い言葉を投げつけてしまった。

「家族から孤立し、さらに自責の念にさいなまれ、詐欺被害者の中には自殺を図る者だっているんだ。本来味方であるはずの身内に責められる苦痛が、お前にわかるか?」

「その話が、お前の会社に関係あるわけ?」俺は質問を質問で返した。話のしゆが見えない。この男は結局、何が言いたいのだろうか。

「関係ある」

 ムヨンは口の端を上げた。

「誰かが被害者の味方になってやらなければ、可哀かわいそうだろ? だから、俺がなってやるんだ」

 信号が青になった。俺がアクセルを踏み込むと、

「次の信号を左に曲がれ」と、ムヨンが偉そうに言った。

 むっとする。「俺はノブじゃない。命令すんな」

「およそ百メートル先、左方向です」

「カーナビか」



 警官の制服姿のまま、ムヨンは取り返した五十万をもって、今回の依頼人の家を訪れた。なぜか俺まで同行させられた。ムヨンいわく、「依頼人に金を返すまでが仕事だ」とのことだった。

「今回の被害者は恵まれている。身内に味方がいたからな」ムヨンはそんなことを口にした。

 車を走らせること十数分、被害者宅に到着した。

 突然パトカーで乗り付けたので驚かれはしたが、約束の金を渡すと、多江の息子で依頼人の大崎学は「ありがとうございます」と何度も頭を下げた。

「あれ以来、母はずっと塞ぎ込んでいました。でも、お金が戻ってきてくれた。これがいいきっかけになってくれれば、嬉しいんですが……」

「大丈夫」と、隣でムヨンが口を開く。「こんなに親思いの息子さんが傍についてるんだ。きっとお母様も元気になりますよ」

 ムヨンの言葉に、依頼人は笑っていた。心の底から、嬉しそうだった。

「どうだ、人の喜ぶ顔を見るのも悪くないだろ?」

 ムヨンが俺に耳打ちしてきた。いつも通りのそんな態度だが、どこか満足そうな表情だった。もしかしたら、俺にとってのギャンブルと同じで、こいつは人助けをすることに生きがいをいだしているのかもしれない。

 ひと言、「俺は諭吉のすまし顔だけ見れりゃ十分だよ」と答え、俺は踵を返した。



【次回更新は、2019年7月27日(土)予定!】

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