裏カジノをぶっつぶせ

裏カジノをぶっつぶせ―1



 俺が物に対しての執着を持たないのは、育った環境のせいかもしれない。幼い頃に父親が借金を作って蒸発してからというもの、母親との二人暮らしは貧しく苦しいものだった。欲しいものがあっても我慢するしかなく、そのうち諦めが芽生え、何かを「欲しい」と思うことすらなくなった。俺の中から物欲というものがすっかり抜け落ちてしまったのだ。

 だが、金は別だ。

 昔から、金だけは喉から手が出るほど欲しかった。金さえあれば、もっといい生活ができるのに。何度もそう思った。金の力は幼い頃からよく知っている。いやというほど思い知らされてきた。金がなければ何もできない。欲しいものも買えない、美味い飯も食えないし、学校にも通えない。逆に言えば、金さえあれば何でもできる。この世に金で買えないものはない。地位も名誉も、愛も幸せも、金さえあればすべて満たされる。

「つまり、俺がギャンブルをやるのは、満たされるためなんだ」

 俺は金が好きだ。だから詐欺で稼ぐ。だが、金を得たところで、物欲のない俺には使い道がない。仕事で金持ちになりすます必要があるときは高級スーツやブランドものの小物を買うこともあるが、そもそもファッションに興味はない。安物のパーカーとジーンズさえあれば満足だ。この街は安くて美味い飯が食えるので、高級料理店で金を使うこともない。足がつくので基本的に車も持たないし、マンスリーの賃貸を転々としているので豪邸を買うこともない。将来的に家庭を作る気もないので、貯金もしない。

 だから俺は、ギャンブルに使うしかなかった。競馬、競輪、競艇。中洲の違法カジノに足を運ぶこともあるし、馴染みのジヤンソウに顔を出すこともある。ギャンブル仲間と集まって内輪で楽しむのも好きだ。金を得るか失うか──そのスリルが、俺を生きた心地にさせてくれる。散財することで日頃のストレスも消える。勝てばこの上ない快感を味わうことができるし、負けたときの虚無感が俺をまた詐欺の仕事へと駆り立てる。

「ギャンブルに金を使うことは、美味い酒を飲むようなものなんだよ」

 もうひとつだけ、俺が金を使うものがある。酒だ。このバー『スティング』は行きつけの店で、俺はきまってカウンター席に座る。一仕事終えた後にマスターと語らいながら飲む酒は、格別だ。

「勝つことが目的じゃない、ギャンブル自体が目的なんだ。だから、このハズレ馬券はただの紙切れじゃない。例えるならば、コンビニのおにぎりを食った後に残るゴミみたいなもので、要は副産物だ」

「あー、はいはい。わかったわかった」マスターが言った。まるで酔っ払いのたわごとを聞き流すかのような口調だった。「お前がまた競馬で大負けしたってことは、よくわかった」

「……絶対来ると思ったのになぁ、ミチノクプリンスとハンカチプリンスの馬連」

 俺はハズレ馬券をカウンターの上に投げ捨て、「あーあ」と唸り声をあげながら突っ伏した。無情なことに、今週のGⅠレースでもギャンブルの女神は俺に微笑んではくれなかった。

 ため息を吐き、グラスを呷る。上着のポケットの中で携帯電話が震えた。着信だ。俺が無視していると、しばらくして切れた。

 だが、その数秒後に、また電話がかかってきた。その繰り返しだ。着信件数がどんどんまっていく。

「ミッチ」マスターがグラスをきながら、俺に声をかけた。「電話、鳴ってるぞ」

「知ってる」

「出なくていいのか?」

「いいの」俺は顔をしかめた。「どうせあの韓国人のボンボンだから」

「気に入られてるなぁ」と、マスターはからかうような口調で言った。

 勘弁してくれ、と思う。

「ほぼ毎日電話かかってくる。もはやストーカーの域だよ」眉をひそめながら着信中の画面を見ると、案の定『キム・ムヨン』の文字が表示されていた。

 キム・ムヨン──韓国財閥3世の御曹司で、被害者救済支援会社『MBM』の代表取締役社長。韓流スターみたいな容姿に、余りある財力。天に二物も三物も与えられたあの男は、どういうわけか俺の詐欺師としての腕を買っているようで、自分の下で働かせようと躍起になっている。

 電話はずっと鳴り続けていた。しつこい。迷惑な奴だ。仕方なく、俺は通話に切り替えた。「いい加減にしてくれませんかねえ」

『仕事だ』偉そうな声が聞こえてきた。『三十分後にオフィスに来い』

「行きません」俺ははっきりと断った。「一度きりだって言ったじゃん」

 前回は賭けに負けたから仕方なく手伝っただけだ。金持ちの自己満慈善活動に手を貸すつもりは、もう二度とない。

『どうせ競馬で大損して、ざけでもしているんだろ』

 ……なんでわかった? 「違うし。祝杯あげてるし」

『どちらにしろ暇そうだな。依頼人が困っているから、早く来い』

「俺には関係ないし。お前のために動く理由もないし」奴の言葉を、俺は笑い飛ばした。「騙された奴が悪いんだから、ほっとけよ」

『金なら払うぞ。二十万でどうだ?』

「その二十万を被害者に渡してやれ。喜ぶから」

『おい、ミ──』

 ムヨンが何か言いかけていたが、俺は容赦なく電話を切り、電源も落とした。せっかくのいこいの時間を邪魔しやがって。

「手伝ってやればいいじゃないか。給料だって払ってもらえるんだし」聞き耳を立てていたようで、マスターが笑いながら言った。

 たしかに二十万は魅力的だが、あんな奴から金をもらうくらいなら、自力で騙し取る方がいい。

「俺は一人で十分稼げる。誰かの命令に従わなくてもな」

「だが、一人でやれる仕事は限られているだろう? いつぴきおおかみを気取るのも悪くないが、仲間はいた方がいいぞ。仕事の幅も広がるしな」

「現役時代ずっと一匹狼だったあんたに言われても、説得力ないね」

「時代が違うからなぁ」と、マスターはあごをさすった。「昔はひとりで事足りた」

「今の俺だって事足りてる」

 さて、そろそろ帰るか。席を立とうとした、そのときだった。ちょうど店に客が入ってきた。無精ひげを生やした、四十半ばの男だ。

 よく見れば、知った顔だった。

「あっ、ヤスさん」俺は男に声をかけ、手を振った。「久しぶりじゃん」

 俺のむかしみで、ギャンブル仲間のつるやまやす──通称ヤスさん。賭け事で生計を立てているプロのギャンブラーだ。彼とは俺がまだ東京にいた頃に知り合い、後にこの街で再会した。長い付き合いになる。

 こうして顔を合わせるのは半年ぶりくらいだろうか。最近、ヤスさんは俺たちギャンブル仲間の集まりに顔を見せなくなっていた。

「おう、ミッチ、元気してたか」

 ヤスさんがカウンター席に座ったので、俺もその横に腰を下ろした。もう一杯だけ飲んで帰ることにしよう。

「この通り、相変わらずだよ」と、俺はハズレ馬券を指差した。「ヤスさんはどう? 儲かってる?」

 すると、ヤスさんはグラスに視線を落とし、「実は俺も、かなり大損しちまってなぁ」と呟くように言った。なんだか横顔が寂しげに見える。

 趣味でやってる俺と違って、ヤスさんにとってギャンブルは仕事だ。大損するような馬鹿な真似はしないはず。いったい何があったのだろうか。俺は尋ねた。「どうしたの、元気ないじゃん」

 酒を呷り、ヤスさんが口を開く。「紹介制の裏カジノで、金をむしり取られたんだよ」

「裏カジノ?」

「ああ。西にしなかにある『エクス』って店だ。ゲームはポーカーのみで、どのテーブルもレートが高い。百万円以上の現金を持っていないと中に入れてもらえない金持ち向けの賭場でな、俺はありとあらゆるコネを探して、やっとのことでその店に潜り込んだんだ。得意のポーカーでひともうけしようと企んだんだが……」

「スタッドか? ホールデムか?」

「普通のドローポーカーだ」ヤスさんが暗い表情で続ける。「百万全額チップに替えたが、夜が明けたら一枚も残らなかった」

 俺は首を捻った。「あんたの腕で、そんなことはありえない」

 信じられなかった。ヤスさんは腕のいいギャンブラーだ。特にポーカーは得意種目で、俺を含むギャンブル仲間の誰も彼に勝てたためしはなかった。その実力は身をもって知っている。

 そんなヤスさんが、一晩で有り金全部を失ってしまうほど大負けするなんて。考えられることは、ひとつしかない。

「きっとイカサマだ」俺は顔をしかめた。「イカサマにきまってるよ」

 ヤスさんのようなギャンブラーを誘い込み、イカサマを使って金をむしり取るのが、きっとその店の常套手段なのだろう。許しがたいことだが、非合法な店ではよくある話だ。

「よし、俺がかたきを討ってやる」と、俺は意気込んだ。ヤスさんには若い頃からずっと世話になってきた。彼のためにいつむくいてやりたかった。

「そのを紹介してくれ」

「まあ、それは構わねえが……」ヤスさんは心配そうに俺を見た。「お前、金はあるのか?」

 ない。

 金はない。今日も三十万を失ったばかりだ。

 だが、工面できないこともない。

「安心してくれ、金なら当てがある」と、俺は胸を張って答えた。


【次回更新は、2019年7月28日(日)予定!】

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