株式会社MBM―5


「──おい、詐欺師」

 俺がいつものようにスティングのカウンター席で酒を飲んでいると、ムヨンが声をかけてきた。俺は少しうんざりした。ひとりで静かに飲みたい気分だったのに。用があるなら電話にしろ。

「首尾はどうなんだ?」

 ムヨンに訊かれ、俺は頷く。「心配すんな、順調だよ」

 小林ミサヲからオレオレ詐欺で金を騙し取る準備は、着々と進んでいる。

「オレオレ詐欺、か」だが、ムヨンは半信半疑のようだ。「本当に、こんな計画でうまくいくのか?」

「ババアひとり騙せないようじゃ、詐欺師なんてやってらんないよ」

 年寄りは耳が遠い。若い頃に比べて判断力も鈍る。カモにしやすい人種だ。おまけに日本は高齢化社会。高齢者を狙った詐欺が増え続けるのは当然の流れである。

 ひとつ空けた席に腰を下ろしたムヨンに、

「……なあ」俺は尋ねた。「オレオレ詐欺は、なんでオレオレ詐欺なんだと思う?」

 この店でいちばん高いブランデーを呷りながら、ムヨンが眉間に皺を寄せる。「どういう意味だ」

「ワタシワタシ詐欺って、全然聞かないじゃん」

 オレオレ詐欺は、なぜオレオレ詐欺なのか。

 俺はたまに疑問に思う。「ワタシワタシ」詐欺ではなくて、「オレオレ」詐欺。なぜだろう?

「娘はまめに電話をしてくるが、息子は滅多に連絡を寄越さない。だから、息子の声を聞き間違えやすい。たしか、そんな説があるらしいぞ」

 ムヨンの仮説に、俺は反論した。「ところがどっこい、ひんぱんに息子と連絡を取り合っていた老人が騙された事件が、数年前に関東で発生してる。連絡を取り合っていたら騙されないとは、一概には言えないね」

 俺はたまに考える。人はなぜ騙されるのか、ということを。

 詐欺師にとってみれば、相手を騙せればそれでいいかもしれない。だが、相手の心理を考察することも重要な仕事だ。でもそれは、被害者の気持ちに感情移入して同情しろという意味ではない。むしろ、そんなことは必要ない。被害者がなぜ騙されるのか、どのようにして騙されるのか、その心理的過程を想像しろ、ということだ。

 日頃のニュースを見る限りでは、オレオレ詐欺の被害者は父親よりも母親が多いような印象を受ける。母親が電話を取ることが多いから? たしかにそういう理由もあるかもしれないが。

「母親って結局、いくつになっても息子に甘いんだよ」

 息子がピンチに陥れば、母親は何としても助けようとするだろう。会社の金の横領、交通事故のだん、ギャンブルで借金、浮気相手の妊娠──「オレ」と名乗った息子から寝耳に水な話を聞かされ、パニックに陥る。明日までに金を用意しないと、などと時間制限を設けられ、焦燥感をあおられて冷静さを奪われる。そして、言われるがままに詐欺師に金を差し出してしまう。

「母親にもよるんじゃないか?」今度はムヨンが反論する。「俺の母親は、俺には甘くなかった」

「へえ」俺は少し驚いた。こいつが家のことを話すのは初めてだ。グラスを置き、ムヨンを見る。「そうなの?」

「たしかに、長男のことはできあいしていた。俺は三男だったから、どうでもよかったんだろう」

「お前のその性格の悪さは、幼少期の愛情不足が原因だったか」俺は憐れむような声色で言った。

 ムヨンはむっとしている。「そういうお前はどうなんだ」

「俺は大事にされてたよ。父親がいなかったから、お袋が女手ひとつで育ててくれたし」

「お前のその金への執着は、幼少期の経済事情が原因だったか」

 俺は無言でムヨンを睨んだ。ムヨンはフンと鼻を鳴らした。

 悔しいが、図星かもしれない。しつしんからか、俺は昔から金持ちが気に食わなかった。何の苦労もせず恵まれた環境で育ってきて、他人を見下し、ただ親の金を食い潰しているような輩が大嫌いだった。そう、このキム・ムヨンのような奴が。韓国財閥の御曹司──その肩書きからしていけ好かない。絶対にあいれない存在だ。

 だが、この件が済めば、今度こそこいつと縁を切ることができる。さっさと標的から金を騙し取り、仕事を終わらせてしまおうじゃないか。

「──さてと」ひとつ息をつき、俺はプリペイド式の使い捨て携帯電話を一台取り出した。「やるか」

「しくじるなよ」

「誰に言ってんだ」

 番号を押し、発信する。相手は、小林ミサヲ宅の固定電話だ。

『もしもし、小林です』

 ミサヲはすぐに電話に出た。

「もしもし、母さん? 俺だけど」俺はこんしんの演技で用件を告げた。「大変なことになった、今すぐ五十万貸してほしいんだ」


【次回更新は、2019年7月26日(金)予定!】

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