株式会社MBM―4
いつものように居間でお昼のバラエティ番組をぼんやりと眺めていると、
「すみませーん!」
という声とともに、玄関のドアを叩く音が聞こえてきた。誰か来たようだ。きっと宅配業者だろう。「はーい」と大きな声で返事をする。
私は足が悪くて、ゆっくり動くことしかできない。こうやって立ち上がるのも一苦労だ。八十にもなればこんなものだろうが、不便で仕方なかった。
「はいはい、すいませんねえ」
相手を待たせていることに一応謝罪しながら、のろのろとした歩調で玄関へと向かう。
戸を開けると、宅配業者ではなかった。そこには二人の警察官が立っていた。門の前にはパトカーも停まっている。
私は驚き、予期せぬ客人をまじまじと見つめた。制服姿の若い男の二人組。どちらも若く、男前だ。
「小林さんですか?」その片方が、爽やかな笑顔で尋ねた。
「はい、そうですが」私は頷いた。私の名前は小林ミサヲだ。
「ご家族の方は?」
「おりません。独り暮らしなんです」
「そうでしたか」
私は首を捻った。警官がいきなりうちに何の用? 何かこのあたりで事件でもあったのだろうか。
不思議に思っていると、
「最近、不審電話の事件が多発していますので、この近所に配っているんです」
と、伊藤巡査が言った。
どうぞ、と何かを差し出され、受け取る。パンフレットだ。表紙には【ちょっと待った! その電話、詐欺です! ニセ電話詐欺に注意!】と大きな文字で書かれていた。
中身を捲る。オレオレ詐欺、還付金詐欺、振り込め詐欺など、あらゆる手口が紹介されていた。思わず鼻で笑いそうになる。私はこんな間抜けな手に引っかかるような
だが、この二人の警官は嫌いじゃない。愛想はいいし、なにより男前だ。「あらあら、そうでしたか。ごくろうさまです」と私は作り笑いを返した。
「裏面に、番号が書いてあります」背の高い方の警官が言った。こちらは
パンフレットをひっくり返してみた。【心当たりがあれば、すぐに通報を。あなたの地域のニセ電話詐欺緊急相談ダイヤルは です】という文字。空欄のスペースに、080から始まる番号が手書きで書かれていた。
「不審な電話がかかってきたら、この番号にご連絡ください。我々が駆けつけますから」東巡査が言った。
「おばあちゃん、独り暮らしで大変でしょ?」伊藤巡査が
二人の警官に、私は「ありがとう」と素直に礼を告げた。こんな冊子、いつもならすぐに破り捨ててしまうところだが、親切な警官に免じて夫の遺影の横に飾っておくことにした。
その冊子が役に立ったのは、数日後のことだった。
『──次のニュースです。
今朝のローカルニュース番組。若い女のアナウンサーが原稿を読み上げている。
こういう報道を耳にする度に、私はいつも不愉快な気分になってしまう。馬鹿な奴がいたもんだ。こんな風に簡単に騙される馬鹿がいるから、年寄りが
過去、うちの家にも何度か怪しい電話がかかってきたことがあった。孫を騙る男に『どうしてもお金が必要だ』とせがまれたり、警察を名乗る男に『あなたのクレジットカードが使われている』と脅されたりもした。しかし、どんな電話だろうと私はすぐに見抜いた。『詐欺だってことはわかってる、二度とかけてくるな』と
『こうしたニセ電話詐欺の福岡県における被害総額は今年も十億円を超え、警察では様々な金融機関と連携したり、防犯のパンフレットを配布するなどして、高齢者に警戒を呼び掛けています』
──そういえば。
ふと思い出す。私ももらった。先日、あの警官たちが配っていた防犯パンフレット、中身をちゃんと読んでいなかった。私には必要ないものだけど、暇潰しがてら目を通してやるか。夫の遺影にかぶさるように立てかけてあった冊子を手に取り、私は中身を開いた。
偽の息子に一千万を騙し取られたAさん(69歳)の話。弁護士や警察などが登場する劇場型詐欺に騙されたBさん(75歳)の話──様々な事例が載っている。特に目新しい情報はなさそうだ。今までに何百回も聞かされたような内容ばかりが書かれている。
ところが、よく見ればその中には、【中にはこんな人も!】と異彩を放つ事例が掲載されていた。
【東京都に住むDさん(65歳)は、息子を騙る人物から五百万円を用意するよう電話がかかってきました。Dさんはすぐに詐欺だと見抜き、騙されたフリをしたまま犯人と会話。その後、Dさんは警察に通報した上で、用意した五百万を持って受け渡しの場所へ。警察が張り込んでいるとも知らずに現れた犯人は、Dさんに接触。金を受け取ろうとしたところを、あえなく逮捕となりました。Dさんのとっさの機転によって、詐欺事件を未然に防ぐことができたのです!】
へえ、と私は驚いた。馬鹿じゃない年寄りもいるじゃないか。
そのときだった。家の電話が鳴った。私は子機を取り、通話ボタンを押した。「もしもし、小林です」
『──あ、母さん? 俺だけど』
どこか慌てたようすの、見知らぬ男の声が聞こえる。
出たな、と私はすぐに見抜いた。オレオレ詐欺だ。
なにが母さんだ、と呆れてしまう。
私に息子なんかいないよ──いつものように一喝してやろうとした、そのときだった。
ふと、冊子の内容が私の頭を過った。
──騙されたフリ、警察に通報、犯人逮捕。
あの事例。いい考えが浮かぶ。ちょろい年寄りを騙そうとしている馬鹿な犯人を逆に騙してやるのも、なかなか面白そうじゃないか。
「ああ、トシユキ?」私はわざと相手の話に乗ってやった。「どうしたとね、急に」
そうとは知らない間抜けな男は、案の定、金を要求してきた。『実は、引ったくりに遭って、会社のお金を盗られてしまったんだ』
電話を切ってから、私はすぐに冊子に書かれている緊急相談ダイヤルに電話をした。駆けつけたのは、先日と同じ二人の警官。伊藤巡査と東巡査だ。
玄関先で、私は二人に事の一部始終を説明した。「息子を名乗る男に、二十万を要求されました」
ベタな手だった。今日中に二十万円を用意して、
私はこう返した。あんたも知ってるだろうけど、私は膝が悪くて街まで行くことができない。代わりに、知人に頼んで、お金を持って行ってもらうからね──と。何の疑いもなく、犯人は承諾していた。
約束の時間は、今日の十四時。
「よく通報してくれました」東巡査が言った。
「騙されたフリするなんて。さすがだね、おばあちゃん」
伊藤巡査に褒められ、私は得意になった。
「二十万円、用意しました」
「よろしいんですか?」東巡査が尋ねた。「偽札を代用することもできますが」
「いえ、大丈夫です」
私の頭には、あのパンフレットの事例が浮かんでいた。都内在住のD氏は犯人逮捕のために五百万円を用意したと書いてあった。だから、私もそうする。偽札なんか使って犯人に罠だと気付かれてしまったら困るし、この警官らに二十万すらも用意できない貧乏人だと思われるのも嫌だ。
「ありがとうございます。必ずお返しいたしますので、ご安心ください」東巡査は金の入った袋を受け取ると、隣にいた伊藤巡査に手渡した。「応援を呼んで駅の周辺を張り込んでおくから、お前は私服に着替えて金の受け渡しに行ってこい」
「了解です」
その後、二人はパトカーに乗って立ち去った。
犯人が逮捕されるのも時間の問題だ。馬鹿な犯人が私に騙されたことに気付いた瞬間を想像しながら、私はほくそ笑んだ。
翌日、伊藤巡査と東巡査が
「小林さん、この度はご協力ありがとうございました」東巡査が頭を下げる。「小林さんのおかげで、無事に犯人を逮捕することができました」
「そうですか、それはよかった」内心、私は大喜びだった。ざまあみろだ。
「それから、これ」と、巡査が袋を手渡す。「お借りしていた二十万円です。ご確認ください」
中身を確認する。たしかに二十万入っていた。お金も無事に戻ってきたし、犯人も逮捕できた。最高の結末だ。
「おばあちゃん、みてみて、ニュースになってるよ」と伊藤巡査がスマートフォンを取り出し、画面を私に見せた。「これ、おばあちゃんのことだよ。すごいね」
機械音痴の私にはよくわからなかったが、どうやらインターネットのニュースのようだ。【お手柄! 騙されたフリで犯人逮捕】という見出しの記事が掲載されていた。中身を読んでみると、福岡市の小林ミサヲさんの機転により詐欺の犯人を逮捕できた、と絶賛されていた。
口元が緩みそうになる。ものすごく気分がいい。
「どうやら、町内会の名簿が流出したらしく、最近この一帯の家に不審電話が相次いでいるようです」東巡査が厳しい表情で告げる。「今後も金銭を要求する電話がかかってくる可能性が高いですので、気をつけてください」
伊藤巡査が笑顔で言う。「まあ、ミサヲばあちゃんは大丈夫だよね」
「もちろん」と私も笑った。次も絶対、犯人を返り討ちにしてやる。
【次回更新は、2019年7月21日(日)予定!】
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