フェイク・ゴールドラッシュ―3
……胸の辺りがズキズキする。
どれだけの間、俺は気を失っていたのだろうか。再び目を開けると、そこには見慣れない景色が広がっていた。
どこかの倉庫のようだ。がらんとしている。ほの暗く、やや
俺はそこに、両手両足を縛られた状態で転がされていた。身動きできない。まるで地を
「──気が付いたか」
不意に、声が聞こえた。
寝返りをうつようにして顔を上げ、声の主を探す。すぐ傍に人が立っていた。スキンヘッドの男が俺を見下ろしている。先刻、俺に声をかけてきた、あの男だった。
「……迷子じゃなかったわけね」
道に迷ったなんて大噓。すべてはこいつの芝居だった。俺を
「あんた、誰?」
「俺は
田邉組──たしか、福岡県にある指定暴力団の下位組織。つまり、この男はヤクザだということになるが、特に驚きはなかった。そもそも顔に「自分はヤクザです」と書いてあるような風貌だ。頰の傷は
「俺の兄貴が、お前に
「あにき?」
「田邉組若頭の、
…………誰?
縛られたまま、俺は首を
「氷室、なにさん?」
「氷室
念のため下の名前も確認してみたが、やっぱり聞き覚えはない。「まったく存じ上げないのですが……」
すると、ヤクザの男はやれやれとでも言いたげな顔でため息をついた。
「ひとつ教えといてやる。氷室さんを怒らせない方がいいぜ。あの人は見た目と違って、かなり荒っぽい性格なんだ。残酷なことも平気でやる。指が数本なくなるくらいは
「えぇ……」
話を聞いただけで
氷室准也。かなりヤバそうな奴じゃないか。
だが、同時に疑問が浮かぶ。そんな奴が俺に何の用だ? まさか報復か? いやいや。過去に氷室という男を詐欺にかけたことはないはず。そういうヤバい連中とは関わらないよう、俺だって仕事を選んでいる。カモの身元はちゃんと調べ、騙したところで後々面倒にならなさそうな奴だけを狙ってきたつもりだ。
──さて、どうする、ミチル。
自分に問いかける。このままではかなりマズい。なんとかこの場を切り抜ける方法を考えなければ。
と、そのときだった。倉庫のドアが開いた。緊迫した空間に、ひとりの男が足を踏み入れる。
「氷室さん、お疲れさまです」
その男に向かって、目の前のヤクザが頭を下げた。
氷室──出た。いよいよ
「ノブ、下がれ」氷室が口を開いた。低く、よく通る声だった。「あとは俺がやる」
その男を見て、俺は拍子抜けした。
──えっ、こいつが氷室?
てっきりVシネの帝王みたいなどぎついヤクザが出てくるかと思いきや、まったく違った。洗練された
「あんたが──」と言いかけたが、俺は言い直した。「あなたが、氷室准也さん?」
「ああ」
氷室が頷き、サングラスを取った。まだ若い男だった。歳は三十前後。俺とそんなに変わらない。切れ長の一重の瞳に、高く
こいつ、本当にヤクザなの? いや、最近のヤクザは大卒が多く、頭がよくないとやっていけない世界だという話も聞く。ヤクザはみんな強面、だなんて固定観念に
氷室の顔を見れば何か思い出せるだろうか。そう思っていたが、
「あのぉ」と、俺は恐る恐る声をかけた。「人違いじゃないでしょうか? 俺、あんたにこんなことされるような覚えは──」
「これを見ろ」と、氷室が俺の言葉を
それは、一枚の絵画だった。
げっ、と俺は心の中で声をあげる。
「ほら、よく見ろ」氷室がしゃがみ込み、俺の髪の毛を乱暴に
……あるに決まってる。
その絵は、マリオが描いたゴッホの贋作。俺が間抜けなコレクターに七千万で売りつけたものだ。
「実はな、古い友人が詐欺に遭って、俺に泣きついてきたんだ」怒りに満ちた低い声で氷室が言う。「事情があって持ち主が急ぎ絵画の譲り先を探している、などと言われ、七千万で贋作をつかまされたそうだ。売りつけてきたのは美術商の
佐々木和博──俺が使っていた偽名だ。
すっかり思い出し、俺の体に冷や汗が
次の瞬間、氷室はその長い脚で贋作を踏みつけた。まるで地面に捨てた
「お前の仕業だな」ドスの利いた声で氷室が告げる。「大金満」
……ヤバい。
俺の正体もバレてる。
詐欺師・大金満。二十九歳。この仕事はそれなりに長いので、これまで数多くの修羅場を
だが、今回はそれらの比じゃない。どれくらいヤバい状況かというと、それはもうとてつもなくヤバい。
絶体絶命。すべてバレている。とはいえ、罪を認めたら終わりだ。
「……いえ、違います」
なにがなんでも、ここはしらを切り通すしかない。
「そうか、違うか」
フン、と氷室は鼻で笑った。勝ち誇ったような、どうにもいやらしい笑みだった。
……なんか、嫌な予感がする。
「ノブ」氷室は再び、あのスキンヘッド男に声をかけた。「連れてこい」
すると、ノブと呼ばれた下っ端がすぐに動いた。誰かを連れて倉庫の中に戻ってくる。その姿を見て、俺は思わず「あ」と声をあげた。
──マリオだ。
山下鞠夫がノブに捕まっていた。両肩を摑まれた状態で、俺の前まで連れてこられた。
氷室が尋ねる。「お前が描いたゴッホを売ったのは、この男か?」
マリオが俺を見た。
俺もマリオを見た。言うなよ、絶対言うなよ、否定しろ──と、懸命に目で訴える。
「いや、その、それは……」
マリオは落ち着きなく目を泳がせ、口をぱくぱくと開いていた。
わかってるな、なにも言うなよ、絶対言うな──心の中で念じる。
マリオが黙っていると、氷室は懐から札束を取り出した。
「正直に話せば解放してやる。礼もするぞ」マリオの頰を札束でペチペチと叩いている。「この男で間違いないな?」
すると、
「間違いありません! こいつです!」マリオが大声で俺を指差した。「このケチな詐欺師です!」
「はああぁ!?」
俺の叫び声が倉庫内に響き渡った。
「この男が俺の描いた絵を売りました!」
「ちょっ、おま、まじか」
「どうもありがとう」氷室はにっこりと笑った。明らかに作り笑いだ。「これでタクシーでも拾って帰るといい」
札束を渡され、マリオは「ありがとうございます!」と元気よく礼を告げた。それから俺に向かって笑顔で合掌すると、すぐに
「くっそ、この、覚えてろよ!」遠ざかっていくマリオの背中に向かって、俺は
くそったれマリオの野郎。自分は『警察には言うなよ』なんて俺に
めちゃくちゃ腹立つ。……が、マリオばかりを責めるわけにもいかなかった。もし逆の立場だったら、俺も確実に同じことをするだろう。許すわけじゃないが、気持ちはわかる。わが身の可愛さと金の力の前では、どんな
マリオが逃げ去り、俺は再び倉庫の中にひとり残された。芋虫状態に変わりはないが、事態は悪くなる一方だった。
「これでもう言い逃れはできないな」
目の前には、依然として勝ち誇った顔をした氷室がいる。
「犯した罪は、しっかり償ってもらう」
またもや氷室が懐に手を伸ばした。今度は何を取り出すのか──
折り畳み式のナイフだった。
「え」
俺は青ざめた。
さっきのノブの話が頭を
そのナイフで、まさか、俺を──?
「ちょ、ちょっと、待って」
このままじゃまずい。
氷室が一歩ずつ距離を詰めてくる。俺は身を
だが、無駄な抵抗に終わった。氷室の大きな足が俺の体を踏みつけ、動きを止める。
「いや、ちょっちょっちょっ、待って待って、やだやだやだやだ」
氷室が握るナイフが、俺の体に近付いてくる。
もう終わりだ、と思った。
「去勢はいやだぁぁぁ!」
俺の叫び声が倉庫の中に響き渡った。
次の瞬間、ザクッと何かが切れる音がして、俺は「ひっ」と悲鳴をあげた。
だが、
「…………あれ?」
どこも痛くない。
「うるさい男だな」氷室が
「……へ?」
氷室が切ったのは、俺の体ではなかった。俺を縛っていたロープだ。手足の拘束を解かれ、俺はゆっくりと立ち上がった。
「は? え? なんで?」いきなり自由を与えられ、俺は混乱した。「去勢すんじゃないの?」
「去勢?」
「あ、いや、なんでもないです」
なんかよくわからんが、助かったということだろうか? 状況がまったく
「お前に償いのチャンスをやる」
と、氷室が口の端を上げた。
【次回更新は、2019年6月30日(日)予定!】
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます