フェイク・ゴールドラッシュ―2

 金印というのは、その名の通り黄金で作られた印だ。一辺2.3センチ、重さは108グラム。江戸時代に福岡のかのしまで発見されたもので、『かんのわのなのこくおう』という文字が刻まれている。現在は福岡市博物館に所蔵されており、年間十数万人もの客がその小さな国宝を見に訪れるという。

 教科書にも載るような超有名な代物が盗まれたのだから、福岡の街は大騒ぎになっていた。ローカル局のニュース番組でも連日取りざたされ、警察も躍起になって犯人を捜しているようだが、事件に進展はなさそうだった。

 詐欺というものは、時事や世相、世の中の流行はやりなどに影響を受けることが多い。たとえば、健康ブームになれば健康食品の詐欺が流行るし、仮想通貨が話題になればさっそく投資家を騙す奴が出てくる。社会が高齢化すればジジババを狙う奴が増える。逆に言えば、詐欺師は時代に敏感で、常にアンテナを張り巡らせているというわけだ。

 数日後、俺はろつぽんまつへとやってきた。福岡城跡から徒歩二十分ほどの場所にあるテナントビルへと向かう。この三階には、やましたまりという知り合いの若手芸術家が暮らしている。

 マリオの自宅兼仕事部屋は、コンクリート打ちっぱなしの壁に包まれている。中に入ると、まずギャラリーがあり、十畳くらいの狭いスペースにマリオが制作した絵やら彫刻やらが飾ってある。どれも奇抜な作品ばかりだ。さらに奥へと進むと、絵の具の臭いが漂ってくる。そこはアトリエで、マリオはちょうど作業中だった。大きなキャンバスに向かい、黙々と筆を走らせている。

 俺はそっと背後に忍び寄り、

「だーれだ」

 と、両手でマリオの目を塞いだ。

「ああーっ!」マリオが叫び声をあげ、勢いよく振り返る。「オイ! どうしてくれんだ、これ!」

 俺のせいで手元が狂い、線がゆがんでしまったらしい。俺は「ごめんごめん」と軽い調子で謝りながら、どれどれとキャンバスをのぞんだ。そこには人の顔みたいなものが、毒々しい色合いと角ばったタッチで描かれている。キュビズムの類だろうか、俺にはさっぱりわからない。正直、どの線が歪んだのかも判別できないレベルだ。だが、この男の芸術が理解できないのは俺だけではないようで、マリオの独創的な作品はどれも、なかなか買い手がつかないでいる。

「今回の絵も攻めてんなぁ」と、俺は適当な感想をこぼした。

「何の用だよ、ミッチ」ひとつに結んだ髪の毛を解きながら、マリオが俺と向き合った。日本人離れした彫りの深い顔立ちに、肩まで伸びたくせ毛。マリオは日本人とイタリア人のハーフだ。絵の具のついた手でこすったのか、高い鼻が赤色に染まっている。

 その辺に置いてあった丸い椅子のようなものに俺が腰を下ろそうとすると、マリオは「俺の傑作に座るな」と注意した。これも作品だったのか。

 仕方なく、その場に立ったまま話をする。「お前さ、前に作ったことあったよな? 黄金のブードゥー人形みたいなやつ。金を溶かして、型に流し込んでさ」

「あれはブードゥー人形じゃなくてマリア像だ」

 どっちでもいい。俺は本題に入った。「ひとつ仕事を頼みたい」

 山下鞠夫は売れない芸術家だ。自分の作品だけでは食っていけない。大昔から生活の苦しい芸術家たちがそうしてきたように、彼も副業で生計を立てている。既存の作品の模造品制作──この男の裏の顔はがんさくで、俺とはビジネスパートナーでもあった。

 ところが、

「嫌だ」

 生意気にも、マリオは俺の頼みを断ってきた。

「俺はお前の下請けじゃない。それに、今は自分の作品で忙しいんだ」

「はあ? ふざけんなよ。お前が描いたへったくそなゴッホ、コレクターに七千万で売りつけてやったの、誰だと思ってんだ」

 この俺だ。

 七千万のうち、取り分は俺が六割でマリオが四割。俺の詐欺師としての腕のおかげで、マリオは三千万近くを儲けることができたわけだ。この自惚うぬぼれの強い無名の芸術家は、その全額をつぎ込み銀座で初の個展を開いたのだが、どういう結果に終わったのかは想像に難くない。

「お前は贋作を生み出すことはできるけどな、セールストークは全然ダメだ。俺みたいなブローカーがいてこそ儲けられるんだぞ」

 その文字通り高い鼻に指を突き付けて言ってやれば、さすがにマリオも言い返さなかった。

「あー、わかったよ、もう。……で、今度は何を作れって?」

「これの贋作」

 と、俺は箱を渡した。中には金印のレプリカが入っている。博物館の売店で買ってきた土産ものだ。

 中身を見て、マリオは眉をひそめた。「は? 金印?」

「ブードゥー人形より簡単だろ?」

「マリア像な」

「一辺2.347センチ、重さ108.729グラム。金が95%で、銀が4.5%、銅は0.5%だ。五日以内に頼む」

 マリオはあからさまに嫌そうな顔をしていたが、俺は「んじゃ、よろしく!」とさわやかな笑顔で仕事を押し付け、彼のアトリエを出た。


    

 なんだかんだ文句を言いつつも、頼まれた仕事はきちんとこなす。山下鞠夫という贋作師はそういう男だ。

 それからきっちり五日後、マリオから連絡があった。贋作が完成したとのことだ。俺はさっそく彼の仕事場まで品物を迎えに行った。

 アトリエに足を踏み入れた瞬間、マリオが何かを投げてきた。「おっと」と慌ててキャッチする。小さな四角い金の塊──金印だ。

「おお!」出来上がった贋作をじっくりと眺め、俺は声を弾ませた。「やるじゃん! いい感じじゃん!」

 一面いっぱいに彫られた『漢委奴国王』の文字も、実物と寸分も違わない。どこからどう見ても、本物の金印だ。見事な出来である。

 このマリオという男は、オリジナルの作品はエキセントリックでかいかいだが、贋作にかけては誰もが認める天才だ。その出来栄えには毎度のことながら感心してしまう。

「さすがは『福岡のダ・ヴィンチ』と呼ばれるだけのことはある」

「呼ばれたことねえし」マリオはむっとしている。「お前、適当におだてときゃ俺が言うこと聞くと思ってるだろ」

「いやいや、そんなことないって」

「へったくそなゴッホって言ったくせに」

 気にしてたのか。「あれは冗談だってば。ほら、売り言葉に買い言葉ってやつ」

 へらへら笑ってごまかしながら、俺は偽金印を胸ポケットにしまった。

「ったく、変なもん作らせやがって」マリオが顔をしかめる。「今度は何をたくらんでんだ、お前」

「盗品ブローカーになりすまして、こいつを収集家に売りつけるんだ」胸を叩き、俺は自信満々に答えた。

 例の事件は犯人逮捕に至っておらず、博物館から盗まれた金印はいまだ見つかっていない。──これはチャンスだ。この世には、盗品だろうと喜んで買い集めるようなコレクターが少なからず存在する。それが国宝となれば数多あまただろう。窃盗犯が捕まり金印が発見されるまでの間に、偽の金印を高値でコレクターに売りつける──それが、俺の今回の計画だ。

「うまくいくのかよ、そんなの」

 マリオは半信半疑だ。だが、彼に限ったことではない。詐欺の話を聞けば、世の大半の人間は思うだろう。明らかに怪しい話じゃないか、そんなものに騙される奴がいるのか、と。

 ところが面白いことに、騙される奴は必ずいる。詐欺師の仕事は、そんな間抜けなカモを見抜き、演技力とトーク力で信用させ、自ら進んで金を出すように仕向けることだ。

「いくら俺の作品がかんぺきでも、さすがに金印は怪しすぎて騙せないんじゃないか」

「それを騙すのが俺の仕事だ」俺はマリオの言葉を軽く笑い飛ばした。「そもそも本物の金印だって怪しい代物だしな。万が一疑われたとしても、いくらでも言い逃れできる」

「万が一、警察に捕まっても」マリオが俺の顔をにらみつけた。「絶対、俺の名前は出すなよ」

「捕まるようなヘマはしない」過去に一度だけあったが。「安心しろって」

「今回の俺の取り分は?」

「必要経費を差し引いた、残りの30パーセントをお前にやるよ」

「たったの三割?」マリオはむっとしている。「ケチな詐欺師だ」

ぜいたく言うな」と、俺は一蹴した。



 マリオのアトリエを出ると、俺は最寄りの駅へと向かった。

 歩きながら、頭を働かせる。さて、金印は用意できた。次はカモだ。誰を狙おう? 標的を頭の中で物色する。金持ちで、盗品にも平気で手を出す人物。俺には思いつかないが、『スティング』のマスターなら心当たりがあるだろう。彼は情報通だ。ちょうどいいカモを紹介してくれるかもしれない。

 五分ほど歩いた、そのときだった。

「──すみません」

 不意に呼び止められ、俺は足を止めた。

 俺のすぐ横に、黒塗りの車が停車した。

 高そうな車だ。運転席の窓から男が顔を出している。歳は三十後半から四十前半くらい。スキンヘッドで強面こわもての、黒いスーツを着た男だった。左のほおに傷がある。一度見たら忘れられない顔だ。

 足を止めると、男は車から降りてきた。「道に迷ってしまって」と地図のようなものを手に、俺に近付いてくる。まあ、この辺りは道が入り組んでいて地元の人間以外にはわかりにくい。迷子になるのも無理ないな、と思う。

 男は俺のそばに立ち、地図を見せてきた。どれどれと覗き込んだ、そのときだった。突然、俺の胸元に衝撃が走った。内臓を圧迫され、思わず「うっ」とうめき声があがる。全身の力が抜け、俺は目の前の男にもたれかかるしかなかった。

 男は軽々と俺の体を抱き留め、そのまま引きずって車の後部座席に乗せた。意識がもうろうとしていた俺の視界が、ゆっくりと暗くなっていく。それ以降の俺がどうなったのか、見届けることはできなかった。


【次回更新は、2019年6月29日(土)予定!】

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