第9話 異世界終千夜



 ヴァンデール邸内、廊下。


 食事を終えた俺たちは、三人揃って自室へと戻る最中だった。

 ここでいう三人とは、俺、ホロ、センさんである。

 ドロシィはというと、なにやら兄と話の続きがあるとのことで食堂に残っていた。



 しかし良い人だったな兄貴は。

 談笑中、ありのままの真実を話す訳にもいかないからお得意の嘘八丁を並び立てなければいけなかったのが少し心苦しいが。


 思えばドラさんもウィルの兄貴によろしく伝えて欲しいと言っていたし、やっぱり街の皆からも慕われているのだろうか。


 あの子供心を忘れないような性格こそが求心のミソなのかもしれない。

 なんにせよ。



「いやぁ、実に素晴らしい食事会だったなぁ!料理も美味かったし!」


「セン様は超一流の料理人っすから」


「おだてたって私は木に登ったりしないわよ。それよりも貴方、一体どういうつもりかしら?」



 センさんがずいっと顔を近づけてきた。

 鋭い目で睨みつけられる。

 片目しか見えないとはいえ、それで眼力が半減するかといえば、否。断じて否。大間違いである。寧ろ余計に怖い。ハムスターくらいなら射殺せ神槍。


 すっとぼけることにした。



「な、なんのことでしょうかァ〜?」


「そう……。私のありがたい忠告をガン無視した挙句に、あくまでとぼけるつもりなの。これはもう、アレね。冥土送りが妥当かしら。大丈夫よ。気負うことはないわ。メイドによって冥土に送られても回りに回って現世に現界できるかもしれないもの、ね」


「け、喧嘩はだめっす……仲良くするっす……」


「ホロ。ハウス!」


「わうっ!」



 ああっ、なんてこったい。

 ホロが従順な犬、もとい狼になっちまったよ。

 センさんの鶴の一声により、ホロは戦線離脱。

 四足歩行で脱兎の如く廊下を駆け抜け、見えなくなった。

 後に残されたのは隻眼の蛇に睨まれた蛙のみである。言うまでもなく、俺が蛙の方な。

 だが案ずることなかれ。

 蛙は蛙とて今の俺は虎の威を借る蛙である。

 窮蛙、蛇を呑むってな。


 センさんは、ホロが去っていった方をじっと見ていた。

 気配が完全に消えたことを確認すると



「さて、あの子も消えたことだし、話の続きなのだけれど」


「ほ、ほほほ、ほぉ〜?客人である俺に対して、そんな態度とっちゃっていいいいのかなぁ〜?ウィルの兄貴に言ったら怒られるだろうなぁ〜?」


「それが一体なんだというのかしら」



 あれぇ?


 あの、兄貴?

 貴方の威光、使用人にまるで通用しないんすけど。


 小さく息を吐いた。

 腰に手を当て憮然と言う。



「あのね、ロク。勘違いしないでほしいのだけれど、私はなにも貴方と敵対したいわけじゃないのよ」


「……と、というと?」



 チラリとホロが去っていった方へと再び視線をやった。

 俺もつられて、そちらを見る。

 小さく、含蓄のある言葉だった。



「……あの子が側にいたからよ」


「ホロ?それがなんで」



 ホロがいることで、なぜあんなにも剣呑な空気を出さなければならないのか。


 センさんをみると、今までの切れたナイフのような雰囲気はすっかりとナリを潜めていた。

 常に眉間に寄っていた皺も消えている。


 おいおい、どうしちゃったんだよこの人。

 これじゃあまるでメイド服を着た普通の女の子、というのは流石に失礼かもしれないけどさ。


 沈黙が続く。

 少し思案するように、人差し指を唇に添えて



「これ以上は言えないわね。少なくとも、今はまだ。

あの子と私の過去に関することでもあるもの。会って間もない相手に告げることじゃないわ」



 踵を返し先へと進む。

 少し歩いて、ゆっくりと止まった。

 振り向き、彼女の左目と交錯する。

 相変わらず何を考えているか不明瞭で無感動な顔だ。

 仄かな灯りが半身を照らし、暗い影を落とした。



「さてさて。果たして鬼が出るか蛇が出るか。今後の展開が楽しみね」



 蛇はアンタだろうに。





☆ ☆ ☆





 モヤモヤしていた。

 気になることを言うだけ言って、さっさと消えやがって。



 客室にて。

 部屋の奥に備えられたベッドに寝転がりながら俺は一人、物思いに耽っていた。

 何についてと言えば、もちろん先程のセンさんの言動についてなのだが。


 ホロとセンさん。二人の間に何があったのか。

 それと、最後に言い残した言葉。


 なんなんだよあの思わせぶりな台詞は。一体どんな思惑があってあんな言葉が飛び出したのやら。



 ……考えても仕方ないか。いつか機会があれば訊いてみることにしよう。のらりくらりと躱されそうだけど。



 上半身を起こし、出窓を開ける。


 そよそよと潮風が流れ込んでは、髪を揺らした。

 幻想的な月灯りが差し込み、部屋に影を写す。

 すぐ近くには、仄暗い海が見えた。

 窓枠に寄りかかりながら、思う。



 こうして振り返れば激動の一日だった。



 いきなり死んで、酔っ払いで寂しがり屋な神に五回きりのチカラを渡されて。


 森で目覚めたと思ったらカラフルな兎に襲われてさ。運良く助けられたと思ったら嘘みたいなお嬢様だよ。


 そういやぁ海の見える街ってのも初めて来たな。それが竜人やら鳥人やらが皆で仲良く暮らしてるってんだから笑える。


 そんでメイドの二人か。センさんは正直よく分からんし怖いけど、ホロはいい子だよな。モフモフだし。いつか尻尾とか触らせてくんないかな。


 そしてウィルの兄貴。凄ぇいい人。領主って権力を笠に着ないでめっちゃ気さくに接してくれるし。ドロシィにもだけど、この兄妹にはいつか恩返ししないとな。



 再び、ベッドに体を投げ出す。

 白い天蓋が月光に照らされて、淡く色付いている。



 明日からはどうしようかな。

 いつまでこの屋敷にいていいんだろう。

 俺はこの世界でどのようにして生きればいいのか。

 神撃──いつかこの力を使う日もくるのだろうか。



「ふわぁ〜……」



 時計がないから分からないけど、そろそろ日も変わる頃合いかもしれない。


 考えれば考えるほど今後の不安は多い。

 俺は元来、小心者なのだ。環境が変われば思考の虫に取り憑かれてしまう。



 それでも、今はただただ眠りたい。





 ──風が気持ちいいな。



 微かに聞こえる漣の音。


 気付けば夢の中に落ちていた。





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