第8話 お茶目な兄貴は領主様
「うぅ〜……痛いっす〜。ズキズキするっす〜……」
ぐしぐしと泣きじゃくるホロの瞳には、未だ大粒の涙が湛えられていた。
時折しゃくりをあげては悲しそうにお尻をさすり、尻尾も力なくしゅんと垂れてしまっている。
そんな悲痛な姿を見ても、どうやらセンさんはまるで心が痛まないご様子である。無感動な左目を向けては、一切合切の容赦なく罵声を浴びせた。
「いい加減泣き止みなさいな。鬱陶しい事この上ないわね、犬畜生」
「鬼かよ……」
俺の小さな呟きも、彼女には届いていないらしかった。
或いは、届いていながらも聞こえないフリをしているのか。きっと後者だろうな。
ヴァンデール邸内。
俺は食堂へと続く廊下を、二人と一緒に歩いていた。
少し先を行くセンさんの後ろに、俺とホロが並んで続く形だ。
辺りにはなんとも言えぬ空気が漂っている。
うっかり口答えでもしようものなら、とばっちりを受けそうなので俺は隣のホロを、よしよしと慰めながら静かに彼女の後を付いて行くのみであった。
そうして暫く経った頃。
前の方に大きな両扉が現れた。
恐らくは、この先が食堂なのだろうが。
ふいに、センさんがその場で立ち止まる。
くるっと半回転して、こちらに視線をやってきた。
やはり、その左目に色は見えない。
「一つ。先に忠告しておくけれど」
前置きをしてから
「ウィリアム様は、なるほど、お調子者で見栄っ張りで妹をこよなく愛するどうしようもない変態ではあるけれど」
ひっでぇ言い草。
「それでも、あまり礼節を欠いてはダメよ。腐っても、この街を統治している領主には違いないのだから」
その台詞をそっくりそのままアンタに返すよ。
と、喉元まで出てきた言葉をなんとか飲み込む。
異世界生活初日にして、自ら人生に幕を下ろすなんて余りにも馬鹿馬鹿しい。
俺は了承の意味を込め、分かったよ、とだけ返した。
彼女は小さく一つ頷くと、扉の取っ手を掴んだ。
ギィィ、と重苦しい音を立てながら、扉が開かれる。
その中には…………
……。
…………?
何故だか、食堂は真っ暗闇に包まれていた。
これじゃあ一寸先すら見えやしない。一体どうなっているのやら。
センさんに
「なぁ、これって」
声を掛けた。その瞬間!
カッ!!
食堂が眩い光に包まれた!
急激な明暗につい眩暈を覚え、思わず目を閉じる。
しかし視覚は奪われても、聴覚はしっかりと機能していたようで、すぐに男の声が耳に届いた。
こんな声。
「ようこそ【小鳥たちの
うるせぇわ。
こっちはまだ目が見えてないんだよ。
前口上なら後にしてくれ。
眉間を抑えながら目をしぱしぱさせて、なんとか光を取り戻そうとしていると、男の怪訝そうな声が聞こえてきた。
「んん?彼は一体どうしたのだろうなぁ?」
ブッ飛ばされてぇのか?
なんで未だ姿も見えない男にここまでの殺意を抱かにゃならんのか。
少しして、目が光に慣れたところで、ようやく食堂の全貌が明らかとなった。
長方形の広々とした部屋だった。
中央にはキャンドルスティックや食膳が整然と並べられた長机。
一目で上質なものだと分かるテーブルクロスも丁寧に掛けられている。
どうやらドロシィは先に来ていたようで、こちら側から見れば左側の奥の方で既に席へ着いていた。
頬杖を付きながら大きく溜息を吐いたのが入り口側からでもしっかりと見て取れた。
なんだか呆れてモノも言えない様子である。
そして、部屋の一番奥の方。
上座に当たる席の側には一人の男が悠然と立っていた。
不敵な笑みを貼り付けている。
恐らくあの男こそが俺の視力を、一時的にとはいえ奪ってくれた邪智暴虐の王に違いあるまい。
見た目に限る第一印象としては、ザ・伊達男って感じ。
齢は二十代中盤あたりか。領主というには、かなり若く見える。
ドロシィと同じ垂れ目がちの翠眼。
体幹も随分としっかりしているもので、白を基調に真ん中から黒い線が走っている貴族然とした上下もピシャリと着こなしていた。
惜しむらくは癖っ毛であるにも関わらず長いブロンドヘアを無理矢理オールバックにしているせいで、頭のてっぺんがツバメの巣のようにモッコリと膨らんでしまっている事か。
この世界の住人ってのはキャラが立ってないと死ぬ法律でも定められてるのか?だとしたら俺は即死する自信があるぞ。
しばらくその場で立ち尽くしていると、痺れを切らしたのか伊達男が嬉しそうに話しかけてきた。
「さぁさぁさぁ、そんなところにつっ立っていないで、こちらへ来て座りたまえよ!」
「……はい」
とりあえずドロシィの前の席に座った。
こういった場のマナーとかよく知らんけど、一応は客人扱いだし多分ここで大丈夫だよな?
座ると同時に、メイドの二人も自分の席に着いた。
ドロシィの隣にセンさん。俺の隣にはホロが。
きっと俺は不思議そうな顔をしていたんだろう。
「む?もしや使用人と一緒に食卓を囲むのは気分を害するかね?」
「へ?あーいやいやいや、そんな事は一切。全く。ただ、ちょっと……珍しいんじゃないかな〜って」
「ふぅむ……」
伊達男が顎に手をやった。
大して詳しい訳じゃないけど、メイドという職業の人達が主人と共に食事を摂るってのは余り聞かない話だ。
あくまでも地球での話なので、異世界ではこれが常識と言われればそれまでだが。
「ウチではメイドも一緒に食事を摂るのが通例なのです。言い出しっぺはウィルなのですけどね」
それまで黙していたドロシィが正面からサポートを入れてきた。
眉は困ったように折れているが、口元は優しげに緩んでいる。
「うむ。まぁ、そういう事だ。メイドとて家族の一員。皆で楽しく食事をした方が味も旨くなるというものだからな!はっはっは!」
へぇ。
何というか、すげぇ好印象。
豪放磊落に笑うその様は、先の鬼畜な所業を帳消しにするに余る程には、見ていて実に気持ちのいいものだった。
多分、根は良い人なんだろうな。
ちょっと思慮が浅くて頭が緩いってだけで。
さっきのも客人に対するサプライズのつもりだったのだろう。
伊達男は、勢いよくパンと一つ手を打って
「さて!では食事の前に自己紹介といこうか!私の名はウィリアム=アロイス=ヴァンデール。この街の領主だ。宜しく頼むよ!」
「は、はい。俺は……っと、自分はクロバ=ロクっす。一応、旅人っす。宜しくお願いしまっす……」
なんだかホロのような口調になってしまった。
元の世界じゃあ、こんなお偉いさんと接する事なんて無かったからイマイチどう対応すればいいのかが分からん。
隣ではホロが俺の服を掴んで
「お揃いっすね……」なんて尻尾を振りながら可愛らしい事を呟いてきたのでケモミミには触れないように頭を撫でておいた。
「まぁ、そう固くならないでくれたまえよ。普段通りに接してくれて構わん。私の事も好きに呼んでくれ」
「ええっと、じゃあ……兄貴って呼んでも?」
「む、兄貴?」
流石に不躾だっただろうか。
もう会えなくなってしまったが、実を言うと俺は下に一人の妹がいる長男だったのだ。
俺とは違って素直に育ってくれた良い子なのだが、正直、俺は兄が欲しかった。
と言うのも、中学生時代に友達から借りたヤンキー漫画の影響である。
弟を助ける為に、少し抜けた兄が奮闘するシーンの、まー格好良かった事。
目の前の男が、正にそれなのだ。リーゼントっぽい髪型なんて特に。
口にしてしまった後で、ともすれば不敬罪によりブタ箱行きになりゃしないかと内心は戦々恐々だったが、彼の反応は実に好意的なものだった。
肩を揺らして、忍び笑いを漏らしている。
「ふ、ふふ。兄貴……兄貴か!実に甘美な響きだ!うむ、そう呼んでくれたまえ、我が弟よ!」
「あ、兄貴ィ!」
「おー。漢の友情っす」
笑い合いながら、ウィルの兄貴と固い握手を結ぶ。
正面ではドロシィが、もうご自由にどうぞ、と言った感じで項垂れている。
センさんは、おい忠告したよな、ってな目付きで俺を睨みつけていた。
構うものか。俺は夢の兄貴を手に入れたのだ。もう無敵である。
もしセンさんから虐められそうになったら兄貴に助けてもらおーっと。
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