第4話 海の見える街



 ようよう、陽も落ちかけてきた時分。

 空も赤朽葉に染め上げられ、懐旧的な情景に変わりつつある。

 巻雲が大きく伸びては、遥か遠く、風に揺れている。

 どこからか、海猫のような鳴き声が聞こえてきた。

 寄せては返す、波の音も。

 潮の香りが心地良かった。


 異世界っても、綺麗な景色は地球と変わらないもんだな。妙に安心した。



「なぁ、今更だけど本当にお邪魔していいのか?」



 俺はドロッセルお嬢様先導のもと森を抜け、大きな街道を二人で歩いていた。

 右手側では雄大な海が、黄昏に赤く燃えている。



 頭の上で手を組みながら歩く俺に対し、半歩ほど前をゆく彼女は、歩調を乱すこと無く言葉を返してきた。



「悪人には見えませんし。どうせ行く当てもない根なし草でしょう?うちの屋敷は、まー広いので。旅人の一人や二人、よゆーですの」



 気にしない気にしなーい。なんて、軽い口調。



 ドロシィの言う通り、今の俺は旅人ってことになっている。



 件の衝撃的な自己紹介。その後の事。

 流石に出会ってものの数分の人物に

「へへっどーも、異世界からコンニチハ」なんて言ってみるチャレンジ精神は持ち合わせていなかった。

 頭が春に支配されてるとでも思われちゃ終わりだ。

 せっかく出会えた現地人。逃すまいよと、質問ぜめにした。



ここはどこ?

唐紅カラクレの森

最寄りの街は?

ロンドルシア

近い?

割と

案内してもらっても?

OK



 転じて彼女のターン。

 YOUは何しにこの森へ?という問い。

「世界を見て回り、己の見識を広めたかった」というモラトリアムを持て余した大学生みてぇなセリフは紛れもなく俺のものである。

 我ながらもうちょい何とかならなかったのかね。



 次いで、僥倖とも言える提案が彼女の口から飛び出てきた。

 もし、泊まる宿が決まっていないのならウチへ来るといい、との事。

 願ってもない言葉に、俺は食い気味でハイ行きますと答えた。



 そんなこんなでなし崩し的にに職業、旅人となってしまった俺ことロクは、ドロシィと共にロンドルシアへと向かうべく、海沿いの街道を練り歩いてる真っ最中なのであったとさ。





☆ ☆ ☆





 道中、パトロンの機嫌を損ねないようウィットに富んだジョークを飛ばしながら歩く事、約四半刻。

 いよいよ本格的に陽が落ちた頃合い。



 遂に到着!

 記念すべき異世界初の街。

 交易都市ロンドルシアは、海の見える街である。



「うぉぉ、すっげ、すっげー!もう夜だってのに随分と賑やかなんだなぁ!夜店がいっぱいあるぞ!祭りでもやってんのか?あっ、オイあそこ!小人みてぇな奴が大道芸やってるぞ!うおっ、炎が!あれ魔法かぁ!?」



 俺のテンションは止まるところを知らず、もうウナギノボリだった。

 目に映るものの全てが真新しい。


 所狭しと並ぶ出店から声を張り上げ、身を乗り出すように客引きする主人たち。

 見たこともない食べ物がいっぱいだ。

 辺りに立ち込めた、甘いような、香ばしいような、雑多に入り混じった匂いを嗅ぐだけで、ついお腹が鳴ってしまう。


 向こうの広場からは、ケルト民謡のような楽しげなメロディが聞こえてくる。

 不思議な形をした楽器を演奏する楽師隊。それに連なり、月光の下、ノルディックな衣装を身に纏った多種多様な人々がリズミカルにステップを踏んでいる。

 みんな笑顔だ。熱量がすごい!見ているだけで無意識に体が揺れる!



 己の見識を広めたかったという言葉に嘘偽りなし。

 なるほど、こりゃ文字通り世界が変わるわ。

 なんだよなんだよ。いいじゃん異世界!



 お上りさんみたいに周りをキョロキョロしていると、ドロシィが俺の後ろからひょこっと顔を覗かせた。

 後ろ手に組んで、悪戯っ子のような笑顔を浮かべている。



「この街は年中こんな感じですの。ウェンデム王国の玄関口とも言える大都市ですから。他国からの来賓も多いのです。ほら、いろーんな種族がいるでしょう?」


「はぇ〜……!」



 パッと見える限りでは先述の通り、大道芸でオーディエンスを沸かせている小人。

 他にも、風呂敷を広げてアクセサリーショップを開いているのはドワーフっぽい少女だし、立ち飲み屋のマスターなんて頭が魚だ!

 何というか、まぁ。



「色んな奴らがいるもんだ」



 感嘆の上で、独白する。と、



「おぉ〜う!!ドロッセル嬢じゃねぇか!ゴキゲンかァ〜!?」



 近くの出店からでっけぇ叫び声。

 見れば、トカゲの大男が満面の笑みでこちらに手を振っている。



「あら、ドラパウロさん。ご機嫌よう」


「おうおう!ご機嫌よ〜う!!」



 ドロシィがトカゲ男の側まで行って律儀に挨拶を返している。

 逸れたくはないので、俺もついて行った。

 ドラパウロさん、とやらは俺の顔を一瞥するなり真顔になったと思ったら、次の瞬間にはニッと牙を剥き出しにして、



「おめぇさんも!ゴキゲンかァ〜!?」


「ごっ、ご機嫌よう……?」


「ドーラドラドラドラ!!」



 店から身を乗り出し、バシバシと俺の肩を叩くのだ。

 ちょ、この人っ、ちからっ、つえぇ!つーかそれ笑い声のつもりか!?



「繁盛しているようで何よりですの」


「おう!お陰様でな!全く、あんたとその兄貴には頭が上がらねぇや。よろしく伝えといてくれ!」


「ええ、しっかりと」


「それよかそのニイちゃんは一体なんなんだよぉ〜!遂にお嬢にも春が来たかぁ〜!?」



 オイ、そういう気まずくなる様な発言はヤメろよ!


 ドラパウロさんは俺を見ては、井戸端会議に興じるオバサンじみた下世話な笑みを浮かべている。

 ドロシィはというと、特に揺すぶられた様子もなく、こんな事を言ってきた。



「ロク。貴方、私の恋人でしたの?」


「それを俺に訊くのかよ」


「ドーラドラドラドラ!!」



 顔を押さえて哄笑するドラパウロさん。

 つーかもうドラさんでいいや。

 大人には敬意を払いましょうと当の大人は言うけれど、子供にだって相手を選ぶ権利はあるだろうよ。

 もし彼に子供がいるならミニドラって呼んでやろ。



「お嬢のツレなら金はもらえねぇな!ホレ!お近づきの印、肉野菜マシマシのト・ルトンパだ!持ってけぃ!」


「ん、いいのか?」


「おおよ!」



 ドロシィの方をみると、形の良い眉を折り、困ったような笑みを浮かべている。



「一度言ったら聞かない人なのです。貰っておくと良いですの。親切を無碍にするのも失礼ですし」


「ん〜さすが!よく分かってるねぇ!」


「へへっ、そう言う事なら…」



 ありがたい。正直、さっきからお腹が空いてしょうがなかったんだ。


 ドラさんから掌サイズの包みを二つ受け取る。

 一つをドロシィに手渡してから、どれどれ、中身を確認してみると、なにやらトルティーヤに近い食べ物らしかった。モチモチの生地の中に、肉やら野菜やらがごった返している。ボリュームもたっぷりだ。

 見た目の割には小洒落たものを作る。



「今後ともご贔屓に!お嬢のツレだってんなら割引するからよぉ〜!ドーラドラドラドラ!」



 礼を言ってから、二人でその場を後にした。


 さてさて、これが異世界初の食事である。

 記念すべき一口目。包みを両手で持って、大きくかぶりつく!



「うん……うん……。ん!うまい!これめっちゃうまいぞドロシィ!」


「それは何より。きっとドラパウロさんも喜びますの」


「はぐっ!んぐっ!」



 二口、三口。

 咀嚼するのも忘れそうな美味しさだ。

 肉と野菜の調和が素晴らしい。ジューシィな肉汁と、瑞々しい野菜の食感が口内で見事に溶け合っている。まるで織姫と彦星。これは味の暴力や!


 夢中で食べた。夢中で食べて、もう消えた。

 つい、ドロシィの手にする包みに目が行った。

 多分、乞食みてぇに見えたんだろうな。

 自分の包みを胸の方に寄せて、ガードした。



「むむっ!だーめっ!これは私のですぅー」


「先っちょだけ!先っちょだけで良いから!」



 他意はない。


 ドロシィは渋々といった様子で、包みをそっと差し出してきた。



「ホントに先っちょだけですからね」


「はぐっ!!」


「あっ!ちょっと!?」



 半分くらい喰らってやった。



「うん、うん。やっぱイケんな、ト・ルトンパ。」


「信っじらんない男ですのこいつぅ!」



 食い物への執念は恐ろしい。隙を見せた方が悪いのだ。世界は弱肉強食。全て世は事もなし。



 可愛らしくプリプリと怒るドロシィに、ごめんね、と謝ると、すぐに、いいよ、と許してくれた。

 本気で怒っていた訳ではないらしい。よかったよかった。


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