其の四
長い廊下だった。
一体どこまで続くやら、まったく見当がつかない。
左側は硝子障子、その向こうは広大な敷地の庭、右側はずっと襖である。
ミノス王の迷宮もかくや、と思えた。
その長い廊下を、さっきの老婦人は俺を先導して、まっすぐに前を見たまま歩いてゆく。
紺色の和服に燻んだ藍色の帯を締めた背中が、まったく揺れることなく、また殆ど音を立てることなく迷わず進んでいった。
どのくらい進んだか分からない。
彼女がぴたりと襖・・・・他は全て幾何学模様だったのに、そこだけ何故か、龍の絵が墨で描かれている・・・・の前で立ち止まり、膝をついた。
『お連れ致しました』
低い声で彼女が襖の向こうに呼び掛けると、
『よろしい。入りなさい』
と、返ってきた。
低い男の声である。
襖を開けると、畳の海が広がっていた。
おおよそ30畳はあるだろう。
彼女が、
『どうぞ』といったので、俺は中へと入った。
正面には違い棚の付いた床の間があり、雲をはらんで天に昇らんとしている龍が描かれた掛け軸がかかっており、その軸を背にして、一人の白髪の老人が、和服を着て坐っていた。
はっきりした年齢は分からない。しかし70をとうに越しているだろうというのは察しがつく。
老人の両隣には、ダークスーツに黒ネクタイの若い男が背筋を伸ばして正座していた。
懐に『道具』をのんでいるのは、入ってすぐに分かった。
『まあ、座りたまえ』
老人は自分の真正面、2メートル弱ほど離れているところに、先ほどの老婦人が置いた座布団を指さして言った。
重々しい声だった。
俺は何もいわずに、黙ってそこに胡坐をかいて腰を下ろす。
俺が座ったのを確認すると、斜め後ろに控えていた先ほどの老婦人が立ち上がり、座敷を出て行くと、すぐに何かを捧げ持つようにして戻ってきた。
黒漆塗りの大きな盆だった。
その上に紫の袱紗がかけてある。
老婦人はそれを前に置くと、畳に手をついて後ろに下がった。
俺は手を伸ばし、黙って袱紗を取る。
まあ、こう書けば、何があったか想像がつくだろう?
札束・・・・帯封がついたままの福澤諭吉達が三つである。
『三百万ある。何も言わずにそれを持って帰ってくれんか?』
俺はジャケットの内ポケットに手を突っ込んだ。
両隣の二人のサングラスが反射的に腰を上げ、素早くベレッタを取り出す。
銃口がまっすぐ俺に向かっている。
俺は気にも留めずにシガレットケースを出し、シナモンスティックを出し、口に咥えた。
『嫌だ、といったら?』
『絶対に言わさん。もし言ったら、お前さんを生きてこの屋敷から出さん』
『じゃ、嫌だ』
廊下と反対側にある襖で、人の気配がした。
俺は今度はゆっくり懐に手を入れ、愛用のS&WM1917を引き抜いた。
『悪いが答えは変わらん。俺は律儀な性格でね。どんなつまらない依頼であっても最後までやり遂げるのが主義なんだ・・・・。おい、襖の向こう、隠れてないで出て来いよ』
俺が声をかけると、襖が開き、やはり同じような黒服が三人、戦時中日本軍が使っていた、百式機関短銃を構えて立っていた。
『これでも嫌だというかね?』
『くどいな。爺さん、しつこいのは若い娘にもてないぜ』
『仕方ない・・・・』
老人がさっと右手を挙げる。
合計五門の筒先が俺を睨みつける。
と、その時である。
『お止めなさい!』女の声がどこからともなく響いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます