ぬくもりへの対処法

大野葉子

ぬくもりへの対処法

鈴子すずこさん、結婚してください!」

 鳴瀧なるたき鈴子は柏原かしわばらほまれのプロポーズを顔色ひとつ変えずに謝絶した。

「お断りします。」

「何故ですか!毎週毎週お願いに参じているというのに!」

「そうですね、毎週同じお返事を差し上げているように思います。」

「毎週ちゃんと考えていただけているのですか!?」

「人の意思というのはそう易々と変わらないものかと思います。」

「そこを!明るい未来をイメージして!ね!」

 明るい未来と言われてもね、と鈴子は渋面を作る。

「僕はイメージできていますよ!鈴子さんとこの屋敷で幸せに暮らす僕とハナとフサの姿が!ハナとフサと戯れる僕たちの子供の姿が!」

「私には見えません。」

「何故!」

 誉は頭を抱えるが、その仕草にほだされる鈴子ではない。

 誉のこの台詞は先週の日曜日に聞いたばかりで特に新鮮味もなかったし仮に新鮮だったとしても答えはきっと変わらない。

 ちなみにハナとフサは誉の飼い犬である。

「やはり今日も鈴子さんのお心は変わらぬままでしたか。しかし僕はめげませんよ。今日こそお心を動かしてみせましょう。とりあえず桜餅を持ってまいりましたので召し上がりませんか?鈴子さん、お好きでしょう。」

「ああ、ではお茶を淹れましょう。トミさん、トミさん。」

 誉と結婚する気はないが目の前の菓子を断る理由はない。鈴子は礼も言わずに女中のトミを呼んで茶の用意をさせた。


 鳴瀧家は一応は華族のはしくれである。

 先祖をたどれば御連枝に連なる由緒正しい大名家の末裔だが、幕末の時点でかなり影の薄い小大名であったし維新後は爵位こそ得たものの鈴子の祖父が少ない財産をだいぶ目減りさせてしまい華族としては倹しい暮らしを強いられている。

 お金を増やす才能は現当主である鈴子の父にもないようで、父としては鳴瀧家へ資金援助をしてくれるような裕福な家に鈴子を嫁がせたいようだが、今のところ「婚活」はあまりうまくいっていない。

 理由はいろいろあるのだが、鈴子の凡庸な姿かたちのせいばかりではなく、毎週おやつ持参で現れるこの男がすでに噂になってしまっているのではないかと鈴子は疑っている。

 この男の実家である柏原家も華族ではあるが、誉の父が軍功あって爵位を認められたもので倹しい暮らしぶりは鳴瀧家と大差ない。よって彼と結婚しても経済的な恩恵は期待できない。

 したがって鳴瀧家としては誉は嫁ぎ先の候補からごく自然に除外されている。

 にもかかわらず、

「もうすぐ鈴子さんとお付き合いを始めて一年ですよ。早いものですねえ。」

 二杯目の茶を楽しみながら誉は上機嫌だ。

「私には柏原さんとお付き合いをしている認識はありませんが。」

「毎週お屋敷にお伺いしているのは男女のそれでなくても十分お付き合いですよ。もちろん男女のお付き合いなら僕はなお嬉しいのですがね!」

「もうおいでくださるなとお願いしてもいらっしゃるじゃありませんか、あなた。父も諦めたのか何も申しませんけれど、私の縁談が進まないので愉快には思っておらぬようですよ、あなたのこと。」

 鈴子としては「だから早く帰れ」という意味で口にした台詞だったのだが誉はぱっと顔を輝かせた。

「お父上が黙認!公認まであと一歩ですね!」

「それは事実誤認というものですよ、柏原さん。」

「鈴子さんは一時ひとときたりとも調子に乗らせてくれませんね。そしてそんなところもいとおしいなあ。」

 からからと笑いながら平然と愛の言葉を口にする誉に対し、鈴子はたまに鳥肌が立つ。

「あなたは恥ずかしくないのですか、曲がりなりにも日本男児がそのような…歯の浮くようなことを。」

 鈴子がうろんな目で誉に問いかけても誉は悪びれもしない。

「僕は自分と鈴子さんにだけは正直になると決めているので。」

 そしてにかっと微笑んで鈴子に言うことには、

「だから鈴子さんもご自分に正直になりましょう!僕の求婚を受け入れてくださいよ!」

 こうである。

 鈴子は眉を寄せて簡潔に

「嫌です。」

 と言うにとどめた。


 しっかりと茶を三杯おかわりした誉はようやく席を立って帰り支度を始めた。

 座ったまま見送るのも失礼なので応接間の入口までは見送ることにしようと鈴子も立ち上がる。

「鈴子さん、来週は何をお持ちしましょうか。何かご希望があればお応えしたいのですが。」

 扉の前で誉が尋ねてきた。

「もう十分いただきましたしお返しできるものもございませんのでこちらにはもういらっしゃらないでくださいね。」

「鈴子さんが決めてくれないなら僕が勝手に決めますよ。来週はきんつばなどいかがですか?近頃姉が美味しい店を見つけたのですよ。」

「ですから来ないでと申し上げておりますでしょ。」

 鈴子がやや強い口調でそう突き放そうとした時だった。

「鈴子さん、僕はね。」

 誉はじっと鈴子の目を覗きこんだ。

 戸惑った鈴子は反射的に目を反らす。

 すると今度は手を引かれる感覚がして、驚いてまた誉の顔を見てしまう。

 誉の目はしっかりと鈴子を見つめていて、鈴子の右手は誉の両手にしっかりと包まれていた。

「あなたが本当に僕を嫌っているのならこんなことはしませんよ。でもこちらを訪ねればいつも僕に会ってくださるし、ともに茶を飲んでくださる。本当に嫌なら追い返してしまえば良いのに。」

 手を取られている恥ずかしさと図星を突かれた動揺で誉を見つめたまま、鈴子が言葉に詰まっていると、誉はパッと手を放してにかっと笑った。

「来週また来ます。良いお返事を期待していますよ!」

 そう言うと誉は廊下に消えた。

 誉の突然の大胆な言動に身動きひとつ取れずにいた鈴子だったが、はっと思い当たることが鈴子の金縛りを解いた。

 誉を追って急いで鈴子も廊下に出る。

「柏原さん!」

 大きな声で呼ばわると、振り向いた誉をおもいっきり睨み付ける。

「断りもなく婦女子に触れるとは言語道断です。私はそういった方は好みませんので!」

 誉はおもいっきり眉を下げた。

「ええー…今日こそは手応えありと思ったのですが…。でもあなたのその聡明さに惚れてしまったのだから仕方ないのかな。」

「ごきげんよう!」

 扉を音高く閉めて応接間に戻った鈴子は、

(危なかった、もう少しで彼を憎からず思っていることになってしまうところだった。)

 冗談ではない。彼の求婚を受けることなどあるはずがないし、彼を好むこともあってはならないのだ。

 だが、静かな部屋に戻るとどうにも気になって仕方がないことがある。

 頬の熱さと鼓動の速さ、そして右手に残った大きな手の感触だ。

 それらすべてをなかったことにしてまた来週求婚を丁重に断るのはなかなか難儀なことだと鈴子は思った。

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