第二話 ラディカル・アッド・パーク
時間にして、午後七時。
学校を出たのはそれくらいだった。
「ここの片づけは私がやっておくよ。」
「ありがとうございます。」
「いや。そのお礼を言うのはこっちだよ。すまないね」
数学の先生は、あたしの顔を真っすぐに見つめて口を結ぶと、そのままゆっくりと頭を下げた。
「教師として、一人の人間として、先に生まれたものとして、これくらいしかできなくて、本当にふがいないな。」
あたしは驚いた。そのまま自分らしくもなく、先生に向かって両手を出して近づいた。
やめてください、頭をあげてください。
そういうことを期待してこのようなことをしたんじゃないんです。
そういう言葉を口から吐き出そうとしたにも関わらず、数学の先生は大人としてやはり社会的な礼儀が備わっていた。行動は素早く、言葉は優しく間違いがなかった。
「自分の身はこれから、自分で守る。迷惑はかけられない。今度からは、倒したら、そのまま帰ってくれればいいからさ。後は、全部掃除は任せてくれよ。」
「でも。」
「いいんだ。先生、こう見えても、学生の時は清掃委員の委員長だったんだぞ。綺麗好きは折り紙付きだからな。」
あたしは静かに頭を下げた。髪が視界の隅で揺れるのが分かる。追従する動きが自分の精神を現しているようで、ただただ歯がゆく、そして余り見たくなかった。
「ありがとうございます。」
数学の先生はその後、無理に大きな声で笑ってあたしのことを慰めるような発言をした。
正直、よく覚えていない。
嬉しかったから。
そのまま、すべる様に学校の近くの駅へと向かう。
そこは多くの線路が入り込んでは絡み合うターミナルようなもので、いつも人でごった返している。
その裏に、廃工場がある。
壊そうという話が持ち上がっても、地主がこの工場の文化的な意義を話し始めてしまっていつまでたっても工事が進まない。
結果として、その廃工場は残り。
その工場の建物の内側にある小さな空間は、あたしのような高校生たちのたまり場になった。
八時十二分。
「へぇ、押し倒して襲わせればいいじゃねぇっすか。先輩あれっすよ、綺麗なんで、一発いけますよ。」
「数学の先生は、そんな人じゃないから。もっと清潔で良い人だから。」
「男なんて、みんな女の体のことしか考えてねぇっすから。」
「あたしの数学の先生を汚さないで。」
「先輩、マジクソキモいっすね。なんすか、乙女モードっすか。やっば、俺、鳥肌立ってるんすけど。」
「あまり、そう人を愚弄するのは褒められた行為ではありませんよ。」
「横から入って来るんじゃねぇよ、このエセ敬語野郎。殺すぞ。」
「全ては神の御心のままに。」
あたしと、不良男子高校生と、シスターまがいの女子高生の三人は、いつも一仕事終えてここで時間を潰している。
家に帰ってもやることはなく、話し相手も特にはいない。
「で、何体出たんすか。」
「一体だった。」
「先輩のとこ、少ないっすね。うちは六体っすよ。マジ疲れた。お前んところは。」
「十四体です。」
「殺し損ねて、仕事落とせばよかったのに。マジで残念。」
「そう言えば、あの教師、死んだよ。」
「あら、それはいつもここでお話をされていた、あなたに暴力をふるう豚によく似た貴方の学校の教師のことでしょうか。」
「あいつって、確か元こっち側なんすよね。それで、黒スーツに殺されるとか、クソだせぇんだけど。弱すぎでしょ、あの豚。」
「それだけ弱かったら、あたしがとっくに殺してたよ。」
二人の呼吸が僅かに止まった。乱れるという言い方でも正しかったかもしれない。
遠くで人の声が聞こえるせいで、より自分たちが遠いところに来てしまったように感じる。不意に寒さを感じて服の裾を抑えて内側に丸め込むように引っ張る。
「あの豚を殺すくらいのやつが普通に出てきてる。」
「マジっすか。ヤバいっすねぇ。」
「明日でしょうか。」
「明日の放課後、かな。」
「うっわぁ、だりぃ。」
「来なくていいよ。別に。」
「嘘嘘、先輩嘘だって。明日の放課後っすよね。行くよ、行く行く。仲間じゃないっすかぁ。」
「そうですね。尊厳と崇高な精神によって結ばれた、神々しくも美しい我ら三人の結束が、悪を払い続けているのですから。」
あたしは鼻で笑った。
黒いスーツの男は明日も学校の放課後に現れる。
そして。
神や、正義、人の命、世界平和という名の下に。
あたしたちはストレス発散をする。
「じゃ、あたし先帰るね。おやすみ。」
「では、私も。」
「うぃっす。あぁ、やべぇ。クソ眠い。」
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