(6)椎名、果たす

 紺碧の入口で、海老野朱莉が待っていた。

「椎名さんこんばんは。お聞きしたいことがあってここに来ました。黒川さんが椎名さんなら話してくれるって」

「ええ、僕ならお話出来ると思います。でもひとつ、エビフライちゃんにお願いしたいことがあって」

「何ですか」

「空を飛びたいんです、お姫様抱っこは嫌なんですけど」

 僕との出会いを思い出したのか、海老野朱莉は小さく笑った。

「もちろん、いいですよ」

 それから僕は海老野朱莉の手を繋ぐと身体を大きなエネルギーが包み込み、僕を宙へ浮かせた。

「こんなこともできるんだね」

「エビフライちゃんですから」

 海老野朱莉は得意げに笑った。繋がれた手から海老野朱莉の温かく柔らかい熱が流れてくる。それは彼女の人間の部分から来るものか、機械の部分から来るものなのか僕には判断がつかない。

 街から離れていく真夜中の海は恐ろしく暗く、遠くに見える街の灯りだけが人間の営みを感じさせる。夜風を飛ぶのは気持ちよかったが、この光景はとても恐ろしいものに感じられた。街灯の灯りに慣れている僕にとって月明かりは頼りない。

 街の喧騒から離れた静寂な海の上で、海老野朱莉は言った。

「椎名さんは、私の両親を知っているんですよね」

「うん」

「――今どこにいるんですか?」

 海老野朱莉が頼りなさそうな声に僕は自分が最低なことをしている自覚をしている。

「みんな教えてくれないんです、いつか話すって黒川さんは言うけどいつも答えてくれなかった。でもさっき、急に黒川さんが言ったんです。椎名さんは私の両親を知っているって」

「うん」

 海老野朱莉はだんだん早口になる。彼女は人造人間だがベースは人間だ。ベースが人間ということは、海老野朱莉に親がいる。

 正義の少女と言えど、エビフライちゃんは、海老野朱莉は子どもなのだ。国民全員のデーターが頭にインプットされていても、そこに自分の両親の存在がない事は気づいていたに違いない。家族同然で自身を育てヒーロー活動を共にしていたヒーロー組合の人間が誰ひとり自分の両親のことを話さないのに何か事情があることも分かっていたのだろう。

 だからこそ親代わりとも言える黒川が話さないのなら探さないと海老野朱莉が決めていたとしたらこれは大きな裏切りになる。 

 僕が辿り着いた真実は呆気ない物だった。

 東みさきを殺したのは酒井兼続と木下桃子だった。

 酒井兼続、もといフライデーが爆弾を作った。そしてその爆弾を七海小学校の理科室に設置したのは木下桃子だった。

 木下桃子は東みさきに嫉妬していたのだ。

 酒井兼続は悪の秘密結社・星屑に所属した時に姿を消している。多くの情報と引き換えにヒーロー組合に寝返ったとしても、その罪が消えるわけではない。

 木下桃子は酒井兼続と出会い恋仲になったが酒井兼続から家族を紹介されることはなかった。それは当然だ。犯罪者が家族に恋人を紹介するなんて有り得ない。

 木下桃子は酒井兼続を愛したことに後悔はないが、天涯孤独で育った木下桃子は親という存在に強く憧れを抱いていた。ただ酒井兼続の父親と東みさきが知り合いで結婚を目前にしている恋人もいて木下桃子が欲しかったものを、手に入れようとしていた東みさきが羨ましく憎くて堪らなかったと言っていた。

 みさきは大学時代に酒井兼続の父親である酒井綱吉教授の研究室に入っていたのをきっかけに親しくなった。でも木下桃子が思うほど仲が良いわけではないのに。

 一度だけ東みさきと会話をしたのだと木下桃子は言っていた。

 人造人間になって元気に外を歩けるようになり一度だけ昼間の海岸を酒井兼続と散歩デートをした時、東みさきは理科クラブの課外活動で見晴海岸を生徒と歩いていたらしい。

 その時生徒のひとりが木下桃子と酒井兼続の前で転んだらしい。木下桃子がその子供に声をかけ起こそうとした時、木下桃子の手を取らず自ら立ち上がった子どもが東みさきの元に走り去って行くときに、「驚かせてしまいすみません」と木下桃子に声をかけられた。

 この瞬間に東みさきを殺すと決めたらしい。

 健康な身体や親切そうな人柄、きちんと勉強ができた環境、大よそ自分にないものを全て持っていた東みさきが心底羨ましくて殺したと言った。

 その酒井兼続と木下桃子の間に生まれたのが海老野朱莉だ。酒井兼続は自身が海老野朱莉にプログラムした悪を排除するシステムに殺されたのだ。海老野朱莉は父親である酒井兼続を自分で殺し木下桃子を母親だと気づかず仕事として何度も拘束している。

 僕は海老野朱莉に事実を伝える為に導かれたのだ。

 

「教えてください、椎名さん。私の両親はどこにいるのですか」

 真剣な眼差しで海老野朱莉は僕を見る。

「――もういないよ」

「えっ……どういうことですか」

 悲しみと困惑で染まった瞳で海老野朱莉は僕を見る。

 その姿は年相応の子どもでしかなかった。僕はこれから残酷な現実を彼女に伝える。

「エビフライちゃんは初めて殺した人を憶えている?」

「……はい、でもあれは事故だったんです。当時は正義の力のコントロールが出来なくて、でも黒川さんは仕方がなかったんだって言ってくれて」

「うん」

「もしかして、やっぱり……」

 海老野朱莉は泣いていた。

「君の父親はかつてフライデーと呼ばれた犯罪者だ、そして初めて君が殺した人間だ。そして君のお母さんは木下桃子。君と同じ人造人間で、何度も君が捕まえた人間だよ」

 僕は淡々と言葉を紡ぐ。海老野朱莉は泣いていた。

「……私は何てことをしてしまったのだろう」

 悪人とは言え殺してしまった人間を忘れるはずはない。ヒーロー組合はあくまでも正義を守る組織なので人を殺したりはしない。

 どんなに心が乱されても宙を浮き続けることができるのは海老野朱莉がどんな状況でも力をコントロール出来るようになったからではないだろうか。そうで無ければ今頃僕は夜の海に真っ逆さまだ。

「……僕に大切な人が居たことを君は知っているだろう」

 海老野朱莉は頷いた。直接話したことはないが海老野朱莉には東みさきの存在をデーターとして知っているはず。

「その人を殺したのは君のお父さんとお母さんだ。そして君のお母さんは今から殺される。僕の役目は空の上で君を引き留めて君のお母さんを殺す時間を稼ぐこと」

 海老野朱莉は驚いた表情で僕を見た。

「今すぐ僕の腕を放せば君はお母さんを助けられるだろう。だが僕はこのまま夜の海に真っ逆さまだ。僕は泳げないから絶対に死ぬだろう。僕はそれでもいいと思っているんだ。みさきがいない世界なんてどうでもいいし、事故死なら君たちも隠蔽しやすいだろう?」

 あっけらかんと言ったが本心だった。ここで死ねればこれ以上僕はみさきの死を苦しまないだろうという打算もあった。

「君はどっちを選ぶ?」

 意地悪な問いに君は迷うことなく言った。

「私は、どっちも欲しい」

 海老野朱莉はそう言うと海老野朱莉は瞳を開けて街を見た。何度か瞬きをすると、僕を小脇に抱えて急にスピードを上げて飛んだ。

 あまりの速さで景色は線の様に見えて三半規管が悲鳴を上げている。海老野朱莉はそんな僕の様子を気にすることもなく、一瞬で夜を飛んだ。

 気づいたらと僕は七海小学校にいた。海老野朱莉は僕を抱えたまま黙って七海小学校の中を進む。吐き気で何も抵抗は出来なかったが時間は十分に稼いだ。

 パンと、乾いた音がした。夜の静寂を銃声がついに壊した。

 海老野朱莉は、音の鳴った方へ猛スピードで飛ぶんでいくがもう間に合わないことを僕は知っている。


 この後に真新しい理科室で赤い血だまりの中に倒れている木下桃子を僕たちは見つけた。

 海老野朱莉は死んでいる木下桃子を瞳に焼き付けるように黙ってみていた。

 僕はみさきの復讐を達成できたのにやるせない思いが胸の奥から湧き出てくるのを抑えるように必死に飲み込んでいた。

 そして海老野朱莉は何も言わずにその場を飛んで離れていった。

 そのタイミングで現れた黒川に一礼をして僕もその場から離れた。

 いつの間にか空が明るくなってきた。美しい朝日はもう戻れない所まで来たことを諭してくる。それから紺碧に戻り、ルカちゃんの作る美味しい朝ごはんを食べた。

 正義や悪とか関係なしに、食事は美味しいのが僕の救いになりそうだ。


 食後、やっとスマートフォンの電源を入れたらすぐ星乃から電話が掛かってきた。

「よう椎名、元気か?」

 いつもの調子で電話をかけてくる神経が信じられない。今すぐに電話を切りたくなったが、上司だから耐えた。

「……元気なわけありませんよ。星乃さん、こうなることが分かって僕を有限町に向かわせましたね」

「ああ、粋な計らいだろう? 俺のおかげで復讐が終わってよかったな」

 やはり、この男は全て分かっていた。僕は星乃王玖の手の平で踊らされていたのだ。何も言わない僕に念を押すように、

「マサが椎名に会えなくて寂しいってよ。早く帰って来いよ」

 と、いつもの軽い調子で言うと一方的に電話を切った。

 言われなくても帰るつもりだった。

 僕はもう一般人ではない。悪の秘密結社・星屑の人間なのだから。

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