(4)椎名、危機一髪
夕刻、木下桃子を待ち伏せていた。ウェンズディの情報通り、木下桃子は何も知らない様子で歩いてきた。
「すみません、お尋ねしたいことがあるんですが」
突然現れた僕に、木下桃子は警戒したように僕を見る。
「何?」
「人を探しているんです、知りませんか? フライデーっていう男を」
「――知らない」
「嘘をつかないで下さい、あなたがフライデーを匿っていることを知っているんです」
「そんな男知らない。あんた何なの」
人気のない道は薄暗く、街灯は点いたり消えたりを繰り返す。生温い風が不気味に吹いている。
「じゃあ、この写真は何ですか?」
木下桃子にフライデーと写っている画像を見せた。木下桃子は驚いた表情で僕を見る。
「……何で、あんたがこれを持っているのよ」
「質問しているのは僕です。フライデーいや、酒井兼続の居場所を教えてください。そうすれば貴方に危害は加えません」
僕は感情を押し殺し、淡々と告げる。危害を加えると言ったが何もしないつもりだ。いや、何も出来ない。木下桃子は僕の目をじっと見て、笑った。
「――あんたは私に何もできないよ」
木下桃子は指鉄砲を作り、僕に向けた。僕が指先を凝視したら、機械音を鳴り響きながら指先から銃口が伸びてきた。何だ、これは……僕は大人しく両手を上げた。
「あんたは誰の回し者?」
迂闊だった。僕は木下桃子を普通の人間だと思い込んでいた。普通の人間の指先は拳銃にならない。僕は海老野朱莉の存在を思い出した。木下桃子も海老野朱莉と同じ、人造人間なのか……?
「ねぇ、答えないと死ぬよ。分かっていると思うけど、これは偽物じゃないからね」
銃口が僕の心臓を狙っている。冷汗がたれた。木下桃子は本気で僕を殺そうとしている。
「僕はどこの回し者でもありません、個人的にこの男を探しているんです」
「……嘘つき。まあ、誰でもいいか。死んで」
ガチャンという金属音がする。木下桃子は真っすぐ僕を見て笑った。
もう終わりだと思った瞬間、突風が吹いた。とっさに目をつぶり腕で顔を覆う。風が止み恐る恐る目を開けると、目の前に海老野朱莉がいた。
「こんばんは、また会いましたね」
「海老野朱莉……」
「はい、私が海老野朱莉です。でもエビフライちゃんって呼んで貰える方が私は嬉しいです」
木下桃子は道路の向こう側で気を失っているようだ。海老野朱莉がやったのだろうか。
海老野朱莉は手慣れたように木下桃子を拘束した。
「お兄さん、この女に絡まれるなんて災難でしたね」
僕は今も災難続行中だ。木下桃子に情報を聞き出していたら海老野朱莉が現れてしまった。このまま木下桃子を連れていかれたら情報を聞き出せなくなってしまう。
「……エビフライちゃんはこの女を知っているんですか」
「――どうしてそんなことを聞くんですか?」
海老野朱莉は僕の方を向いた。夕焼けが僕と海老野朱莉を赤く染める。
「殺されかけたんです、気になるに決まっているじゃないですか」
「――お兄さんは何故殺されかけたんですか? 貴方は有限町の人間ではありませんよね、なのに何で観光名所でもない、何もない場所にいるんですか?」
海老野朱莉は警戒しているように、瞳を赤く煌めかせている。もしかして僕を、正義か悪か判別しているのではないだろうか。
木下桃子も海老野朱莉と同じ人造人間だった。それに手慣れた様に木下桃子を拘束していた。何かしらの関係があるに決まっているだろう。
ピンチはチャンスだと、ブレーキの壊れたみさきがよく言っていた。僕は賭けに出ることにした。壊れかけたアクセルを思いきり踏み込む。
「……正直に話します。僕は人を探しに有限町へ来ました。木下桃子がその人を匿っているという情報を知ったから会いにいったんです。そうしたら殺されかけた。エビフライちゃんが来てくれて助かりました。ありがとう」
何一つ嘘はつかずに赤い瞳を見て冷静に話す。すると海老野朱莉は瞳を元に戻した。
「そうだったのですね。もしかしたら協力できることがあるかもしれません。これから私と一緒にヒーロー組合へ来て頂けませんか」
「わかりました」
断ったら余計に怪しまれるかもしれない。
一度壊れたアクセルを踏み込んだら、ブレーキを踏むタイミングが分からなくなる。引き際を見抜けないのだ。
今の状態をみさきなら、なるようになると能天気に言うだろうか。
僕は今、その言葉にあやかりたい。
有限町に来てから立て続けて二度もヒーロー組合の事務所に来ている。僕は会議室のような部屋に通され、お茶を出された。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
お茶を出してくれたのはユニクロの場所を教えてくれたあの優しいおばさんだった。
「お兄さんこの前ここで休んでいた人よね、体調はどうかしら。突然ここに連れられて戸惑っていると思うのだけど、ここで待っていて欲しいの」
「……わかりました」
「ねぇ、違っていたら申し訳ないんだけど、何か辛いこととかあった?」
「いえ、何もありませんよ」
「そう、ごめんなさいね。お兄さんを見ていると息子を思い出しちゃって。何か心配事があったらここに来てね、ここは困っている人の味方になれるところだから」
「……はい」
おばさんはそう言うと僕を置いて静かに部屋から出ていってくれた。
何もないことはないが、他人に話すことやみさきの死を自分自身の口で言葉にすることに漠然とした恐怖があった。非科学的だが言霊を信じていた。「東みさきは死んだ」と口に出して言えば、君は二度と戻ってこない様な気がして。僕は凄惨な姿も身体の先から冷たくなっていく姿も、白い箱に収められた姿も全部見てきた。でもその言葉を口に出してしまうと、みさきを失った現実を覆すことが出来ないことが決まってしまう。
ただそれが怖かった。
でも、見ず知らずの他人に心配されるほど感情が表情に出ているのだろうか。みさきに「春夫は自分が思っているより、感情が顔に出ているよ」と言われたことを思い出す。
思い出すのはみさきのことばかりで、女々しい自分に自嘲的になる。けれどこの女々しさがなければ君を殺した犯人に復讐するためにここまで出来なかっただろう。矛盾している自分の言動を正すためにも、僕はここに来るしかなかった。
お茶が少し冷めた頃に、海老野朱莉と黒服の男が部屋に入り僕の前に座った。
「お待たせしてすみません」
黒服の男はメディアで何度か見たことがある。
「いえ、何を聞きたいんですか」
「単刀直入にお聞きしたい、なぜ椎名さんは木下桃子に接触したのかお聞かせください」
黒服の男は感情を感じさせない、冷たい声で話す。威圧的で僕の立場がばれているのではないかと不安になる。
「椎名さん、この人はヒーロー組合の代表の黒川さんです」
「初めまして、ヒーロー組合の代表をしている黒川満です」
黒川満は僕に名刺を差し出すが受け取れなかった。僕は海老野朱莉に名前を名乗った覚えはない。
「何故あなた達が僕の名前をしっているんですか」
黒川は淡々と語る。
「調べてなんかいませんよ。正義の少女の彼女は国民全員の情報を把握しているだけです。なんせ彼女は正義の少女ですから、必要なことなのです」
「……正義という大義名分さえあればやりたい放題なんですね」
吐き捨てるように言った。嫌な時代だ。僕の情報なんてろくなことを書かれていないに違いない。みさきのことも、星屑のことも知られているのだろう。それなら何故、呑気にお茶を出して僕をもてなしているのだろうか。
「ごめんなさい」
海老野朱莉は泣いていた。
「ごめんなさい、嫌な思いをさせて本当にごめんなさい。でも正義を守る為には必要なこと何です。お願いします、分かってください」
「椎名さん、私からも謝らせてください。でも彼女を責めないで欲しい。彼女の身体の半分は機械だがもう半分は子どもなのです」
黒川は慰めるように海老野朱莉の背を撫でている。僕はこの光景が気持ち悪く思えて仕方がなかった。人間はこうあるべきだと書いてある道徳の教科書のような押しつけがましさを感じる。
「……そこまで分かっているなら何故僕が木下桃子に接触した理由を聞きたがるのですか。あなた達なら分かっているでしょう」
嗚咽を抑えずに泣いている海老野朱莉はどう見ても頼りない年相応な女の子で、彼女の姿を見ていると心苦しかった。だが僕は海老野朱莉個人を責めたつもりはないのに、黒川の発言によって僕が海老野朱莉を苛めたような構図が完成してしまった。この茶番は何なんだ。僕は黒川を睨み付けた。
「いえ、我々の情報では貴方と木下桃子の接点が見つからないのです。だから教えて頂けませんでしょうか、平和を維持するために」
平和を維持する為にどうして僕が話さないといけないのかは分からない。ただここは星屑の敵の本拠地で、目の前には国内最強のヒーローと僕の情報を握られている。圧倒的に不利だ。
「……逆に聞いてもいいですか、あなた達がそこまで木下桃子にこだわる理由を」
「――朱莉」
僕の質問が気に入らなかったらしい。泣いている海老野朱莉の髪が触手のように伸び僕の首元をいつでも締められるように漂っている。何が半分は子どもだ。黒川の一言で泣きながらもいつでも人を殺せる子どもがいるものか。
「椎名さん、あなたに選択肢はありません。聞かれたことだけに答えればいいんです」
海老野朱莉の髪は段々と僕の首をゆっくりと絞めていく。目の前の海老野朱莉は瞳を赤く染めながら泣いている。僕に答えてくれと泣きながら訴えている。首を絞めているのはお前だろうが。
僕は観念して両手を上げた。髪の触手は緩む。
「……分かりました。正直に話します。僕は悪の秘密結社・星屑の幹部だった男を探しています。木下桃子がその男と接点があるという情報を知ったので接触しただけです」
「ありがとうございます、正直に話してくださり助かりました。もしかしたら私どもが協力出来るかも知れません。でも驚きました。なぜ椎名さんがこの男を追っているのですか」
フライデーは全国的に指名手配されている。
「――東みさきの仇と言えば分かりますかね」
「あー、そういうことでしたか。朱莉」
黒川の言葉で僕の首周りを漂っていた触手は海老野朱莉の下に戻っていく。いつの間にか海老野朱莉は泣き止み、黒い瞳に戻っていた。
「椎名さん、数々の無礼をお許しください。あなたは被害者でしたね。私たちはあなたに協力致します。例えあなたのバックにどんな組織がいようが」
黒川は人の善い笑みを浮かべる。嫌な笑顔だ。
「何を企んでいるんですか」
「嫌ですね、何も企んでいませんよ。ただ、私たちが追っている人物が椎名さんと同じというだけです。協力しない手はないでしょう」
「……どういうことですか」
「あなたが探している人物はフライデーで、我々が探している人物は酒井兼続ということです」
「……あなた方と協力するメリットが僕にはありません、丁重にお断りいたします」
「椎名さんは何か勘違いをしていますね、あなたは首を縦に振るしか選択が残されていない」
「正義を名乗る癖にやっていることは脅迫ですよね、この国の正義はどうなっているんですか」
「それは私が語るには些か大きすぎる問題です」
「それでも、僕が何者かも分かっているのでしょう。どうして僕を警察に突きつけないのですか。今ここで警察に通報すれば正義がまたひとつの悪を成敗した功績がまたひとつ増える。あなた方にとっては悪い話ではないでしょう」
黒川は僕が星屑の人間だと確信しているだろう。アクセルを踏みっぱなしの僕は言葉が止まらない。今さらブレーキなんて踏めない。
そんな僕を憐れむように、黒川はわざとらしく大きなため息を吐いた。
「元一般人の椎名さんは東みさきさんの無念を晴らしたく星屑に所属しているのも我々は把握しています。そんなあなたが悪の道に走ってしまったのは我々ヒーロー組合にも責任があります。椎名さんを逮捕すれば『善良な市民を救う』というヒーローの道理に外れてしまいます。ですので、あなたを逮捕しません。星乃王玖もそれを分かって貴方をフライデー探しに任命したのではないですか」
僕は何も言えなかった。アクセルを踏み切ってしまいエンジンから黒煙を巻き上げている故障車のような気分だ。黒川の言う通りだ。星乃王玖はふざけているが油断のならない男だ。それに僕と星乃の間には約束でしか結ばれていない。
約束の付加としての、薄っぺらい信頼関係があるだけだったことに気付いた。
僕は約束と称して、星乃王玖に甘え縋っていたのかもしれない。
みさきを失った悲しみにのまれないように、復讐と称して自らを奮い立たせる為に都合の良い場所にいた星乃王玖を利用していて、僕も星乃王玖に利用されていた。
裏切られた気分だ。いや、元々仲間でもないから僕が勝手に裏切られたと思っているだけだと思うと更に悲しくなる。
「椎名さん、大丈夫ですか」
黙ってしまった僕を心配して、海老野朱莉が顔を覗き込む。僕を心配そうに見ている海老野朱莉はサイボーグには見えない。
「私たちが追い詰めていたよね。ごめんね、黒川さんは言い方がキツイけれど、悪い人じゃないの。私たちは悪い人から椎名さんを助けたいだけなの。あと四月十五日に私が椎名さんの大切な人を助けられなくて、本当にごめんなさい」
初めてだった。
みさきを助けられなかったことを誤った人間に僕は初めて出会った。
「黒川さんも、次に椎名さんにひどいことを言ったら私は許さないから」
海老野朱莉は瞳を赤くして黒川を睨み付けている。黒川はため息をついて両手を上げた。
「――分かりました、降参です。朱莉には敵いませんよ。椎名さん、数々のご無礼を謝罪致します。申し訳ありませんでした。でも朱莉が言った通り、我々は椎名さんを助けたいだけなんです。それだけは信じて欲しい」
黒川は僕に深々と頭を下げた。海老野朱莉も一緒に頭を下げる。
この光景も優しさのテンプレートに思えてしまうけれど、さっきよりかは嫌悪感が失せていた。
ただ僕は今、誰を信用していいのか判断が付かなくなっていた。
その後、僕はヒーロー組合から解放された。話したことはお互い他言無用で話が付いた。黒川がゲストハウス紺碧まで送ると申し出たが丁重に断った。
いつの間にか月が高い所まで上っている。もう真夜中だ。
僕はぼうっとしたままの頭で、ゲストハウス紺碧までの帰路につく。真夜中の街は昼間と違う表情を見せている。
夏の夜の匂いが懐かしい。
突然、スイッチが切れたように涙が溢れてきた。
君がアクセルで僕がブレーキで、バランスが取れていた。
片割れの君を失くした僕はどうすればいいのかもう分からない
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