(3)椎名、調べる
翌日、人気のない紺碧の裏通りで星乃に昨日起きたことを報告した。
星乃はゲラゲラ笑いながら僕の話を聞いていた。笑いのツボにはまったようだ。お気に召したようでなりよりです、と冷ややかな気持ちで笑い声を聞いていた。
「で、お前はあの子どもに出会っちまったんだな。しかもお姫さま抱っこで空を飛んで……わははは」
僕の報告を笑いの種にする為に繰り返す。苛立つが星乃は上司なので大人しく耐えていた。
「あとあれ何ですか、アロハシャツ」
「あー、お前は良い奴だな。でもバカだなー、着なけりゃよかったのに。ウェンズディと監視カメラの映像でお前を見て笑っていたわ」
最悪だ。まだ会ったことはないが僕の中でウェンズディという人物の印象は下降した。
「……監視カメラや位置情報で僕の行動は筒抜けでしょうが、一応ご報告はしました。切りますね」
まだ星乃は笑っているが電話を切った。要件は済んだ。
今日はフライデーと一緒に写っていた女性、木下桃子に接触する予定だ。これ以上星乃の玩具にされるのはごめんだ。早くフライデーを探してこの仕事と、仇討ちを終わらせたい。
表通りに戻るとルカちゃんと会った。
「椎名さん、おはようございます」
「お、おはよう」
「あの、椎名さんに相談したいことがあるんですけど、相談に乗ってくれませんか?」
「僕に? 大丈夫だよ」
まだ人見知りはあるが年頃の可愛い女の子に頼られて悪い気はしない。
「はい、椎名さんはオーナーのお友達なんですよね」
「あー、そうだよ」
歯切れの悪い返事をしてしまった。
ゲストハウス紺碧のオーナーは星乃だが、青山友介という偽名を使っている。星乃は上司だから友達ではないし、あんな性格の悪い男とは友達になんか死んでもごめんだが、今回はオーナーの友人の体で宿泊をしていることを思い出した。
「私、青山さんのことが気になっているんですが、お忙しいみたいであまり紺碧に顔を出されなくて……」
「そうなんだ……」
少しだけ落胆した。
ルカちゃんは青山に化けている星乃のことが好きらしい。青山友介がどのような人間かは分からないが、ルカちゃんの様子を見るからに星乃はさぞ魅力的な人に化けているのだろう。
「それであの、青山さんの好きなものとか誕生日とか、教えて貰えませんか? 今度青山さんが紺碧に来た時にそれで仲良くなれたらなって……」
照れながらもほぼ初対面の僕に恋愛相談が出来るルカちゃんを素直にすごいと思った。内向的で臆病で、すぐ他人に心を開くことのできない僕は、ルカちゃんのように積極的に行動出来ないだろう。
「あいつは肉料理が好きだよ。誕生日は忘れちゃった、ごめんね」
僕が知っている星乃の情報でルカちゃんに話せるのはこれくらいだ。もちろん誕生日何て知らないから忘れたと嘘をついた。
「いえいえ、教えてくれてありがとうございます。お肉が好きなんですね、男の人ってやっぱりボリュームのあるものが好きなのかな」
考え込むルカちゃんは恋する乙女で、こんなに可愛い子に好かれる星乃、いや青山友介が羨ましく思った。ルカちゃんの恋が成就すればいいのかもしれないけれど、ルカちゃんを青山友介いや星乃王玖に近づけるわけにはいかない。
ルカちゃんは一般人だ。札付きの悪人である星乃王玖とは近づかない方が彼女の幸せに違いない。
「長く呼び止めちゃってすみません。椎名さん、また相談してもいいですか?」
「もちろん、僕でよければ」
「ありがとうございます、椎名さんいってらっしゃい」
これから悪事を行う僕にルカちゃんは手を振って見送ってくれた。「いってらっしゃい」という言葉が嬉しかった。
僕は星乃王玖という人間をよく知らないことに気付いた。
僕と星乃の間にはお互いを約束と言う契約でしか結ばれていないから、星乃王玖自身の人間性に興味がなかったのだ。肉が好きなのはたまたまよく食べているのを見ていたから知っていたことで、それ以上の情報を何も知らない。
星乃は僕をどう思っているのだろうか一瞬考えたが、すぐ考えるのを辞めた。
東みさきを殺害したのがヒーロー組合の可能性が高いため、僕は悪の秘密結社・星屑に入った。星乃もそれを分かって雇っている。
お互いがお互いを利用するだけの僕と星乃に、これ以上の繋がりは必要ないのだ。
今日もエビフライちゃんは『正義の活動』のひとつとして、今日も見晴海岸で水を配っているらしい。もしフライデーが見晴海岸付近に潜んでいるのならば、海老野朱莉が見晴海岸にいる限り迂闊な行動は取れないだろう。星乃からもエビフライちゃんとの接触は極力避けろと言われている。確かにこれからやることを考えれば正義の少女とは接触しない方が良いに決まっている。悪の組織は不自由だ。
正義の少女エビフライちゃんの『正義の活動』というのは、主に街のパトロールや対悪の組織との戦闘、災害や事故などの救助活動やキャンペーンの手伝いなど、良い行動とされているもの全てを指している。日本が憲法で戦争を放棄していなければ、彼女は兵器として隣国に攻めることがあったかもしれない。現に世界各国では軍事用の人造人間が開発されているという噂もある。
その点彼女はまだマシなのかもしれない。それでもヒーロー組合が国家とは別組織だとしてもいつか戦争が起きたら彼女は戦いを強いられる未来は容易に想像がつく。
海老野朱莉はどういう思いで正義の活動を行っているのだろう。誰かを助ける為に生まれた自分と自分自身の為に生きることのできる同年代の子どもたちと比べて辛く思うことはないのだろうか。いくら人造人間と言えど、どの活動も子どもが背負うにしては重すぎるのではないか。
僕に水を渡してくれて優しくしてくれた海老野朱莉の姿を思い出すと、胸が痛くなる。
考えごとをしながら移動していたら有限町図書館には案外早く着いた。冷房が効いている室内はとても涼しくて快適だ。僕はここに涼みに来たのではないが。
四・一五事件が書かれている新聞記事を確認したかったのだ。
当時の僕はみさきを失った悲しみで何も考えられない、鬱状態になってしまっていたから情報が頭に入らなかったのだ。鬱病患者は文章が理解できないと話に聞いたことがあったのだが僕もそれを体感した。鬱病が寛解し始めた今ならまた新たな東みさきの死の真相を知ることの出来るかもしれないという希望を持って新聞記事を探す。
『正義のヒーロー、爆誕』
四月一五日は、平和を渇望し正義を愛する国民の記念日となるだろう。
数十年にも渡り、テロ行為や爆破事件などを起こし国民を不安の渦に落とし入れていた犯罪者集団、悪の秘密結社・星屑をヒーロー組合が生んだ正義の少女「エビフライちゃん」一網打尽に蹴散らし事実上壊滅させた。尚、星屑の総統「星乃王玖」と他幹部数名は現在行方をくらませているが、逮捕するのも時間の問題だとヒーロー組合代表の黒川氏は語った。
弊社は今後、彗星の如く現れた正義の少女、エビフライちゃんの活躍を見守ると共にまだ謎に満ちている彼女の秘密を解明していこうと思う。
『悪の秘密結社・星屑の総統 星乃王玖逮捕』
平成三十一年四月十六日、悪の秘密結社・星屑の総統であった指名手配犯、星乃王玖(年齢不詳)が遂に逮捕された。ヒーロー組合とエビフライちゃんと警察が協力し捜査を進め、帝都で星屑の隠れ蓑となっていたゲーム会社「シルフスクロールカンパニー」で潜んでいた星乃王玖を逮捕した。だがシルフスクロールカンパニーには星乃王玖しかおらず、警察は逃走したと思われる星屑の構成員の行方を追っている。星乃王玖は特に抵抗もせず投降し、その様子が嵐の前の静けさのようで不気味だと、ヒーロー組合の代表の黒川満氏が語っている。
『星乃王玖、脱獄』
四月二十日の早朝、帝都の第六拘置所で拘束されていた星乃王玖が脱獄していたことが分かった。帝都の第六拘置所は最新鋭の警備システムが搭載してあり脱獄不可能だと誇っており、星乃王玖はその中でも厳重に拘束されていたのに、どの様に脱獄したのか不明である。このニュースを聞きつけ星屑の憧れていた若者たちが星乃王玖を称え、渋谷のセンター街で暴動を起こしており警察は鎮圧に追われていた。警察は逃走した星乃王玖の懸賞金を上げると声明を発表し、情報提供を呼び掛けている。
『不審な爆発事故』
四月一五日の二十二時ごろ、静波県上関町(かみのせきちょう)にある七海小学校の理科室で不審な爆発事故があった。この事故により七海小学校の教師である東みさき(二十七歳)が亡くなった。他の教員や生徒は皆帰宅しており亡くなった東みさきしか学校に居なかったと七海小学校の校長の西野亘氏が証言している。校内に設置された防犯カメラには二名の人影が確認されており、警察は他殺とみてこの事件を捜査している。
(朝目新聞)
ほとんどがエビフライちゃんと星乃王玖の記事ばかりが目立ち、みさきのことを書かれている記事はとても小さいものだった。世間はみさきへの関心が薄かったらしい。そしてこれ以降、みさきのことが書かれている記事は見つけられなかった。それなのに、その事実に対して僕は何も思わなかった。スマートフォンで『東みさき』と検索する。図書館でスマートフォンの使用は禁止されているが周りに誰もいないから大丈夫だろう。『東みさき』と検索すると、インターネット上の噂を書かれている掲示板がヒットする。
『東みさきはエビフライに殺されたってホント?』という記事があった。
七海小学校の生徒が書き込んだものらしい。
投稿者:名無しの生徒によれば、東みさきが殺された当日の放課後に理科室で飼われている熱帯魚を見に行った時、理科室にいた東みさきに「今日は早く帰りなさい」と注意されたらしい。いつもは下校時刻まで熱帯魚を見ていても何も言わないのに不思議だと思ったが、素直に従って帰ったと言う。その晩に理科室が爆発して東みさきが亡くなったのをニュースで知ったと言う。
翌日他の先生に昨日の夕方の東みさきのことを話したら恐ろしい剣幕で「昨日、東先生と話したことは誰にも話してはいけない」と言われ、親にも友達にも話せなかったらしい。ひとりで抱え込んでいるのが辛くてこの掲示板に書き込んだと書いてあった。その後、名無しの生徒の書き込みは止まっていた。
この投稿をみていた人が名無しの生徒の書き込みが無くなったこと、東みさきの捜査が進んでいないことからヒーロー組合の不都合なことを東みさきが知っていたから殺されたのではないかと憶測が書かれている。警察が公開した監視カメラの映像の二人の人影のうちひとりはとても背の低い影だからもしかして正義の少女のエビフライちゃん何ではないかと投稿している人もいた。他のコメントは釣りだと言って信じないものや、名無しの生徒の安否を心配している声や、これ以上追及したらただでは済まないのではないかと不安がる声もある。
僕は四月一五日の記憶を手繰り寄せる。悲しくて辛くて痛ましい記憶だが、忘れたいと思ったことは一度もなかった。
その日の夕方、定時で仕事を上がった僕にみさきからメールが届いた。「ごめん、残業しないといけなくなった。遅くなるから先に寝ていて」と。
当時僕たちは同棲していた。そしてその日に、僕はみさきにプロポーズをするつもりでいた。僕たちが付き合ってちょうど五年の記念日で、そろそろ結婚してもいい歳だ。だから帰ってくるまで起きて待っているつもりだった。秘密で買った指輪と初めて買った赤い薔薇の花束は用意した。花束を買う時は少し恥ずかしかった。
疲れて帰ってくるみさきの為にお風呂も沸かし、夕食はデパートの地下で売っている洒落た総菜を用意した。準備は完璧に整っていて、後はみさきの帰りを待つだけだった。その日は普段より帰りが遅かった。いつもは遅くても夜の九時には帰ってくるのだけれど、その時間を過ぎても連絡もなかった。
「帰りが遅いと危ないから迎えに行くよ」とメールを送っても返事はない。
僕は心配性なので、いてもたってもいられなくなりみさきを七海小学校まで自転車を漕いでいたその時、静寂を切り裂くような爆発音が響いた。
驚いて自転車を止めた。テロだと思った。みさきは無事だろうか、僕は不安に駆られ、七海小学校へ自転車を必死に漕いだ。月光が七海小学校のある方角から上る黒煙を照らす。進んでいくと爆風で所々壊された街灯が不安を煽る。
不安は的中してしまった。
半壊の七海小学校が目の前にある。どうして七海小学校が爆発しているのだなんて疑問よりも、みさきの安否を確かめたくて堪らなかった。
「みさき、みさき……」
名前を繰り返し呼びながら、集まった人たちの中にみさきの姿がないことが分かると僕は誰かの制止を振り切って七海小学校へ足を踏み入れた。まだ火が上がっている所もあるし、いつ崩れてもおかしくない危険な状態だ。それでも名前を呼びながら僕はみさきを探した。
「おい、お前こいつの知り合いか。ちょっと来いよ。手伝ってくれ」
僕は突然現れた男の後を着いていくと、見知った君の足が瓦礫からはみ出しているのを見つけた。その男はひとりで瓦礫を除けている。僕は突然の現実に何が起きたかよく分からずに、瓦礫からはみ出た足と血だまりを見ていた。
「おい、手伝ってくれよ。顔が見えないと誰か分からないだろう」
「あ、はい」
僕は男と一緒に瓦礫をどけた。そうして、瓦礫で無惨に潰されている東みさきの亡骸が出てきた。
「みさき、みさき……」
みさきの身体はまだ温かいのに沢山の血が流れていた。
「これはひどいな」
男はみさきに手を合わせて拝んでいる。
僕は死んでいるみさきを抱えながら何も出来なかった。人間は想定外の出来事が起きると何も出来ないらしい。みさきの血液が手にべったりとついている。血液ってこんなに赤黒いのか。これは現実なのだろうか。どうしてみさきは死んでいるのだろうか。
何も分からなかった。
「お前はこいつの知り合いか」
男は僕に尋ねる。
「――はい」
早鐘のように鼓動する心臓がうるさかった。
「可哀想に。こいつが誰に殺されたのか知っているか」
「殺された……」
「ああ、これはテロだ。目的があって起きた犯行だ」
「誰ですか、みさきを殺したのは、誰なんですか」
みさきは殺された、自分自身で放ったその言葉が身体を突き刺すように痛んだ。
「ヒーローだ。おい、犯人のことを殺したくなったら俺に連絡しろよ」
男は何も言わずに一方的に話すと僕のポケットに名刺をねじりこんだ。
「じゃあな、椎名」
男は気づいたら消えていた。それから僕は警察が来るまでずっと、みさきの亡骸を抱えていた。みさきの葬儀を終えると僕はその名刺に電話した。そしてその男が星乃王玖で、僕は東みさきを殺した犯人を復讐する為に、悪の秘密結社・星屑に入社することになったのだ。花束も指輪もみさきに渡すことが出来なかった。
誰かが死ぬなんてよくある話で、みさきがひとり死んだくらいでは世界に何も影響を与えないという現実がただ虚しかった。
図書館を出ると蒸し暑い熱風が僕に吹きつける。
暑い。また倒れでもして海老野朱莉と接触するのはごめんなので、自動販売機で水を買った。とりあえず水分補給をすればいい。
喉を潤しながら、朝から何も食べていないことを思い出した。
食生活を疎かにしがちな僕に呆れながらも食事を作ってくれるみさきのことを思い出してまた悲しくなった。みさきの料理はお世辞抜きで本当に美味しかった。なんにでも美味しいとばかり言っているせいか、
「春夫は何にでも美味しいって言うね。本当にそう思っている?」と訝しげに尋ねられたこともある。本当に美味しいんだっていうことを伝えたくて「みさきの作る料理は世界一だよ」と真面目に返すと何故かみさきは楽しそうに笑った。
「春夫って本当は面白いのに、仏頂面でいるのはもったいないよ」と言う。これの何が面白いのかは、もう永遠に分からなくなってしまった。
みさきと過ごした毎日は幸福そのものだった。いつか君と過ごした時間をいい思い出だと受け入れられる日が来るのだろうか。止まったままの僕を置いて淡々と過ぎていく時間の絶望と深い喪失感と、みさきを殺した犯人が一向に捕まらない現実で僕はおかしくなってしまったのかもしれない。そう心配になった時もあったが、今となってはどうでもよくなっている。
図書館を出て歩いていたら一瞬、視界が暗転した。胸が苦しくなってきた。
いろいろ思い出しすぎたせいで無理をしているのかもしれない。僕は道の端に座り込み、医者から処方された頓服を取り出す。心因性の症状だと言われている。
やっとの思いで頓服を飲むと、大きく息を吐いた。
僕はまだ死ぬわけにはいかない。僕が正常か異常かなんてどうでもいい、例え僕が異常でも構わない。みさきの未来を奪った犯人を殺せればそれでいい。
滅茶苦茶なことを言っているのは分かるけれど、たがが外れた僕にとっては怖いものはないのだ。
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