(1)椎名、任命される
ことの始まりは先週の金曜日。
夏休みが始まり子どもは宿題の多さに辟易しながらもはしゃぎまわり、親は毎日家に居る我が子を可愛く思うも給食が無くなり、毎日の昼食メニューに悩みスーパーでそうめんを手に取ることが増える七月末、皆さんはいかがお過ごしですか。僕には全く縁のないことですが。
どこかの田舎の人気のない場所にひっそりと建っているプレハブ小屋の中で、とても涼しげで不快な姿で僕の前で仁王立ちしている上司の前で思考が現実逃避をしていた。
蒸し暑いプレハブ小屋の中で、上司の頭がどうかしてしまったのかもしれない。
「椎名、お前に仕事を任命する」
「――僕は全裸の男の指示なんて受けたくありません」
「雇い主でもか」
「……いいから服を着てください」
僕の蔑視を気にする素振りもなく、扇風機に当たっている線の細い男に服を投げつけた。
この全裸の男が僕の上司であり、過去に時代の風雲児と評され、カリスマ性で多くの人を悪の道へ誘い数々の伝説的な悪行を残し、現在指名手配中の悪の秘密結社・星屑の総統だった男、
「パパ、僕も風に当たりたい」
風呂場から聞こえる子どもの声に、僕の怒りが無くなっていくのを感じた。
「よし来い、マサ!」
「マサくん~その前にお洋服を着ようね~」
僕は慌ててマサ君に服を着せる。世話のかかる親子だがまだ六歳の子どもであるマサ君に悪い所は何もない、親である星乃の責任だ。それに素直で大人しいマサ君は可愛い。整っている顔立ちは星乃そっくりだが、マサ君が変態に育たない様に僕がしっかりしないといけないという使命感を抱かせる。
「椎名聞け、お前に、し・ご・と・を・に・ん・め・い・す・る~」
「パパ、僕もやりたい」
子どもの様に扇風機から送られる風に声を震わせている星乃の膝元にマサ君もかけより、「に・ん・め・い・す・る~」と真似をし始めた。微笑ましい光景だ、親は星乃だが。
星乃は上下服をきちんと着ていたので真面目に話を聞くことにした。
「何の仕事ですか」
「人探しだ、静波県の有限町に潜伏している裏切り者のフライデーを探してこい」
「フライデーって、幹部だった人ですよね……」
「そうだ、東みさきを殺したのもほぼあいつだろう」
東みさきという名前が星乃の口から出て、身体が強張る。動揺が表情に出ていたのか、僕の顔を見て星乃は口の端を上げて笑った。
「よかったな、椎名。上手く行けばお前は目的が達成できるし、俺は裏切り者を処刑出来る。互いに利益しかない、素晴らしいな椎名。」
「――みさきを殺したのはフライデーなのですか」
「さあな。だが七海小学校爆破事件で使われた爆弾はフライデーが作ったものだから、あいつに直接聞けば分かるだろう」
「分かりました。星乃さん、僕はフライデーを見つけるだけでいいんですね」
「ああ、それだけだ」
「拘束したりとかもしなくていいんですか」
悪の総統だった男に任命されるにしては生温い仕事ではないだろうか。
「――お前にそれ以上のことが出来るのか」
星乃は意地の悪そうな表情をしている。星乃は僕を試しているのだ。お前は今まで信じていた正義を捨てて犯罪に手を貸せるのかと、星乃に詰問されている気分になる。
黙っている僕に星乃は続けた。
「そもそも弱いお前にフライデーを拘束なんて出来ないだろう。今回はウェンズディが現地で捜索出来ない分をお前に任せることにしたんだ。構成員との約束は守るのが俺の信条だ。光栄だろう、椎名。俺についてきて良かっただろう」
星乃は正義と悪の狭間で右往左往している僕を見て面白がっているに違いない。星乃は僕を星屑の構成員としてあまり信用していないのかもしれない。星乃は変態でだらしない男と同時に悪人なのだ。例えば僕が星乃の琴線に触れるようなことをしたら、何のためらいもなく僕を始末するだろう。
凡人である僕には星乃の思考なんて計り知れない。だからといって僕も目的と覚悟を持ってここまできた。今さら後には引けない所まで来ていることを自覚している。
「……怒りのあまりに何かをしてしまうかもしれないので確認をしただけです」
「そうかそうか、頼もしいな。とりあえず、お前の端末にウェンズディが詳しい情報を送る」
「わかりました」
ウェンズディは星屑の幹部のひとりで情報収集を担当しているらしい。僕は会ったことがないからそれ以上は知らない。部屋を出ていこうとするとマサ君が
「椎名さん、いってらっしゃい」と僕に手を振る。
「いってくるね」と僕もマサ君に手を振り、星乃に会釈をして出発したのだった。
そして僕は今、静波県有限町の
送られてきた画像には、神経質そうな顔をしている男と色白で幼い顔の女性が海岸を仲睦まじく歩いている。この男がフライデー、本名は酒井兼続で年齢は三十五歳。そして女性は木下桃子、二十二歳らしい。みさきを殺した犯罪者が幸せそうにしている姿をみると、怒りで内臓が煮えくり返りそうだった。そして真夏の日差しをめいっぱい浴びている僕はコンクリートに溶けそうだ。
「――とりあえず、宿にいこう」
地味に多い荷物を持ち、宿へ向かった。
毎年、夏が来るたびに日差しの強さと暑さを思い出す。夏を何回も過ごしていてもなかなか覚えられない。見晴海岸の前には、整備されたばかりである黒いコンクリートに白い横断歩道が掛っており、暴力的なほどの暑さで焼かれている。灼熱の暑さで揺れているように見える道路が僕には地獄の業火に見えた。まるで僕の行く先を暗示しているように。
境界線の境目は横断歩道のように、分かりやすく区別されていないことを知った。
今でも僕は間違った選択をしてしまったのかと悩むことがある。
僕はこの道を選ばすにみさきを殺した理不尽な世界を受け入れて、数年を悲しみに暮れながら平和的に過ごし、身の内を焼き切るような怒りを抑え込み、みさきの居なくなった世界を幸せに過ごせるように努めるほうがかったのかもしれないと。
僕と東みさきは車のような関係性だった。
明るく社交的で行動力のあるみさきがアクセルで、大人しく内向的で物事を慎重に取り組む僕はブレーキのような、正反対な二人だった。正反対だからこそ僕とみさきはより良い関係性を築けていた。
僕とみさきはお互いの足りないところを補いながら、慎ましく暮らしていただけだったのに何故こうなってしまったのだろうか。
アクセルの持っていなかった僕が今、思い切り誤った方向にアクセルを踏んでハンドルを回しているのかもしれない。けれど大丈夫、僕はヤケになっていない。
これは僕なりの、東みさきの弔いなのだ。
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