第三話 魔女



 足が軽くはないけれども、決して重くない。そんな心地に、哲生は驚きを覚える。

 なだらかに流れる、川と田。山の合間に溢れる自然。そこを通う道々に僅かに人が流れている。そんな何時もの風景。風光明媚に安堵はしなくとも、しかし気が落ち込んでいないというのは久しぶりのことだった。


「ちょっとやる気があるから、かな?」


 今は、虐められるために学校に行くのでなければ、むしろそれに挑もうとする気概を持って登校してすらいる。

 もうこれ以上格好悪くだけは、ありたくない。そんなでは、好かれることなどあり得ないだろうから。それだけのちょっとした思いが、少年を強くしていた。


 緩まぬ歩調で下級生を追い越し、哲生は三年生の教室に着き、そうして偶々閉ざされていたドアに手を掛け、一息。やがて気持ちが落ち着いたと感じてから、彼は意を決して扉を開けた。



「哲生君、おはようございます!」

「君、誰?」


 そうして少年はまた、不思議と出会う。大げさぶかぶかな魔女帽被った見知らぬ少女が、自分の名を丁寧に呼んだという驚きに、哲生は首を傾げた。

 強い違和感。しかしそれは忘却とすれすれであるような。何だかよく分からない心地の中で、哲生は眼前の少女を観察した。

 目立つ帽子の下には姉と比肩するほどにくりくりとした大きな瞳に、床に届かんばかりの長さのツインテール。やっぱり、こんなに特徴的な少女は知らずに馴染みはない。


「誰、って……埼東ゆきちゃんですよ? 貴方の隣の席の!」

「えっと、勘違いじゃないかな。僕と君って初対面、だと思うのだけれど……」


 更なる謎に哲生は、今度は逆さに首を傾げる。先の席替えで哲生が座ることになったのは、窓際一番後ろの席。

 左が窓で、右には誰も居ない、そんな人によっては内職が捗ると喜ばれそうな席だった。もっとも、真面目な彼には隣合う人が居ない寂しさを覚えるばかりのつまらない居場所。

 ただ、いじめっ子達と隣合わなかったことだけは、喜ばしかった、そんな思いはよく覚えている。

 そう、そんな面白くもない以前を忘れていないからこそ、隣人なんてあり得ない。

 いぶかしがる哲生に、自称埼東ゆきというらしい少女も困り顔。つと考えた後に、彼女は彼の目の前に指を真っ直ぐ前に伸ばし、そうしてくるくるとさせた。


「むむっ、どうにも哲生君には陣の効果が薄いですね……ぐるぐる~」

「急に指を回してどうしたの?」

「催眠術も効きません! 困りました!」


 それは、ゆきの術だった。異常をごまかす、円の動き。ここおかしくなくて、とってもまどかですよ、というその嘘は、しかし容易く哲生に看破された。

 他の少年少女は当たり前に受け容れてくれたのに。ゆきは、困って強情な哲生に、直に聴く。


「どうして、私が日常に思えないのですか?」

「えっと、その特徴的な帽子もそうだけれど……何よりうわばきに書いてある名前と、自称が違うし……」

「あわわ……バレないだろうからと適当にお借りした履き物に違和感を助けられるとは!」


 注意不足で揚げ足取られる。最近そんなことばかりだった哲生は、そもそも気づく方であったというのに、他を見回してばかりいた。過敏の一歩手前の、異常を認めない姿勢。それが、曖昧な魔法を上回ったのだった。

 それをゆきは聡さと勘違いし、にっこりする。模糊ではない個。そんなの、摘んで面白がってもいいものだ。


「いや、そんなの誰だって分かるというか……」

「ふふふ。分かってもそれと認められるって、特別なことですよ? えらいえらい、です!」

「わっ」


 そして、背を伸ばしてかかとを持ち上げ、ゆきは哲生をよしよし。

 愛らしい年少が、僅かとはいえ自分に迫る。それを、認めない大人なんていない。子供の身体に大人を秘めているゆきは、更に褒めるために続けて口にした。


「流石はモドキとはいえ、魔法少女の弟さんですね!」

「え?」


 初対面の訳知り。それに、哲生は目を丸くする。

 もっとも、不思議が不思議を知っているのは当たり前。けれども、少女は少年の前で、戯ける。


「華は、花を知るのですよー」


 驚きの中でゆきはその場でくるりと回転。円かなダンスで、高揚と己を魅せつけた。




 お昼休み。校庭隅っこのメタセコイアの木の木陰に二人。青い空に真白い雲が流れる様を見上げながら、しばしの沈黙を味わっていた。ついてきて、とゆきに言われてそのままのんびり。自分から何か言った方が良いのかと、哲生は悩む。

 驚くほどに、悪くない日。これまで哲生は、鬼ごっこの最中に本物が現れた昨日の驚きに未だ落ち着かないのかどこか上の空ないじめっ子達に関わられることなく過ごせていた。奇妙な少女に絡まれていること以外は嫌に、平和だと思う。

 群れる小鳥の流れにゆきはにこりとした。それを見て、哲生は先ほど給食を美味しい美味しいと笑顔でぱくぱくしていたゆきを思い起こす。そして、朝の初対面の最後に耳打ちされた、一言を気にして反芻するかのように呟いた。


「埼東さんは魔法使いだ、と?」

「気軽にゆきちゃんと呼んで欲しいのですが……はい。あの魔空の件絡みでてきとうに魔物殺しを成しただけなのに、変な人たちに追い掛けられて、困っているのですよー」

「えっと、それってつまり今も逃げてるってことかな……それならどうして中心地と言っていい、瀞谷町に?」


 魔法に魔物。一般的には彼方の言葉が散らばっているお話に、少年は驚くほどに乗り気だ。

 身近なおかしなところを気にすることは出来るのに、相手の自己紹介を疑うこと無く魔法使いを受け容れてしまう。哲生のそんなアンバランスに、ゆきは笑顔を深めた。

 ああ、これは途上の美だと、彼女は好む。


「灯台もと暗し、です! それにそも、この地は異常が多すぎて複雑ななわばりが絡み合っていて、余所が手出しし難いのですよー」

「異常?」


 そして、ゆきが本当のところをつらつら述べた、その年少には分かりづらい言葉の中で、しかし哲生が気にしたのは一つだけ。

 異常。その言葉に自分の姉と彼女を想起した哲生は、聞き返す。


「有名なところだと、楠の鬼、あたりですかね? 哲生君は知らないかもしれませんが……」

「鬼、かあ……」

「おや、なにやら訳知り顔。――――何かあのバケモノどもと関係がおありで?」


 どうせ分からないだろうけれど、と問われるままにゆきが哲生に裏の者しか知らない事情を素直に続けると、どうにも彼はそこまで付いてくる。魔はまだしも旧き鬼を真に受ける人はそうはいない。

 ゆきはまさかと思いついつい力を入れて、真っ直ぐに聖人殺しの視線を向けてしまう。しかし一時真剣に開かれてしまった彼女の戸惑いの邪眼を無視して、哲生は顎に手を当て考え事をしていた。

 そう、想いに焦がれて、恋しい鬼の姿を思いだして。

 その愛おしい鬼の尖りを、ゆきが心の底から嫌悪しているとは気づかずに。


「無いけれど……何時か関係したいなあ、と思っているんだよね」

「ふーん……でも、それは止めておいた方が良いと思いますよ?」

「どうして?」


 控えめな、言葉。しかし哲生がその先を願っているのは明らかだ。淡い想いを顔に出す、そんな少年を見上げながら、少女は思う。

 鬼に恋する人間。悲恋は明らか。ああ、これは私が惑わしてあげた方がいいな、と。そして、そのためには。

 まず、あんな悪しき思い人なんて亡くしてあげた方が、きっと優しいなと、ゆきは笑う。そして、布石として挑発的に、魔女は言った。


「私がそのうちに皆殺しする予定ですから。どうせ近くいなくなってしまうものに時間をかけるのは、無駄でしょう?」


 涼やかな音色で、悪意を隠しもせずに、ゆきは暴露。当たり前のように、落ちてきた大ぶりの葉を手のそよぎで屑と化して、その身の神秘を見せつけた。

 そう、私はただの鬼に食まれるばかりの人ではないですよ、と。


「君は――――」


 しかし、そんな体の良い自然の加速なんて、どうでもいい。恋する者に対する否定。熱情に呑み込まれて炎そのものとなっていた哲生は、目の前の非現実を無視してその内容にばかり反発する。

 ちらりと、彼の瞳の奥に火の粉が散った。

 確かに異形が、嫌われるのは当たり前だろう。たとえるならば桃太郎の鬼退治。悪は滅びよ。しかしそれは裏返すと。


「いじめっ子、なんだね」


 弱者に対する虐め。それは、とても許しがたい。

 そう、自分は今日それと戦うはずだった。敵対すべき者を見つけて、哲生はその目を鋭くさせる。


「ふふ……可愛い」


 しかし、まだまだ柔らかなそのまなざし。むしろ子のちょっとした変化すら、愛おしい。

 対峙に任したまま、ふわりと笑んで、そうしてゆきは魔女帽外してひらり。この場に合わせた、目の前の愛しさにも釣り合うだろう可憐な体躯を見せつける。

 少女は、続けた。


「――――貴方は、私の無謀が分からないのね」


 そして、少女のかんばせから、大人の憂いを覗かせる。






「ぐるぐる~」


 くるくる狂り。セカイを回せ。指先で足りないのであれば、己を踊らして、全てを転がすのだ。

 回る全ては下らなく、何処まで行っても、果てだらけ。無限に続かぬ、途上の下の下。


「でも、好きですよ~」


 その想いは、鬼とは違う。

 魔女はノミを愛するのではない。人だからこそ、抱き締めたくなるのだ。



「ふふ――――だって、そうすると気持ちいいから!」



 ねちゃり、ぬちゃり。

 愛する欲を愉しむ悪魔の少女は、今日も人を使って心地を良くする。



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目隠し鬼の歌 茶蕎麦 @tyasoba

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