我が家の執事は裏で何をしているか分かりません。

奏 舞音

我が家の執事は裏で何をしているか分かりません。

 これで、三十回目だ。先方から婚約を断られたのは。


「わたくしの何が駄目だというのかしら……?」


 クルエストン伯爵家の結婚適齢期の令嬢、ユリアナは大きな溜息を吐く。大きな紫紺の瞳にはうっすらと涙が浮かび、結わずに背に流した金糸の髪が、悲壮感を漂わせる。


「ユリアナお嬢様に落ち度はありません。お相手が悪かったのです」

 にこにこと嬉しそうに微笑み、ユリアナに柑橘系の紅茶を差し出す黒髪黒目の男は、クルエストン伯爵家の執事エドウィンである。冷たい印象を与える切れ長な瞳とは相反する柔らかな物腰で、社交界に連れていけば執事だというのに女性からの熱い視線を集める色男でもある。現在、二十五歳。十六歳のユリアナからすれば、大人な男性に見えなくもない。

 しかしこの執事、大人な余裕を見せながらも、まったく中身は大人ではないのだ。

「そうよね、私のせいではないわね。それで、今回は一体何をしたのかしら?」

「いやだなぁ。私は何も知りませんよ」

 白々しく、エドウィンは素知らぬ顔で笑う。

「三十回よ、三十回! いい加減に私も気づくわよ? エドウィン、どうしてお前は私の結婚の邪魔ばかりするのっ!」

 だんっ! とテーブルを勢いに任せて叩き、ユリアナはエドウィンを睨む。

「もうクルエストン伯爵家が限界だということは分かっているでしょう? 持参金なしでわたくしを娶ってくれる家なんてもうどこにもないじゃない! それに! 社交界でわたくしが何と言われているか知っているでしょう?」

「もちろん知っていますよ。令嬢れいじょう、でしょう?」

 聞いたのは自分だが、くすりと笑われてカチンと来た。

 ユリアナが必死で結婚しようとしているのには訳がある。

 今、クルエストン伯爵家は没落の危機にある。数年前、領地で行っていた事業が大失敗し、借金まみれに。父は心労で倒れ、母は書置きを残して家を出た。使用人たちに支払う給金も底をつきかけ、エドウィン以外の使用人たちには暇を出した。

 クルエストン伯爵家を何とか持ち直す方法はないか、と考え、ユリアナが考えた策が結婚だった。結婚とは家と家同士のつながりを生む。幸い、ユリアナは美しい容姿をしていたし、社交界で声をかけられない日はなかったのだ。結婚して、支援を願うことは難しくはない。そう考えていたのだが。

 不名誉な二つ名が噂されるほど、ユリアナは結婚を断られ続けている。


「しかしお嬢様、いくら結婚したいとは言え、先日のジュリアス様など七十代のご高齢ですよ。あまりにも見境がなくなってきていましたし、やはり結婚などやめてはいかがですか?」

「……っ!」

 エドウィンの真っ当な指摘に、返す言葉が見つからない。

「ではお聞きしますが、お嬢様、ジュリアス様と本気で結婚したいと思っていたのですか? 夫婦が何をするのか、ご存知ない訳ではありませんよね?」

「それぐらい、分かってるわよ! ジュリアス様は優しい方だったわ。それに、子どもは産まなくてもいいと言ってくれたもの」

「すでにジュリアス様には三人の息子さんがいますからね。ちなみに、性格のきつい奥さんも。お嬢様が第二夫人でもかまわない、などとふざけたことを言うものですから、冗談だと判断して、先方にはやんわりとお断りを入れさせていただきました」

 執事の笑顔の後ろには、黒い怒りのオーラが漂っていた。

 ユリアナはこれまで、エドウィンの目を盗んで社交界に行ったり、親戚のつてを使って結婚相手を探していた。

 最近では、結婚できれば誰でもいい、という投げやりな気持ちになっていたことは否めない。

 だから、エドウィンが怒るのも分かる。

 しかし、ユリアナも必死なのだ。


(我が家が没落寸前で踏みとどまっていられるのは、エドウィンが色々なところに働きかけて、事業の立て直しを進めてくれているからだもの……)


 そんな彼に、クルエストン伯爵家が、ユリアナが返せるものはあまりにも少ない。ほぼただ働きである。

 家財道具やドレス、宝飾品などを売りながら、細々と生活しているが、こんな生活がいつまでも続くわけがない。


「わたくしのことを、エドウィンが決めないで!」

「ユリアナお嬢様は、突拍子のないことばかりなさるので心配です。無茶な結婚を諦めてくれれば良いのですが」

「そうやっていつもいつも勝手に断って……本当に誰ももらってくれなかったらどうしてくれるのよ! 一生独身じゃない!」

「ふふ、それは大丈夫ですよ」

「どこがよっ!」

「私がお嬢様と結婚しますから」

「…………はぁっ!?」

 いつもの言い合いの最中、とんでもない発言が混ざってきた。まったく令嬢らしくない間抜けな顔をさらしてしまったが、これは仕方ない。許してほしい。

「わたくしが、誰と結婚ですって?」

「ですから、私と」

「何でそうなるの!」

「ユリアナお嬢様のことをずっと想っていましたから」

「……~っ!」

 ふいに真剣な顔で色気を出してくるのは本当にやめて欲しい。ユリアナの顔はいっきに熱くなり、鼓動が激しくなる。

「む、昔わたくしが告白した時は、わたくしのことをそういう風には見れないって言ったじゃない!」

「そりゃ、伯爵令嬢と使用人という関係ですし、お嬢様は命の恩人ですからね。身の程をわきまえなければならないことぐらい分かっていました」

 そう言われて、ユリアナはエドウィンとの出会いを思い出す。

 父の視察に同行した際、ユリアナは暇をもてあまして公園で遊んでいた。そこで、傷だらけで倒れているエドウィンを見つけたのだ。彼の事情は分からなかったが、夢中で父を呼んで医者に診せたことは覚えているし、行く場所がないという彼を雇うと言い出したのはユリアナだった。

 しかし、クルエストン伯爵家に来る前に、エドウィンが何をしていたのかは、いつもはぐらかされていた。それでも、真面目な仕事ぶりや、その優しさに触れ、ユリアナが心を許すのに時間はかからなかった。

 ユリアナが最初に振られた相手は、エドウィンだったのだ。しかし今、何故かそのエドウィンに求婚されている。


「それなのに、お嬢様は無謀な結婚に挑もうとするし、その相手はお嬢様を任せられる男ではないですし? これまでの私の苦労が分かりますか? お嬢様が勝手に取り付けたお見合い相手の素性を調べ、問題があった場合それを理由に脅し、円満に婚約破棄してきた私の苦労が」

「いや、それ円満って言わないんじゃ……ってか、やっぱり脅してたのね」

 どうりで、一度お見合いをした相手が社交会でユリアナの顔を見て青白い顔をした訳だ。その問題とやらを知りたいような知りたくないような気がしたが、今それを聞くとエドウィンの機嫌が悪くなることは分かる。

「正直、もう面倒くさくなりました。お嬢様は懲りずに女癖が悪い成金の愛人にされかけるし、七十代のジジイと見合いして第二夫人になろうとするし……本当に、あなた馬鹿なんですか?」

「馬鹿は言い過ぎでしょう!」

 一応、主である。

「ったく、どうして私を頼ろうとしなかったんです? 結婚相手を探すにしてももっとやり方があったでしょう」

「言ったら、探してくれていたの?」

 呆れたような顔をして問うエドウィンに、少しだけ期待の眼差しを向けるが。

「絶対に嫌ですね」

「結局駄目じゃない!」

 即答だった。

「私の大事なお嬢様を嫁がせるにふさわしい家はどこにもありませんからね」

「こんな、没落寸前の伯爵令嬢なのに?」

「関係ありません。ユリアナお嬢様は、私にとって唯一の大切な女性です」

 真っすぐに向けられた言葉に、ユリアナの頬がまた赤くなる。

「だから、もう我慢するのはやめたのです。私にできる力をすべて使って、お嬢様をお守りしようと決め、裏で色々と動いていました。そしてようやく今日、この想いを告げることができました」

「裏で、色々?」

「お嬢様、情報は武器ですよ。私は痛いほどそれを知っています。そうそう、お嬢様と出会う前は隣国の間諜をしていましてね、あの時は任務に失敗して命からがら逃げていたところでして、お嬢様に拾われなければ、私は死んでいたでしょうね」

 さらりととんでもないことをぶっちゃけられた。間諜って、なんのことだ。彼の過去に深入りするのはやめよう、とひっそりと決めた。

 しかし、彼が裏で色々と手を回すことがうまい理由は分かった。

「もう大丈夫です。クルエストン伯爵家の事業への共同出資者と新事業成功のカギを握る方を味方につけることができましたから」

「え、と……それは、誰なの?」

 あまりに清々しいエドウィンの笑顔に、なんだか嫌な予感がする。

「このビレヴァール王国の国王ですよ。国王への謁見までにかなりの苦労をしましたが、お嬢様が馬鹿な結婚をする前になんとか話がまとまってよかったです。そして、国王と当主様からはすでに私をユリアナお嬢様との結婚について認めてもらっていますよ」

 あまりの衝撃に、ユリアナは口を開けたまま何も発することができなかった。

 そして、そんなユリアナの前でエドウィンが跪く。


「ユリアナお嬢様、六年前のあの日からずっと、お嬢様のことをお慕いしていました。これから、私の全力をもってお嬢様とこのクルエストン伯爵家をお守りしますので、どうか、私の想いを受け取ってくれませんか?」


 本当は、ユリアナだって諦めようとしても諦められなかった。どうせ好きな人と結婚できないなら、誰でもいいと本気で思っていた。それなのに、突然の告白と求婚。しかも、逃げ道は用意されていないときた。

 しかし、頭はついていかなくても、心は素直だった。

「……はい」

 真っ赤な顔で頷いたユリアナを見て、エドウィンが微笑む。

「ユリアナお嬢様、愛しています」

 ふわりと、優しく抱きしめられた。あたたかなぬくもりに、じんわりと愛しさがこみ上げてきた。



 その後、クルエストン伯爵家は王家ご用達の事業を立ち上げ、没落から一転。

 伯爵令嬢と執事の結婚は、皆から祝福された。

 しかし、そんな二人のことを怯えてみつめていた者たちもいたとかいないとか。

 




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我が家の執事は裏で何をしているか分かりません。 奏 舞音 @kanade_maine

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