21kgの魂〈4/6〉
夕飯はなかった。
夜になると、誰が言うでもなくみんなが焚き火の周りに集まった。
怯えた顔はどこにもない。これで三回目だ。もう腹をくくっている。
首藤さんはある大学の助教授だった。リーダーシップをとり、苦しい決断をいつも自分一人で背負い込んでいた。くじは公平でなければならない。
仲野満奈は女子中学生だった。不登校児で僕にもその理由はわからなかったけど、もしこの高校に進学して、ものの試しにと登校してみたら僕と出会っていたかもしれなかった。くじは公平でなければならない。
そして僕は……僕はこんな時代で死にたくなかった。それ以上に、彼女に死んでほしくなかった。
くじは公平でなければならない。
この学校の下駄箱には大量の内履きが残されている。
白い靴紐を十五本抜き取って、一本の片端を首藤がマッキーで黒く塗りつぶす。
一階エントランスホールであぐらをかき、焚き火に赤く照らされた首藤はできあがった靴紐の束を握り込み、みんなの前に差し出した。
「もうみんなもわかっていると思うが、一応説明する。当たりは一つ。気持ちが決まった者から抜いてくれ。抜いても私の合図があるまでは見ないように。最後に残った分は、私のくじだ」
つとめて冷静に、事務的に首藤は言った。初めに四季実さんを失った彼が身につけた方法なのだと思う。
長老の昔話を聞く
永劫にも似た沈黙が流れた。もしかしたらそれは雪の一片が溶けるほどの一瞬だったのかもしれないし、アイスコーヒーの氷が水に変わるほど長い時間だったのかもしれない。吹雪が風を叩き、建物が揺れる音だけが響いていた。
まず平坂さんが動いた。首藤の手から靴紐を抜いた。それを関節が白く浮かぶほど強く握りしめ、誰かにすり替えられると疑ってるみたいに自分の腹に抱え込んだ。
平坂さんを皮切りに、みんながのろのろと動き出した。間断なく続けて三人がくじを引くときもあれば、凍りついたように場が止まったときもあった。山崎さんと谷津さんが同時に引こうとして「あっ、どうぞ」「いえいえ、どうぞ」とお互いに譲り合う、場違いにのんびりした場面も見られた。
彼女もそのどこかで靴紐を引いた。僕はそれを凝視したけど、黒か白かなんてもちろんわからない。
そして首藤の手には二本の靴紐が残された。
僕は座り込んだまま、指一本動かさなかった。
「引くんだ」
じれた首藤は握りこぶしを僕に突きつけた。
「嫌です。僕は誰も……殺したくありません」
殺す。これは共生でも自己犠牲でも儀式ですらない。ただ一人を選んで、殺す。
みなが目をそむけていた事実を僕が口に出し、首藤は声を荒げた。
「そうはいかない。みんな覚悟を決めてるんだ。君だけ逃げるなんて許されない」
賛同の声は上がらなかったが、全員の目が同じことを告げていた。俺は/私は/僕は/覚悟を決めた。お前だけ逃げるなんて許さない。罪を背負え。リスクを背負え。
僕は彼女を見た。
悲しそうな目をしていた。
なぜ? 僕が不文律を裏切ったから? 僕が彼女を見捨てたと思ったのか?
理不尽な怒りを燃料にして、僕は手をのばした。
右の一本を首藤の拳から奪い取った。
「では、私のくじはこれだ」
残った靴紐を振った首藤を見て、僕は後悔した。もう少しちゃんと選ぶべきだったかもしれない。わかってる。そんなの無意味だって。でも、もしかしたら靴紐を注意深く観察すれば、当たりかそうじゃないかの手がかりを見つけられたかもしれない。そうでなくても、何か運とか流れとか場の雰囲気といったものを嗅ぎつけることができて、膨大で些細な情報から無意識が直感を吐き出していたかもしれないのだ。
「じゃあ……みんな見てくれ」
命じられるがまま、僕は自分の拳を開いた。
靴紐の先は白いままだった。
ほうっという湿ったため息があちこちから聞こえてくる。
しゅうしゅうぱちぱち、と勇吾さんの脂が弾ける音を焚き火が発している。
僕は顔を上げた。
誰も、何も言わなかった。
勇吾さんのときと同じだ、と思った。
みなの視線が一点を向いていた。
僕はそれを追った。
彼女が、当たりを持っていた。
泣いていた。
「ミナ、君の番だ」
「……はい」
うっすらと笑んで、彼女は頷いた。
「ふざけんな」僕は叫んで、立ち上がった。
「僕は絶対に認めない。みんな、誰かを犠牲にしてまで生き延びたいか。こんなやり方で生き残って嬉しいのか! 生贄を捧げて死から逃れるなんて、野蛮人と一緒だろうが! いや、それ以下だ。獣と同じだ!」
「往生際の悪いことを言うな!」
首藤が怒鳴りつけた。
「全員覚悟して決めたんだ。みんな死にたくない。だから、この方法を選んだ。肉を喰い、常夜の火に当たり、暖かい毛布で寝ておいて、今さら無責任なことを抜かすな!」
理屈の上では正論だった。僕は勇吾さんを喰い、四季実さんを喰い、そうして今まで生きてきた。もう、人間じゃない肉の味なんて思い出せない。
でも、それでも……彼女を死なせるなんて、彼女の身体をバラバラに解体して、道具と食料に加工するなんて想像もしたくなかった。
「彼女は……仲野満奈はまだ十七歳だぞ。子供を殺してなんとも思わないのか。子供を食ってまで生き延びてえのかよ!」
僕の絶叫を聞いて、全員の表情が青ざめた。
氷の割れる音が聞こえた。足元の水面に張った薄氷を叩き割り、僕は彼らを冷え切った湖に突き落としたのだ。
首藤も立ち上がった。何も言わず、僕の腕に手をのばした。
「なにすんだよ。離せよ!」
振り払いながら怒鳴るも応酬はなく、再び首藤が僕の腕を掴む。
「やめろ、やめろよ!」
男たちも立ち上がった。僕に詰め寄り、暴れる身体を掴んで押さえ込む。まるで機械人形のような何本もの腕が、僕の身体の様々なところに絡みついて地面に組み伏した。
彼らは一言も発さなかった。まるでどこかに恐ろしい怪物が潜んでいて、騒いでいる僕を黙らせようとするふうに。
「やめろ! 彼女を殺すな!」
僕の叫びに誰も返さない。吹雪と同じだった。僕がどれだけ叫んでも、止まることなく襲いかかる。
この世界で本当に生きているのは僕だけで、表情のない彼らは何か無機質なものに命じられているだけなんじゃないか。そんな妄想じみた恐怖が頭を掠めた。
叫び続ける僕の口は、やがて誰かの手に塞がれた。
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