新聞部

「ねえ。ふと思ったのだけど、童貞が三十才を過ぎて魔法少女になったとして、それに何の意味があるのかしら?」


 いつも通りの放課後の部室。姉さんと愛上さんが来るのを待っていたところ、倉敷さんが意味不明なことを口走った。


「ええと……僕はどんなリアクションをすればいいのかな?」


「リアクション? あなたは何を言ってるのかしら?」


「…………」


 今ほどこっちのセリフだ、という言葉が相応しい状況も中々ないだろう。


「あなたは聞いたことがないかしら? 三十才を過ぎても童貞だと、魔法少女になれるという話を」


「ごめん全くない。というか、この話まだ続くの?」


「それで私は思ったのよ。童貞が魔法少女になったところで、所詮は処女。童貞から処女になっただけ。これに意味があるのかしら?」


「うん。人の言葉を無視して続けた割には、超絶どうでもいい話だね」


 聞くんじゃなかった。


「今来たぞ」


 倉敷さんとの無駄話を終えたタイミングで、姉さんが勢いよく扉を開けて現れた。


「蛍君はまだのようだが……まあいいか。君たち、今から時間はあるか? あるよな? あるに決まってるよな?」


「私は問題ないわ」


「僕も大丈夫だけど……」


 こういう時、姉さんは大抵ロクなことを考えてない。何となくだけど、嫌な予感がする。


「そうかそうか。ならば良し」


 姉さんは僕と倉敷さんの答えに満足げに頷くと、視線を廊下の方に移動させた。


「二人共オッケーだそうだ。入ってくれ」


 姉さんが誰もいないはずの廊下に向かってそう言うと、見慣れない女子生徒が部屋に入ってきた。


 人懐っこい笑みを浮かべ、栗色の髪をツインテールでまとめた少女だ。首からかけている高価そうなカメラを両手に持ち、僕らに視線を寄越している。


「初めまして。私は新聞部二年の藤井ふじい愛理あいりと言います。よろしくお願いします」


「僕は荒垣琢磨って言います。よろしくお願いします」


 僕も藤井さんにつられる形で挨拶を返した。


「……それで藤井さんは何の用でこんなところに?」


「実はですね、今度の校内新聞であなた方天文部のことを書こうと思いまして。今日はその取材のために来たんですよ」


「僕たちのことを? ……ええと、自分でこんなことを言うのは悲しくなるけど、僕たちって新聞に載るような凄い部じゃないよ?」


 そもそもまともに活動すらしていない部だ。まあ、元々姉さんが校内に自分の場所を作りたいという理由で創設した部らしいので、仕方ないと言えば仕方ないけど。


 それにウチの新聞部は確かかなりの実績を持った部のはずだ。去年もコンクールか何かで賞をもらっていたらしいし。


 そんな新聞部がわざわざまともな活動すらしてない天文部に取材に来るのはおかしい。


「そうですね。確かに天文部には取材するほどの実績はありません。ですが、部員の方となると話は違います」


 藤井さんは一瞬、姉さんと倉敷さんの方を見る。


「万能生徒会長の松下先輩と倉敷企業の社長令嬢。ここは面白いネタの宝庫なんですよ? 新聞部の人間として、取材しないわけにはいかないじゃないですか!」


「なるほど」


 僕はすでに慣れてしまったけど、姉さんも倉敷さんも学校では知らない者はいないほどの有名人だ。


 新聞部がそんな二人を取材するのはおかしいことではない。むしろ、今まで取材しなかったことの方が疑問だ。


「まあ取材といっても、そんなにお時間を取らせるつもりはないので安心してください」


 そう言って藤井さんは、ブレザーの内ポケットから手帳とボールペンを取り出した。


「では、まず一つ目の質問です。お二人は今までに恋愛経験はありますか?」


「ないね」


「私もないわ」


 二人して即答。


 まあ、この二人とまともに付き合える男なんて、そうそういないと思うけど……。


「おい愚弟、今失礼なことを考えなかったか?」


「気のせいだよ」


「…………」


 姉さんの訝しむような視線が突き刺さるが無視する。僕の考えてることがバレたら、ロクな目に遭わないのは分かり切っていることだから。


「なるほどなるほど……」


 藤井さんは熱心に手帳に何かを書き記している。


「ありがとうございます。では次の質問ですが、お二人の理想の男性像というのはどんなものですか?」


「「私に絶対服従してくれる男」」


 またもや即答。しかも今度は二人して同じ回答。これは酷い。


「なるほど……具体的にはどんな感じですか?」


 ここで更に追及する藤井さんも、中々だと思う。


「そうね。絶対服従とは言ったけど、多くは望まないわ。ただ、(自主規制)や(放送禁止用語)をしてくれればそれだけでいいわね」


 (自主規制)や(放送禁止用語)ってどこの国の言葉だろう? 少なくとも日本語ではない……はずだ。


「生徒会長はどうなんですか?」


「私は言葉通りの意味だ。火の中に飛び込めと言われれば飛び込み、椅子になれと言われれば椅子になる、そんな男がいいな。なあ、愚弟?」


「姉さん、どうしてそこで僕に話を振るのかな?」


 身の危険を感じるからやめてほしい。


「なるほどなるほど……」


 またもや手帳にスラスラとボールペンで何事か記していく藤井さん。


 まさかとは思うけど姉さんたちの言ったこと、そのままメモしてるわけないよね? ……後で確認させてもらおうかな。


「ありがとうございます。では次の質問ですが……荒垣さんに答えてもらいましょうか」


「え、僕……?」


「はい、荒垣さんです」


 藤井さんは首を縦に振る。


「僕は二人みたいに凄い人じゃないよ?」


「そんなことはありません。あなたはこの学校で数少ない、二人と対等に話せる人間なんですから」


「対等かなあ……?」


 姉さんには愚弟扱いを受け、倉敷さんからは童貞呼ばわりされている。……どう考えても対等とは思えない。


「それじゃあ質問、よろしいですか?」


「まあいいけど……」


「ありがとうございます。では早速質問ですが、荒垣さんは現在お付き合いしてる女性はいますか?」


「いないね」


 僕がそう答えると、藤井さんが意外そうに目を丸める。


「意外ですね。あのお二人と仲良くしているものですから、女の子の扱いは慣れてるかと思ったんですけど」


「いやいや、そんなことないよ」


 というか、あの二人を一般の女の子と同列に扱うのは――おっと二人の視線が痛い。これ以上余計なことを考えるのはやめよう。僕だって命は惜しい。


「そんなことはないと思いますけどねえ……まあいいでしょう。では次の質問ですが――」


 その後もいくつかの質問を受け、その都度僕は答えた。


「ふむふむ。なるほどなるほど」


 何度も頷きながら手帳にボールペンを走らせる。


「では次の質問で最後にさせてもらいます。もし付き合うのなら、万能生徒会長と倉敷企業社長令嬢、どちらがいいですか?」


「え……」


 まさかの質問に息を呑む。


 ただの質問だ。そんなに気負う必要もない。適当にどちらかを選べばいいんだ……けど、どちらを選んだとしても後が怖い。


 あの二人のことだ。選ばれなければきっと、後で面倒なことになる。


 どうしたものかと頭を悩ませながら、問題の二人の方を見る。


「そんなに熱視線を私たちに向けて、どうした愚弟? まさかどちらを選ぶべきか迷っているのか? だとしたら迷う必要などない。私を選べ。私ならお前のことをよく理解している」


 いつも以上に饒舌な姉さん。いったい何が姉さんをここまで駆り立てているのだろう?


「あら、それはどうかしら? 部長はこの童貞がどれほどの異常性癖持ちか知らないから、そんなことが言えるのよ。この童貞の異常性癖は腐ったみかんのようなものよ。でも安心して。そんな童貞のあなたでも、私なら受け入れてあげるわ。だから私を選びなさい」


 ……僕っていつの間にか、倉敷さんに恨まれるようなことをしてたかな? 泣きそうなんだけど。


「荒垣さんモテモテですねえ。どっちを選ぶんですか?」


「どっちを選ぶって……」


 どっちを選べばいいんだろ?


「――何だか面白い話をしてますね。私も混ぜてもらえませんか?」


 二つの選択肢を前に悩んでいる僕の耳に、不意に聞き慣れた後輩の声が聞こえてきた。


 声のした方を振り返ると、そこにはやはり愛上さんがいた。


「愛上さん、いつの間に……」


「藤井先輩が取材を初めた辺りからです」


 つまりほぼ最初からということか。


「ええと……どうして部屋に入ってこなかったの?」


「取材と聞いて嫌な予感がしたので。あまり変な話をするようなら、今日は帰ろうかと思ってました」


「いや、そこは先輩を助けようよ……」


「嫌です」


 きっぱりと言い切る愛上さん。この子には人としての心はないのだろうか?


「というか、そんなことはどうでもいいんです。それよりも問題なのは、先輩が誰を選ぶかということです! 松下先輩ですか? 倉敷先輩ですか? それとも……私ですか?」


「あれ? もしかして今選択肢増えた?」


「いいから早く選んでください!」


 大声で急かす愛上さん。今日の彼女からは、何となく鬼気迫るものを感じる。


「え、ええと……」


「さあ、誰を選ぶんだ(の)(ですか)?」


 グイっと詰め寄ってくる三人。


 誰を選んでもロクな結果にならないのは、最早分かり切ったこと。そんな彼女たちに対して僕は、


「……三人共ってのはダメかな?」


「「「…………」」」


「あ、ごめん。今のなし、今のなしだから! ――ぎゃああああああああ!」


 放課後の科学室に、僕の断末魔が響き渡るのだった。

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