ストーカーからの贈り物

 ――それは、いつもと変わらない朝のことだった。


「はあ……」


 朝の通学路で溜息を吐きながら、僕は昨日の地獄を思い返す。


 本当にあれは地獄としか言い様がなかった。まさかゲームをクリアするだけで四時間もかかるとは。


 しかもあの後も何回も何回も選択をミスって……これ以上考えるのはやめよう。ネットに上げられた黒歴史の数々がチラついて仕方がない。


 忘れよう。それが一番幸せだ。


「よし、今日も気を引き締めて頑張ろう!」


 自身を鼓舞することで、昨日の嫌な出来事を頭から消し去る。


 そしていつも通り下駄箱で上履きに履き替えようとしたところで、カサリと何かが触れる感触が手に届いた。


 明らかに上履きではない。かといって、僕は下駄箱に上履き以外のものを入れた記憶はない。


「まさか……」


 こういった状況は以前にもあった。しかもごく最近の話だ。となると、この中身は……。


「見なかったことにしようかな……」


 別に誰か不幸になるわけでもない。むしろ、確認しない方が幸福だ。


 などと考えていると、背後に人の気配を感じた。振り返ってみるとそこには、


「よう」


 僕の親友である彰が立っていた。


「下駄箱の前で立ち止まって何やってんだよ、琢磨?」


「ちょっと現実から目を背けていただけだよ」


「本当に何やってんだよ……」


 ごもっともだ。そろそろ現実を見るとしよう。


「ええと実は……また例のアレが下駄箱に入ってるっぽいんだよね」


「例のアレ? ……ああ、ストーカーからのやつか。今度は何が来たんだ? 婚姻届か?」


「彰。友人だからって言っていいことと悪いことがあるんだよ? その辺、ちゃんと分かってるかな?」


「わ、悪い……」


 肩をビクっと震わせながら謝罪する彰。


 彰にはもう少しデリカシーというものを学んでほしいところだ。


「まあいいよ。それで話を戻すけど、実は僕もまだ中は確認してないんだ」


「何で確認しないんだよ?」


「いやだって……怖いじゃん」


 自分でも情けないことを言ってる自覚はあるが、それでも怖いものは怖い。


「でも脅迫文とか入ってたら、読まないのはマズくねえか?」


「うぐ……た、確かに」


 確認するのも怖いけど、彰の言う通り目を通さないで放置するのはもっと怖い。……仕方ないか。


「分かったよ彰……」


 渋々とではあるが、下駄箱の奥にあるものに手を伸ばす。そして掴んで一気に引っ張り出した。


「これは……」


 出てきたものは、丁寧な包装のされた片手サイズ箱だった。前回と同じと思しき便箋もセットだ。


「お、今回は手紙だけじゃないんだな」


 僕の背中越しに彰が暢気な声音を上げる。


「……ねえ、彰。中身は何だと思う?」


「いや、俺に聞かれてもな……気になるなら早く開けろよ。それが一番手っ取り早いだろ?」


「やっぱりそうなるよね……」


 彰の言うことは至極真っ当だ。気になるならなら、さっさと開ければいい。


 しかしストーカーからの贈り物を何の警戒もせずに開けるのは、バカのすることだ。まずは箱の安全性を確認してみよう。


 最初に箱の重さを確認してみる。大した重さはなく、片手で簡単に持てる。中身はそこまで重いものじゃなさそうだ。


 次に箱そのものに仕掛けがないかをチェックする。しかし特に何もない。至って普通の箱だ。


 最後に軽く箱を振ってみる。振るのにつられて、箱の中で何か音がしたがそれだけ。特に異常はない。


「今のところ問題はなし……か」


 ここまで特に危険は見受けられない。こうなったら、後は箱の中身を確認するしかないか。


 僕は覚悟を決め、箱の包装を解いた。


 赤の包装紙を取り去ると、今度は無地の白箱が姿を現した。一応これも確認してみるが、特に何もない。


 となると、本命はやはり箱の中身。いったいストーカーは何を入れたのだろう?


 一度ゴクリと喉を鳴らしてから、箱のフタを開け、中身を取り出す。するとそこには、


「……クッキー?」


「クッキーだな」


 可愛らしいラッピングの施された袋の中に、数枚のクッキーが入っていた。


 見た感じだと、どこにでもあるような、平凡極まりない普通のクッキーだ。


 いったい何の目的でこんなものを下駄箱に入れたのだろう? 意図が全く読めない。


 一緒に入ってた手紙を読めば、何か分かるかもしれない。


 そう考えて僕は手紙を開封し、中に書いてある文字に視線を走らせる。


『頑張って作りました。よろしければ食べてください』


 しかし、分かったのはクッキーが手作りということだけ。ストーカーの目的は全く分からないのだった。






「――というわけなんだ。どうすればいいと思う、姉さん?」


 ストーカーからクッキーを頂いた日の放課後、僕は天文部の部室である科学室で姉さんに今朝起こったことをありのままに伝えた。


 ちなみに現在この部屋にいるのは、僕、姉さん、倉敷さんの三人だけ。愛上さんはまだ来ていない。


「とりあえず食べてみたらどうだ? せっかくの贈り物だ。食べないのは勿体ないだろ」


「……食べても大丈夫かな?」


「大丈夫だろ。何か入ってたとしても、精々陰毛か体液ぐらいだ。何の問題もない」


「どこが!? 問題しかないよ!?」


 というか、姉さんの発想が僕の想像の遥か上を行くエゲつなさなんだけど。


「大丈夫。お前ならいけるはずだ。自分を信じろ!」


「姉さん、自分を信じろの使い所を間違えてるよ……」


「そうか? まあどうでもいいことだ。ほら、さっさと頂き物のクッキーを食べてしまえ」


「…………」


 姉さんがクッキーを食べることを促してくるが、先程クッキーに異物が入ってるかもしれないという話をしたばかりだ。少しばかり躊躇してしまう。


 けれど食べなければ捨てるしかない。いくらストーカーからの贈り物とはいえ、食べ物は粗末にしたくない。


 いったいどうしたものかと悩んでいると、唐突に部室の扉が開かれた。


 この部屋にはすでに四人中三人の部員がいる。となると、今扉を開けた人物も限られてくる。


「遅れてすみません、皆さん。少し掃除が長引いてしまいました」


 入室してきたのは予想通り、愛上さんだった。


「愛上さん……」


 このタイミングで愛上さんが来たのは僥倖ぎょうこうかもしれない。


 このまま僕一人で考えていてもいい案は出ないだろう。ここは僕と同じ常識人である愛上さんに意見を窺うべきだ。


 よし。早速愛上さんに相談を、


「実はこの童貞、今から体液と陰毛を食べるかどうか迷っているのよ」


 ――しようもしたところで、倉敷さんが最低最悪の先手を打った。


「……最低です、先輩。見損ないました」


「誤解だよ!」


 後輩のゴミを見るような視線が痛い。


「この前話したストーカーからクッキーが贈られたから、それを食べるかどうかで迷ってただけだよ!」


「……本当ですか?」


「嘘なんか吐いてないよ!」


 訝しむような視線を向けてくる愛上さんにきっぱりと言い切った。


「……まあ先輩がそういう変なことをする人だとは思えませんし、信じましょう」


「愛上さん……!」


 僕は何て素晴らしい後輩を持ったのだろうか! 感動のあまり涙が溢れそうになる。


「……それで? 結局何をしてたんですか?」


「さっき言った通りだよ。ストーカーからクッキーが贈られたんだけど、怖いから食べるかどうか判断に迷ってるんだ。愛上さんはどうした方がいいと思う?」


 愛上さんに訊ねてみると、彼女は少しの間顎に手を当てて考えるような仕草をする。


「……そうですね。私個人としては、ちゃんと食べてあげた方がいいと思いますよ? せっかくのなのに、食べてもらえないのは可哀想ですし」


「確かにその通りだけど……」


「何なら、私が毒味してあげましょうか?」


「い、いいの……?」


 愛上さんの申し出は嬉しいけど、彼女は本来この件とは関係がない。身体を張ってもらうのは、流石に申し訳ない。


「はい。別にいいですよ」


「そ、それじゃあお願いします……」


 情けないことではあるが、結局お願いすることにした。


 カバンから今朝のクッキーを取り出し、愛上さんに渡す。


「ほほう? 随分と美味しそう。こんなものに異物が入ってるかどうかを疑うとは、私の愚弟ながら見下げ果てた男だな」


「ええ、全くね。最低の童貞だわ」


 何か外野がうるさいけど、無視だ無視。


「見た感じは普通のクッキーですね。味の方は……」


 愛上さんは袋から取り出し、クッキーを口に運んだ。


「……どう?」


 恐る恐る確認してみる。


「……美味しいですね。食べても特に問題はないと思いますよ?」


「ほ、本当に? それなら僕も一つ……あ、本当だ、美味しい」


 口の中にクッキー特有の甘さが広がる。


 僕もたまに愛衣にクッキーなどのお菓子を作って上げることはあるけど、ここまで美味しくは作れない。


 悔しいが、ストーカーはお菓子作りにおいては僕以上の腕を持っているようだ。これなら無限に食べられそうだ。


 もう一枚と思い袋に手を伸ばそうとしたところで、横から姉さんと倉敷さんが割り込んでクッキーを一枚ずつかっさらった。


「あ……ッ!」


「私たちももらうぞ」


 僕が驚いてる間に、二人もクッキーを口にする。


「確かに、これは中々のものね。これなら体液が入っていても分からないわ」


「うん。黙って食べようか、倉敷さん?」


 この子はどうして素直に味を評価できないのだろうか?


 倉敷さんのクソグルメレポートに肩を落としながら、二枚目のクッキーを食べる。


「美味しいなあ……」


 こんなに美味しいクッキーなら、ストーカーに感謝してもいいかもしれない。


 そんなことを考えながら、僕は三枚目のクッキーに手を伸ばすのだった。


 


 

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