相談その3

「入りたまえ」


 姉さんが偉そうな物言いで、扉の向こうの人物に入室を促す。


 すると緩慢な動きで扉が開かれた。


「すいません、先輩方。所要で少し遅れてしまいました」


 扉の向こうから姿を現したのは、艶やかな黒髪を肩にかかるくらいの長さまで伸ばした少女だった。


 彼女の名前は愛上あいがみほたる。我が天文部、唯一の一年生部員だ。入部したのはほんの二週間前だが、天文部にはそれなりに馴染んでいる。


「気にしないでいいさ。ウチは天文部とは名ばかりで活動は一切してないからね」


「いや、部長の松下先輩がそれ言っちゃダメでしょう……あと部屋の外まで声が漏れてましたよ。何の話をしてたんですか?」


「愚弟がもう少しで処女を喪失するという話だよ」


「……本当に何の話をしてたんですか?」


 ドン引きした様子の愛上さん。まあ当然の反応だろう。


「いやあ、実は愚弟がストーカーに狙われてるらしくてね」


「……それは遅めのエイプリールフールですか?」


「残念ながら違うよ。オリヴィア君、蛍君に手紙を渡してあげてくれ」


「了解したわ部長」


 倉敷さんは頷きながら愛上さんに手紙を渡す。


 愛上さんは渡された手紙を即座に読み終えると、僕の方を見ながら、


「……その、頑張ってください」


 何とも微妙な表情で微妙なエールを送ってくれた。


 よくよく考えてみると、ストーカーの件を打ち明けてこんな優しい言葉をかけてくれたのは、愛上さんが初めてかもしれない。


 ヤバい、ちょっと泣きそうになる。……僕の周りにまともな人間がいないという現状に。


「せ、先輩? 大丈夫ですか?」


「うん大丈夫。ちょっと自分の交遊関係に絶望しただけだから」


「それは本当に大丈夫なんですか……?」


 再度訊ねてくる愛上さん。本当に心配してくれていることが分かる。


 ああ、愛上さんの優しさが心に染みる。


「心配してくれてありがとう、愛上さん。けど僕は本当に大丈夫だから、気にしないで?」


「先輩がそこまで言うならいいですけど……」


 微妙に納得してない様子ではあるが、愛上さんはそう言って話を打ち切った。


「と、ところで、どうして先輩が……しょ、しょしょ、処女を喪失するなんて話をしてたんれしゅか?」


 処女の部分を羞恥に悶えながら話す愛上さん。姉さんや倉敷さんと違って真っ当な羞恥心があるのだろう。


「それについては私から説明させてもらうわ」


 愛上さんの疑問に、倉敷さんが応じた。


「ねえ愛上さん。あなたの目には、この男が女子にストーキングされるほど魅力的に見えるかしら?」


「……見えないですね」


「つまりそういうことよ」


「なるほど」


 勝手に納得しないでほしい。


「ちょっと待ってよ。別にストーカーが男だって確定したわけじゃないよ?」


「……そうね、確かにその通りだわ。いくらあなたがブサイクでも、それがいいというマニアックな女子がいるかもしれないわ」


「なら――」


「けど覚えておきなさい。この学校には、あなたのお尻の純血を狙う者が何人もいるということを」


「…………」


 ある意味ストーカーよりも驚愕の事実だ。明日から僕は男子を見る目が変わってしまいそうだ。主に悪い意味で。


「あの……先輩、一ついいですか?」


 男性恐怖症に陥りそうになっている僕に、愛上さんが恐る恐るといった感じで訊ねてきた。


「ええと、結局先輩はそのストーカーをどうしたいんですか?」


「どうしたい……?」


「はい。仮にストーカーの正体が分かったとして、先輩はどうするつもりなんですか?」


 もしストーカーの正体が分かったらか……そういえば、誰がストーカーなのかばかりを考えていたせいで、分かった後のことは考えてなかったな。


「うーん……とりあえずストーキングをやめてもらおうかな。夜道で追い回されるとか、シャレにならないくらい怖いし」


「それだけですか?」


「それだけって……他に何があるの?」


「……何もないですね」


 口を尖らせながら、愛上さんはそんなことを言った。


 あれ? 僕、何かおかしなこと言ったかな?


「……それで、童貞名人はこれからどうするつもりなのかしら?」


 なぜかいきなり不機嫌になった愛上さんに首を傾げて僕に、倉敷さんが不名誉な名前と共に声をかけてきた。


「……とりあえず今分かってるのは、ストーカーが僕の身近にいる人ってことだけだから、様子見かなあ。後、童貞名人って呼ぶのはやめてね。知らない人が聞いたら誤解するから」


「なるほどね。あなたの考えは理解したわ。ちなみにあなたには童貞名人が似合うから、この呼び名を変えるつもりはないわ」


 童貞名人が似合うってどういう意味だろう? 彼女とは一度、きちんと話し合った方がいいかもしれない。


「はあ……」


 思わず溜息が漏れてしまう。


 ――結局この日は、姉さんに相談したおかげである程度ストーカーの正体は絞れてきたけど、特定まではできなかった。


 ストーカーはいつになったら見つかるのか。そもそも、見つけることはできるのだろうか。


 そんな不安を抱えながら、僕は一日を終えるのだった。

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