相談その1

「よし……」


 全ての授業を終えた放課後。僕は席を立ち教室を出た。


 放課後の予定というのは人によって様々だろうが、大きく分けると二通り。部活動か帰宅だ。


 ちなみに僕は一応天文部に所属している。なので今僕が向かっているのは、天文部の部室である科学室。


「失礼しまーす……」


 しばらく歩いて科学室の前まで来た僕は、そう呟いてゆっくりと扉を開ける。


 中を見回してみると、数個のテーブルと椅子の内の一つに見覚えのある女子生徒が座っていた。


「来たか、愚弟よ」


「あのさ姉さん、僕のこと愚弟って呼ぶのやめてくれない?」


 僕は女子生徒――松下火恋を睨み付ける。


 しかし姉さんは僕の視線など気にする様子もなく、口を開く。


「なぜだ? お前は私の弟なのだから、姉の私がどう呼ぼうが勝手だろう?」


「いや、勝手じゃないから。そもそも、僕たちは別に姉弟じゃないし」


「血は繋がってなくとも、私たちは心の姉弟じゃないか」


 まるでどこぞのガキ大将のような物言い。相変わらずの理不尽さだ。


 ――松下火恋。僕より一つ上の学年で、関係は姉弟ではなく幼馴染。物心付いた頃からの仲だ。


 燃えるような腰の辺りまで伸ばした赤い髪。スラッと伸びた手足はモデルを連想させる。精緻な作りの顔をしているが、常に不敵な笑みを浮かべているので、僕はいつも何か良からぬことを考えてるのでは? と勘繰ってしまう。


 性格は傲慢で横暴。しかしなぜか生徒たちの人気は異様に高く、ファンクラブまである。


 ちなみにこの天文部の部長でもある。


「というか姉さん、今日は来るの早いね。生徒会の方は大丈夫なの? 姉さん生徒会長だよね?」


「他の役員に押し付けてきた」


 ……本当にどうしてこんなのが生徒たちに人気なんだろう? 謎だ。


「……まあいいや。姉さん、話があるんだけど少しいいかな? というか、生徒会の仕事サボってこんなところにいるんだからいいよね?」


「いいぞ。愚弟の話を聞いてやるのも姉の務めだからな」


 いちいち尊大な物言いだが、この人を相手に気にしたら負けだ。


 それに姉さんは性格こそアレだが、頭はかなりいい。僕は昔から何か困ったがあると、いつも姉さんに相談していたものだ。


「ええと、驚かないでほしいんだけど……実は僕、最近ストーカー被害に遭ってるんだ」


「…………」


 なぜか姉さんが、今朝ストーカーの話をした時の彰と同じような顔をしている。


「少し待ってろ、愚弟」


 唐突に席を立った姉さん。そしてそのまま科学室を出て行った。


 心なしか、席の立ち方が今朝の彰に似ていた気が……嫌な予感がする。


 嫌なものを感じながらも待つこと数分。姉さんは片手に缶コーヒーを持って戻ってきた。


「受け取れ愚弟」


「……何これ?」


 頬に冷たい缶コーヒーを押し付けられながら訊ねる。


「見て分からないのか? 缶コーヒーだ」


「いや、そうじゃなくてさ。この缶コーヒーの意図を訊いてるんだけど」


「……なあ愚弟。お前は疲れてるんだよ。これをやるから、今日は帰って寝るんだ。たっぷり寝れば翌日には正気を取り戻してるはずだ。それでもまだストーカーなんて妄言を口にするのなら、いい精神科を紹介してやるから」


「うん。ちょっと話し合おうか、姉さん」


 この姉は僕のことを何だと思っているのだろう。というか、彰といい姉さんといい、なぜ同じ反応をするのか? まさか打ち合わせでもしてるのかな?


「あのさ、僕冗談で言ってるわけじゃないから。証拠だってあるし」


 カバンから二枚の手紙を取り出し、姉さんに手渡す。


「……ほう?」


 僕から手紙を受け取った姉さんは、どこか楽しげな声を上げてから手紙を読み始めた。


 本来なら一分足らずで読み終わるほどの短い内容ではあるが、姉さんは二枚の手紙を何度も読み返す。


「……どうやら嘘ではないようだな、愚弟よ」


「やっと信じてくれた……」


 彰も姉さんも、どうして僕の言うことを信用してくれないのだろう? 僕ってそんなに信用ないのかな?


「それで愚弟は私にこの手紙を見せてどうしたいんだ? まさか彼女ができたから自慢でもしに来たのか?」


「違うよ。姉さんには手紙の差出人を見つけてほしいんだ」


「……私は探偵ではないぞ?」


「でも、昔からこういったことは得意だったよね? お願いだよ姉さん。僕、このままじゃ怖くてまともに生活できないよ……」


 いくら怖いからといって女の子に頼るのは情けないと思うが、背に腹は変えられない。


 それに僕の覚えている限りでは、姉さんに頼んで解決できなかった問題はない。姉さん以上に頼りになる人はいないのだ。


「……まあ他ならぬ愚弟の頼みだ。私が姉として一肌脱いでやるとしよう」


「姉さん……!」


「とりあえず、二通の手紙をいつどこで、どんな状況で受け取ったのか、詳しく聞かせてもらおうか」






「――というわけなんだ」


 とりあえず姉さんに言われた通り、僕は今朝の手紙に関することを全て話した。


「なるほどな……」


「姉さん、何か分かった?」


 顎に手を当てて思案に耽る姉さんに訊ねる。


「……ああ、少しだけだがな。流石にこれだけのヒントでは、犯人までは特定できなかったよ」


 姉さんはそんなことを言ってるが、僕一人ではいくら考えても何も出なかっただろう。やはり姉さんに相談したのは間違いではなかった。


「それで姉さん、何が分かったの? 僕にも教えてよ」


「そう急かすな愚弟。お前はもう少し落ち着きというものを覚えろ」


 やれやれとでも言いたげに肩を竦める姉さん。しかしすぐに不敵な笑みを作ると、絵本でも読み聞かせるような口調で話し始める。


「……恐らくだが愚弟、犯人はお前の知ってる人間の可能性が高い」


「僕の知ってる人? 何か根拠があるの」


「ああ、あるぞ。それはこの手紙だ、愚弟」


 姉さんが手紙を僕の方に向けながら口を開く。


「愚弟、なぜこの手紙の主はこんなカクカクの文字で手紙を書いたと思う?」


「それは……」


「答えは簡単だ。筆跡でバレてしまう可能性を潰すためだ」


「なるほど……」


 もし本当にストーカーの正体が僕の知り合いなら、確かに文字がカクカクなのも納得だ。普通に書いてしまうと、筆跡で簡単に正体がバレてしまうかもしれないから。


「いいか愚弟? もしお前が本気で犯人を見つけたいというのなら、今後は周囲の人間全てを疑え。もちろん、この私も含めてな」


「……うん、分かったよ」


 今はまだ手紙のみだけど、今後はもっと目に見える形で何かしてくるかもしれない。そうなる前に、ストーカーの正体を突き止めてやめさせなければ。


 などと決意していると、不意に科学室の扉が音を立てて開かれた。


 

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