夏のプレゼント

道透

第1話

 一番窓側の前から三列目。誰も残らない放課後の教室の扉を開けて夏の蒸し暑さを感じる。蝉の声と運動部の掛け声が脳裏に焼き付く。

 部活も習い事も予定も何もない生活は時に嫌になる。もちろん忙しいのもそれはそれでしんどいが、好きなことや頑張っていることであればあるほど充実するものだ。俺はそれを知っている。

 これでも中学生の時までは部活に塾、書道、少林寺拳法、そろばんと一週間になすべきことに恵まれていたのだ。あまりにも手が回らなくなって勉強はおろかになっていくばかりだった。次第に好きで頑張っていた習い事もやめることとなり、部活は引退を待たず退部した。

 結局高校生の自分に残されたのは偏差値の低い高校での三年間という空しい時間だけだった。

 剣も矛も装備さえも無くした戦士のようだ。線上には二度と戻れない。行ったところで生き延びられる保証なんてどこにもない。ただ戦地から離れた丘の上で人が汗や血を飛ばして激しくぶつかる様を横目で懐かしむように見るだけだった。昔は自分だってあの戦場で剣をふるい、矛で敵を投げ飛ばしていた。一体、どんな顔をして駆けずっていたのだろう。思い出すことは容易くない。

 別に今さら何かに熱中しようとは考えていない。それよりもこの暇な時間の穴埋めをどうやってするかの方が大事だ。今、家に帰っても余計に何もしなくなるだけだ。

 友達も部活へ行ったり、バイトへ走ったりと忙しそうである。俺には関係のないことだ。

 その時だった。教室の扉がものすごい勢いで開けられた。

「え?」

 びっくりする俺は目をぱちくりさせた。一瞬、本当に扉を開けられたことすら分からなかった。

 教室が静まった頃、また蝉の声と運動部の声かけが教室内に戻ってくる。

 すると教室に俺と同じ学校の制服を着た女子が入ってきた。髪の毛は短く、女子にしては身長が高い。スタイルも良く清楚な雰囲気をまとっている。

「誰、あなた?」

 教室に入ってくるその人は学校では美人としてかなり有名な人だった。

「俺はここのクラスの森田亮です」

「私は東山美緒です」

 知ってます。非常に頭が冴えていて、運動神経も涼しい顔で校内トップ。取り柄しかないような完璧超人である。

 同じ学年なのに初めて話すからか妙に緊張する。

「何か用でもありましたか?」

「この教室に桜庭優斗はいない? 探してるんだけど見つからなくて」

「いませんけど」

 なんだ、ただの人探しか。確かに桜庭はこのクラスの生徒だが、とっくに教室は出ている。桜庭とは挨拶をしたり、用があれば話すような仲だが友人とまでは関係は深くない。

「そう見たいね、ありがとう」

 東山さんは三秒ほど無言で俺を見て教室を出て行った。

 東山さんと桜庭って仲良いのかな。話しているところ見たことないけど。きっと委員会とかがかぶっていたのだろう。俺には関係のないことだ。

 次の日の朝、お節介かもとは思ったが桜庭に東山さんが探していたことを伝えた。その反応は思っていたものとは違った。顔が引きつっていた。校内一の美人に探されていたとは思えない。ほとんどの人が悪い気がしない事情だと思うが桜庭はそこに入らない人なのかもしれない。少しその事情が気になった。

 放課後になると皆、教室を早く出ていく。俺も今日は家でゴロゴロしようと思っていたので帰る用意を済ませると教室を出た。靴箱辺りには人がごった返していた。やっぱりもう少し人が少なくなってから教室を出ればよかったかなと思いながら自分の靴箱の中から靴を出そうと手を伸ばす。すると、俺の横で靴に履き替える桜庭に腕を引っ張られた。

「どうしたんだ?」

 人ごみをなんとか抜け出した俺たちは正門の方へ歩きながら話すことになった。

「あのさ今朝のことなんだけど、東山さんのこと」

「あー。何か委員会とかでしょ?」

「委員会? 一緒じゃないけど」

 じゃあ部活か? いやそれもないか。桜庭は俺と同じで帰宅部だ。一方東山さんはソフトボール部で素晴らしい成績を誇っている。

「ここだけの話なんだけど、俺さ……東山さんに告白されたんだ」

 俺はとんでもない話を聞かされたんじゃないか。それって他言してもいいことだったのか。絶対駄目とは言わないけど、俺は桜庭とも東山さんともそこまでの仲を築いてはいない。

「じゃあ、今付き合ってるの?」

「そんなわけないじゃん! 東山さんは苦手だよ。でもまだ告白の返事を出来てなくて」

 もしかして東山さんが桜庭を探していた理由って告白の答えを聞くため?

「断るのも怖いし。どうにか一週間ほど逃げてるんだけど。それに多分東山さんは好きな人を間違ってるんだよ」

「でもそれは桜庭好きじゃないから勝手に思ってるんじゃないのか。東山さんは本気だったよ?」

「そうじゃなくて――」

 話を聞くと、東山さんはこの学校に入学する前に桜庭に助けてもらい恋に落ちたらしい。でも、桜庭にはそのような記憶がないらしい。

 俺は桜庭がたんに忘れているだけだと推測するのだけれど、そうではないと断言されてしまった。

 結局、何の解決もなしに重い爆弾を背負わされただけだった。

 この重荷はいつ取れるのかと知りもしない未来の自分に問いかける。答えは返って来るはずもない。

「森田くん!」

 東山さんに話しかけられたのはこれで二回目だ。今日は学校の課題に取り組むため、放課後の教室に一人残っていた。

 また桜庭だろうか。今日も残念ながらさっさと帰ってしまった。成績優秀で運動神経抜群の美女でも恋愛にはお手上げのようだ。

 教室に入ってくる東山さんはやはり桜庭を探していたようで以前のように俺に聞いてきた。俺もこのことには極力関わらないようにしている。だから、桜庭に頼まれた面倒なお願いを果たしたら無理にでもこの役を誰かに譲るつもりだ。

 桜庭がいないことを確認して教室を出ていこうとした東山さんは、とっくに帰った桜庭を探すことをまだ諦めていないようだ。

「待ってください」

「何? 私、急いでるんだけど」

「どうしてそんなに桜庭を探してるんですか? 好きなんですよね、桜庭のこと」

 桜庭から聞いたとは言わない方がいい。たんに俺の感が頗る良いという設定にしよう。

 東山さんの驚いた顔で凄い大会で優勝をしたような優越感に浸れた。

「そうだけど」

 そんなにすんなりと言えるものなのか。しかし警戒するようにして俺の方に歩いてくる。

「教えてほしいんです。その理由とか経緯とか」

「私は急いでるから」

 それは桜庭を探しているからだろう。

「今日は桜庭、しんどいから帰ったらしいですよ」

 東山さんもこんなに余裕のない顔をするのか。突然、東山さんが小さく見えた。何だか普通のうちのクラスにいる女の子と何ら変わりないじゃないか。

 視線を落とした東山さんは俺の席の前の椅子を百八十度回転させて俺と向き合った。

「理由と経緯だったっけ? 別に話すのはいいけど森田くんに需要があると思えないんだけど」

「桜庭はクラスメイトですから」

 良く分からない理由だ。厄介な仕事だ。

 東山さんは照れる様子も動揺する様子もなかった。ただ一言、

「桜庭くんのことはあまり知らない」

 と言った。

 好きなのだから何か俺の知らない桜庭の一面でも出てくると思っていた。予想外の答えに俺が動揺した。意味が分からないことを言うのはお互い様だ。

「え? あの、ちょっと意味が分からないです」

「そのままだけど。桜庭くんを好きなんだろうけど彼のことは分からない」

 東山さんは好きになった経緯を話し始めた。

「私、ここの受験の日に貧血を起こしたの。帰りだったら良かったんだけど、運悪く受験の行に倒れたの。意識はあったのだけど、目まいとか吐き気があってしっかりその日のことを覚えていないけど、同じ学校を受験する男の子が助けてくれたの」

 え?

 俺にはその話と一致する記憶があった。

 俺はこの学校の受験の日、貧血で倒れた同じ年頃の女の子を助けたことがあった。ちゃんと顔を覚えてはいないが隣でいきなり倒れたのもだからとっさに手を伸ばしたのだ。

 その後、応急処置としてその場に寝ころばせて手持ちのタオルを女の子の頭の下に、彼女の参考書とノートでいっぱいの鞄に両足をのせた。頭部を低くするのだ。

 東山さんの話は俺の記憶をなぞった。

「まあ、その時に桜庭くんを好きになあったから……今の桜庭はまだ知らないの」

 これは偶然で、同じようなことが二件もあったのか?

 東山さんもはっきりと覚えていない時点で曖昧だ。

「その人も言ってしまっただけど、私の鞄を見て褒めてくれたの――」

「頑張っててすごいですね。早く治してくださいね。一緒に受かるといいですね」

 東山さんはバッと勢いよく顔をあげて、何で森田くんが知ってるの! と驚いた。俺は自分の些細なセリフを覚えていた女の子にびっくりする。

「桜庭じゃないですよ」

 ここまで詳しく聞いていないぞ、桜庭。

 あの日出会った女の子は東山さんだったのか。

 向き合う俺たちはとても気まずくなった。何だろう、違う。こんな風にするためにこの役を引き受けたわけじゃない。

「森田くん!」

 東山さんの大きく見開いたキラキラとした眼差しは小さい少女が憧れの王子様を見つめるものだった。

「え……?」

 夏の暑さは久々に目まぐるしい何かを俺の元に届けに来たのかもしれない。

 いつの間に戦場に戻ってきてしまったのだろうか。

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