相思草愛
いずも
ショートホープのモナムール
「トイレねーかなーっと……おっ、コンビニあったあった」
営業車で外回りの途中、コンビニに寄った。
結構我慢の限界に近かったんでそのまま前進で突っ込む。
ちょっと斜めになったけど致し方ない。
半分くらいゴミの溜まったビニール袋を掴んで急いで車を降りる。
用を済ませて車に戻る。
近頃のコンビニはゴミ箱も店内に置いてるし、灰皿も撤去してやがる。
全く世知辛い世の中だ。
喫煙者には厳しい世の中だぜ。
「あー、コーヒー缶も捨てたら良かった……ま、灰皿代わりにすっかな」
もう一度店内に戻るのもバツが悪い。
さっきも何も買わずにトイレだけ使ったのに、もう一度戻るとなると流石に何か買わなきゃ悪いかと思ってしまう。俺にだって人としての最低限の良心くらい持ち合わせている。
助手席に放っていたブラックメンソールに手を伸ばし、トンと叩いて一本取り出す。
社用車で喫煙オッケーな会社なんて今どき存在するのかと思うほど、どこもかしこも禁煙禁煙……。ウチは恵まれている方かもな。
火を付けて軽く一服。
車内に煙が充満する。
おっと。
こいつはまだほとんどおろしたてのスーツだから匂いをつける訳にはいかない。
窓を開けようと思ったのと同時、誰かが窓をトントンと軽く小突く音がした。
誰だ?
窓を開ける。
火の付いていない煙草を口に加え、フラフラと口元で動かすその仕草には見覚えがあった。
「――先輩っ!?」
「いよぅ」
それは同じ高校の一つ年上の先輩だった。
「どうしたんだよこんなところで。はは~ん、さてはサボりだな」
「ち、違いますよ!」
思わず前のめりになって車から顔を出す。
「先輩こそどうしたんですか。今日は制服コスじゃないなんて」
「ああ!? コスってなんだよテメー、ぶっ殺すぞ。こちとら今日は非番なんだよ」
相変わらず凄みをきかせたら地元じゃ右に出るものはいない。
思いっきりメンチを切られたあと、お互いに笑いあった。
先輩は警察官だ。
中学時代から地元じゃ有名な不良で、俺達の憧れでもあった。
それでも補導歴はなく、警察に目をつけられるかどうかの瀬戸際で無茶をしていた。
高校生になってからも相変わらずだったのだが、高3になってから急に勉学に励んで、ついには公務員試験にも合格した。自頭は良かったのだろう。
俺たち不良グループにも衝撃が走り、でもそれすら格好良いとすら思えて、俺達も真面目に生きようと不良から足を洗った。
必死で勉強して、なんとか大学に合格した。
学生時代に一度制服姿の先輩に会ったが、それはとても立派な姿だった。
そのときに思わず「先輩が着るとコスプレみたいですね」なんてからかっていたのだ。
「お前こそ、なんだよそのスーツは。全然着慣れてないし、ホントに社会人か? ニートが会社員のフリしてんじゃねーよ」
先輩にからかい返される。
「これはおろしたてのスーツだからですよ! この車見てわかんないっすか。ココ、ここにちゃーんと社名が書いてあるでしょうが!」
身を乗り出し、右腕を伸ばしてドアをバンバンと叩く。
「あっはっは、ジョーダンだよジョーダン」
豪快に笑う先輩は相変わらずだ。
俺はむくれるように煙草を咥える。
「おっ、煙草吸ってんな、ちょっと火ぃくれや」
そう言って先輩は煙草を咥え直し、少しかがんで姿勢を低くして、俺の煙草の火に自分の煙草をくっつけた。
「っ、近っ!!」
突然のことに面食らって思わず口に力が入る。
煙草を食いちぎってしまうところだった。
「サンキュー」
火が付いたところで先輩は姿勢を戻し、満足げに一服する。
俺も煙を吐き出し、冷静を装うために話を切り出す。
「先輩、その短いやつ好きっすねー。ホープでしたっけ。良いんですか、お巡りが煙草なんて吸ってて」
「ああ? 警官が煙草吸っちゃダメなんて法律ねーだろ。しかも今は非番だっつってんだろ」
「非番は関係ないじゃないですか」
「それに短い方が、何かあってもすぐに次の作業に取りかかれるからな」
ホープは太くて短い、煙草の中でも結構きついタイプだ。
なんで先輩がそんなものを好んで吸うのか。
誰かの影響なのだろうか。
不良だった俺は昔からこっそり吸っていたのだが、ほとんど格好つけで吸っていたのできついものは体が受け付けず、ずっと軽いメンソールのままだ。
未成年の頃から吸っていたのでかなりの愛煙家と思われていたのだが、実際のところ自分を大きく見せようとしていただけなのだ。
「それにしても二年、いや三年ぶりくらいか。前にあったときは学生って感じだったが、もうすっかり社会人の顔だな」
「先輩は高卒で社会人になってますから、もう老け……大人ですね」
「今失礼なこと言おうとしただろ」
「ははは、何をおっしゃいますやら」
バレていた。
不良の世界といえば上下関係に厳しいイメージがあるが、先輩は寛容で昔から割とフランクに話していた。
そんな先輩を心から尊敬していた。
同じ高校生同士だったのが高校生と警察官、大学生と警察官と立場が違ったのが、一応同じ社会人になれたのだ。
あのまま不良を続けていたら一生同じ土俵には上がれなかったかもしれない。
更生の機会を与えてくれた先輩には感謝してもしきれないほどだ。
まあ、本人には恥ずかしくてそんなこと言えないのだが。
だから心の中でいつも思っているのだ。
俺を警察のお世話にならないようにしてくれてありがとう、と。
お互いに沈黙だけが続く。
言葉の代わりに煙が交差する。
この時間がずっと続いてほしいと思う。
煙草が灰になるまでの、ほんの僅かな時間しか続かないことを知っているのに、そう願ってしまう。
「あ、そうだ」
ふと先輩が声を上げる。
「お前は相変わらず同じ銘柄なんだな。それ、どんな味だ?」
そう言って俺が咥えた煙草を見つめる。
「ああ、これですか。ちょっと待――」
右手で煙草を持ち、俺が助手席の黒い箱に視線を移した途端、先輩は俺の手から煙草を奪い取り、躊躇なく咥えた。
「なっ!?」
「ぷはーっ。なんだこれ、スースーするな。メンソールじゃん」
「ちょっ、先輩何やってるんですか!」
「いいじゃんか、減るもんじゃナシ……いや、減ってるか。あっはっはっ」
煙草の煙と先輩の声が空に消える。
溶けるように消え去る煙に反して、先輩の声はいつまでも俺の耳に残っていた。
「さて、そろそろ行かなきゃ本当にサボりになっちまうぞ……よっと」
先輩はブラックメンソールを下に落とし、靴で煙草の火を消した。
そして、シケモクを摘んでキョロキョロとコンビニの方を見る。
「ああ? コンビニなのに灰皿の一つも置いてないのかよ」
「っと、あの、先輩。煙草ならこのコーヒー缶、空っぽですから、どうぞ」
なんとか必死に声を出して缶を差し出す。
「おっ、そっか。サンキューな」
潰れたメンソールが最後の煙を上げながら缶の中に落とされる。
「代わりにこれやるよ。つってもほとんど終わりかけだけどな」
そう言って先輩は自分が吸っていたホープを差し出してきた。
もうすっかり短くなっていたそれは指先までじんじんと熱が伝わる。
「悪いな、携帯灰皿とか持ってないからさ。捨てといてくれや、あっはっはっ」
先輩は笑っていた。しかしその笑い声は俺にはほとんど聞こえていない。
「もう行くわ、じゃあな。お前も頑張れよ」
ニコッと笑う先輩からはかすかにメンソールの匂いが立ち込める。
「そうだ」
少し離れてからまた向き直り、姿勢を低くしてこちらに目線を合わせる。
「アタシら警察のお世話になるんじゃねーぞ!」
夢のような時間はあっという間だ。
それでも、まだ夢の中にいるような心地だ。
先輩はいつまでも憧れであり、理想だった。
そんな人とシガーキスに加えて相合煙管……では、ないな。
こんな経験、二度とないかもしれない。
やっと俺も、一人前だと認められたのかもしれないな。
そう思うと、とても嬉しい。
まだ鼓動は高鳴り、収まらない。
今はまだスタートラインに立ったばかりだ。
これからだ。
「……あつっ!」
灰が落ちて我に返る。
ああ、スーツがダメになるぞ。
そんなことにも気が回らなかった。
ラジオからは宇多田ヒカルの曲が流れる。
歌詞に合わせて、最後の一吸い。
やっぱり、むせた。
「――……若い男の運転する乗用車がコンビニに突っ込む事件が起きました。店内に客はなく、けが人はいませんでした。アクセルとブレーキの踏み間違いによる事故の可能性が高いです。南警察署によると、男は『今はまだスタートラインに立ったばかり』などと意味不明な供述をしており――」
相思草愛 いずも @tizumo
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