引き出しに納める愛情

大鴉八咫

引き出しに納める愛情

 机に付いてる袖机。

 一番目の引き出しには鍵が付いているから大事なものを入れよう。

 三番目の引き出しは少し大きめなので背の高い書籍やかさばる用具を入れよう。


 さて、それでは中途半端な大きさの、鍵もかからない二番目の引き出しには何を入れようか。


 大事なものは入れられない、誰でも開けれてしまうから。


 大きなものは入れられない、高さが足りないから。


 書類を入れようか。しかし書類は机上の書類入れに入れてある。

 文房具はどうだろう。しかし文房具は机備え付けの引き出しに小分けにして入れてある。


 いっそお菓子などを入れてみようか。しかし作業中に何かを食べる習慣は無い。

 全く無関係の趣味のものを入れてみようか。しかし生憎と無趣味である。


 どうにも二番目の引き出しだけ何も入れるものが無かった。


 入れるものが無いのならそんな引き出しは要らないのではないか。そう思い、ガタガタと音を立てて引き出しを外してみた。

 清々しい思いはしたが、ぽっかりと開いた空間はいっそ不気味で、ものではない何かを引き寄せてしまうのではないかと怖くなって辞めた。


 ガタガタと音を立てながら引き出しを戻す。

 すっぽり綺麗にはまった引き出しは、やはりそこに存在するのが正しく思えてきた。


 しかし入れるものが無い。入れるものが無いのなら入れなければよいではないか。

 そう思うのだがどうにもしっくりこない。


 何かを入れなければいけない。

 何かを入れる必要がある。

 何を入れよう。

 何を入れればいいのだろう。



 あぁ、そうだ。

 

 彼女を入れよう。


 彼女の一部を入れよう。


 そうすれば、家でも仕事場でも彼女と一緒に居られる。



 どの部分が良いだろうか。頭はどうだろう。頭を切り離して入れられればいつも彼女の美しい顔が見られる。

 しかしきっと入らない。嵩が足りないだろう。それに彼女の美しい顔を胴体から切り離すのは忍びない。


 彼女の手はどうだろう。

 仕事の間、不安になった時や疲れた時、そんな時に彼女の手を握れたらそれはとても素晴らしいのではないか。

 そう考えるととても素敵な事に思えてきた。


 手なら、肘から先をうまく切り取れば丁度良い大きさでは無いだろうか。

 両手を入れればちょうど二番目の引き出しは埋まるのではないだろうか。



 それではどうしよう。

 まずは彼女を用意しなければならない。


 選び抜かれた彼女はきっと最も美しいのだろう。


 彼女を横たえ、彼女の洋服を脱がし、彼女を綺麗に洗って、そして彼女の両腕を切り離す。


 あぁ、防腐処理をしないといけないか。

 いや必要ないのか。分からない。

 頭が回らない。ゴールは見えているが、過程を想像することができない。


 答えは分かっている。終着点は見えている。


 何をすれば良いのか、何をする必要が無いのか。

 慎重に思考をめぐらす。

 痺れた頭をゆっくりと揺らし考える。


 彼女の永遠性が消えてしまわないように。

 彼女が醜く消えてしまわないように。


 彼女の美しさをそのままに時を止めなければいけない。



 そう思ったら居ても経っても居られなくなった。

 すぐに行動に移さないといけない。


 その前に…

 微かに理性が宿る今、スマートフォンを取り出すと電話を掛けた。



---



 彼から電話が掛かってきた。

 大事な用事が有ると言っていた。


 大事な用事とは何だろう?


 付き合が始まってからかれこれ一年になるだろうか。

 普段は穏やかな性格の彼だが、たまに酷く不安定になることがある。



 机に備え付けてある袖机の二番目の引き出しを開ける。

 大量に入れられたお菓子の中から甘いチョコレートを取り出し口に含む。

 甘味が口の中に広がり脳に糖分が運ばれる気がした。


 そのおかげか脳が痺れたような不安が少し薄らいだ。


 アーティスト気質の彼は一度入り込むと他の事が見えなくなる質だった。

 周りが見えなくなるという言葉があるがまさにそれだった。


 没頭し始めるともう何もできなくなる。

 ただ其れを追い求める傾向にあった。


 だから私が世話をしてあげないといけなかった。

 多分あのままなら彼は食事すら取らずに没頭し続けてしまうだろう。


 歪な思考のまま突っ走ってしまうだろう。


 私が彼を支え、適度に軌道修正し、導かなければ多分彼は立ち行かなくなる。


 そんな彼が電話越しに真剣な声色で大事な用事があると言っていた。

 きっと何かまたとんでもない事をしようとしているのだろう。



 彼とは一生付き合っていく事になるだろう予感を感じている。

 仕方がないと思う。


 これは惚れた弱みだろう。


 上着を取り事務所を飛び出すと、そのまま彼の家に向かった。




---



 ドンッ、と鈍い音が部屋の中に響く。


 カビの様な匂いが部屋の中に広がる部屋は暗く、カーテン越しに微かに夕日が差し込んでいる。


 音を発した主の右手には大きな鉈が、左手には何か太い棒のようなものを持っていた。

 鉈を床に放り投げ左手に持つものを微かな夕日の明かりにかざして細かく確認する。


 夕日に掲げられた影は人の腕の形をしていた。


 肘から先、手のひらに対して右側に親指がある事から右腕なのだろう。


「違う、美しくない」


 男は吐き捨てるように怒鳴ると、持っていた腕を投げ捨てた。


「なぜだ、なぜ美しくないんだ!」


 怒気を強め周りに当たり散らす。

 投げ捨てた腕の持ち主だろうものの身体部分を蹴りつける。


「なぜだ、なぜだ、なぜだ」


 蹴りを入れるたびに硬い音が室内に響く。


「なぜ美しくいてくれない!やはり本物でなければいけないのか!」


 床に落ちていた鉈を再び手に取り振り上げる。

 一度ではなく何度も何度も。


 その度に腕が切り取られる。


「違う」


 ドンッ


「違う」


 ドンッ


「違う」



---



 恵美子がアトリエに着いたのは夜の帳が下り始めようとしている頃合いだった。

 事務所から車を飛ばして二時間強。

 彼、水鳥都里亜のアトリエは深い山の中にひっそりと佇んでいた。


 恵美子の事務所は水鳥都里亜のマネージメントを請け負っていた。

 芸術家のご多分に漏れず彼は一切のビジネススキルを持ち合わせてはいなかった。


 そんな彼を支え芸術活動に専念できるよう、全てのマネージメントを引き受ける仕事を請け負っていた。


 恵美子は専属で水鳥都里亜を担当していた。

 彼はあまり手のかからない方であり、たまに発作のように制作活動に没頭することは有ったが、今回のように突然呼び出されるのは初めての事だった。


 正面玄関から合鍵を使い入り、アトリエへ向かう。

 アトリエは二階の端の部屋に用意されていた。


 コンコン、とノックをする。


 いつもであれば柔和な声で応答があるはずだが扉の向こうは静かなままだった。


 アトリエに居ないのか? と疑問に思ったが、構わず扉を開けてみた。


 暗い。


 明かりはすべて消えていた。

 カーテンの隙間から覗く月明かりだけが僅かな光源だった。


「都里亜さん、いらっしゃいますか?」


 勝手知ったるアトリエのため、手探りで明かりのスイッチを探し明かりを付ける。


 蛍光灯の明かりに照らされて部屋の様子が浮かび上がってきた。


 そこに広がっていたのは、腕、腕、腕。


 様々なサイズの腕が床に散らばっていた。


 無数の腕と、腕から切り離された身体が床に広がっていた。


 しかし、そこには朱の色どりは無く、無機質なまでの物体がそこに有るだけであった。



 人形、それは生を宿すことのない無機質な人形だった。

 大小無数の人形が腕を切り離され床に散らばっていた。


 恵美子はそこに偏執的なまでの意思を感じて戦慄した。


 徹底的に取り外され、切り離された腕。

 アトリエに置かれていた球体人形作家である彼の作品すべての腕が胴体から切り離されていた。


「あ、恵美子さん。どうしよう、腕が、腕が無いんだ」


 ゆっくりと都里亜が振り返る。

 その目は虚ろで目の前に居る恵美子すら捉えていない様だった。


「あの腕が、美しい腕が無いんだ。あれが無いと引き出しを埋められない。埋められないと空っぽのままになってしまうよ」


 心ここにあらずな様子で都里亜はしゃべり続ける。


「美しい彼女の腕が無いとあの空白は埋められないんだ。やっぱり僕が作った彼女たちは中身が無いからダメなんだ」



 狂ってしまった、恵美子はそう考えた。


 前に聞いたことがある。

 彼が作る球体人形は有る人物を再現するためだけに作られていると。

 それが誰なのかは聞いたことが無かったが、きっとそれが彼女なのだろう。


 彼女に執着するあまり、壊れてしまった心を埋める術を持たずただひたすらに人形を作り続けていたのだと。


 彼女に似せて作るたびに、その中身の無い空虚さに心を壊していたのだと。


「そうだ、恵美子さん」


 都里亜が空虚な目をしたまま近寄ってくる。

 思わず軽い悲鳴を上げ後ずさる恵美子。

 トンっ、と背中が扉にぶつかる。


「恵美子さんの腕、見せてもらっていいかな?」




---




 水鳥都里亜は芸術家である。

 その作品に共通するのは人形である事。


 様々なタイプの人形を作成していた彼であるが、ある時を境に作風が変わった。


 彼が作る人形は常に腕が無かった。

 腕の無い人形を作り続けた。



 ここ、○○県近代美術館では彼の生涯を掛けた最高傑作と呼ぶに等しい人形が展示されていた。

 彼の作風が変わる転換期に作成されたとも言われる人形は厳重に展示ケースの中で厳重に保管されていた。


 等身大のそれは球体人形をベースにし、石膏により外部を塗り固められたその人形はやはり腕から先が無かった。

 もともと表情の無い球体人形の上に塗られた石膏により、その人形には表情が付けられていた。


 驚愕とも歓喜ともとれる表情は見るものの精神状態によりその表情を変えるかの様だった。


 ところどころ崩れ落ちた石膏から覗く球体人形のベース部分は艶めかしく、本物の人の肌の様にも見えた。



 彼の転換期となる作品の為か、この作品だけ他とは違う特徴が有った。


 人形の足元にある箱。

 見ようによっては何かの引き出しにも見えるその箱の中に、人形の腕が二本収納されていた。


 何かを掴むように指を歪めたその腕は、それ単体で完成品の様な美しさを持って箱に治められていた。


 作品の名前は「求めた彼女」


 その由来などは一切彼は語らなかった。

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引き出しに納める愛情 大鴉八咫 @yata_crow

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