第4章 地下鉄にて#2


「今の一言がなかったら、俺、優しくない人間に成り下がっていたかも。」


「はははっ!」


その明るい笑顔が、今までの俺の行動を、正しいものだって言ってくれる。



「でも本音を言うと。本人が気づくのを、待った方がいい時もあると思いますよ。」


「へ?」


「じゃないと、本当にお節介だけの、おじさんになっちゃいますから。」



くそっ!


それがオチかよ!!



夜の22:00。


いつものように、会社帰りに地下鉄に乗る。


今日も彼女はいる。


相変わらず、たくさんのDVDを持って、彼女は俺の目の前の席に座っていた。


気のせいか、彼女。


辺りをキョロキョロしてるんだろうけど、気のせいなのかな。



ハッ!


まさか、俺を探している?


この前の痴漢から助けたお礼を言いたくて!?



そんなわけないか。


第一、地下鉄をさっさと降りて行った彼女が、助けた俺の顔なんて、知ってるわけもないし。


そんな事を思ったら、なぜかズキッと痛む胸。


なんだ?この胸の痛みは



俺は彼女に、俺のことを知ってほしいのか?


おいおい。


それって、まるで俺が彼女に、恋をしているみたいじゃないか。



そんなことはない。


そんなことはないけれど、ほら。


目の前の彼女は、すごく困った顔をしているぞ。



う~ん。


いっそのこと、『この前は、大丈夫でしたか?』って声を掛けてみようか。



『えっ…この前?』


驚いた顔で、俺の顔を覗きこむ彼女。


『ほら、君が痴漢にあった時に……』


『あっ、あの時助けて頂いた方!?』


『そうです!僕です!』


嬉しそうに俯く彼女。



『よかった…会えて……』


『えっ?』


『私、実はあの時から……』


『あの時から?』


『あなたの事が……』


『俺のこと?』



好きになっちゃったみたいで


「うわっ!」


思わず声に出して、地味に驚く。


いやいや、それはないし。


一人で妄想して、一人で顔を真っ赤にする。



そして、そんな時に会社の女の子の一言が思い出せれる。


『本人が気づくのを、待った方がいい時もありますよ。』


思考回路が停止。


うん、そうだよな。


何も彼女は、あの時助けてくれた人なんて、必死に探している様子もないし。


誰かに聞きまわっている様子でもないし。


ここで俺が声を掛けたら、それこそお節介というものだ。




やめておこう。


せめて彼女の目が、俺に向いてくれるまで。


俺はその夜、映画館に行った。


無論、メンズデーだったから。



「大人一枚。」


「はい。中央のお席ですね。」


顔を上げると、毎週この時間にシフトが入っているというお姉ちゃんの笑顔があった。


「空いてる?そこの席。」


「はい!空いてます。」


そう言うと、彼女はスッと俺に近づき、「と言うより、空けておきました。」と、囁いた。


「ハハハっ!」


可笑しくなって笑った後、今度は俺の方から、お姉ちゃんに近づく。


「君、なんて名前?」


「伊勢です。」


お姉ちゃんは、胸にある名前のバッチを見せてくれた。


「伊勢、何ちゃんって言うの?」


一瞬、戸惑った表情をしたお姉ちゃんは、チラッと横を見て、誰もいないことを確認した。



「映梨子です。」


「映梨子ちゃんね。」


恥ずかしそうに頷くお姉ちゃんに、俺は素朴な疑問を投げかけた。



「映梨子ちゃんは、俺の名前、知りたいと思う?」


ふとお姉ちゃんを見ると、表情が固まっていた。


たぶん、質問の趣旨が、わからなかったのだと思う。



「ごめんね。変なこと聞いて。」


「いえ……」


「チケット、取れた?」


「は、はい。」


映梨子ちゃんが見せてくれたチケットは、またまたドンピシャの真ん中。


「ありがとう。来週も頼むよ。」


俺はそう言って、チケット売り場を離れた。


「あっ、あの……」


映梨子ちゃんが、背中から『お客様!』って呼んでいるのが聞こえたけれど、知らないふりをした。



映梨子ちゃんは、俺の名前を知らない。


それは当たり前のことだ。


だって、俺はただの客の一人なんだから。



地下鉄の彼女も、俺の名前を知らない。


それも当り前のこと。


だって



彼女の瞳に、俺は映っていないのだから。


そんな事を考えた帰り道は、いつもよりも、足取りが重かった。


世の中には、こんなにも男と女が溢れているのに、出会う確率は奇跡に近い。



少なくても、俺はあの子を見つけた。


このいつも、何気なく乗っている地下鉄で、だ。


地下鉄の扉が開いて、少し俯き加減に、座席の前まで歩みを進める。



そこに、いた。


俯き加減の俺の視界の、真ん前に、また大量のDVDを抱えて、座りながら寝ている。


くそ~。


やっぱり俺は、この子と仲良くなりたい。



俺は映画館派で、彼女はDVD派かもしれないが、同じ映画好きって言う共通点があるじゃないか!


絶対、俺達気が合うって。


そんなふうに、自分の頭の中で叫んでいたら、彼女の目から、流れ出るものが見えた。



ん?


涙?


えっ!?


泣いてんの!?


なんで????



周りに変な人だと思われないように、リアクションを抑え、俺はじっと彼女を見た。


悲しそうな顔。


何があったんだろう。


寝ている彼女には、聞けない。


じゃあ、どうすればいいんだろう。


しばらく考えた後、俺は彼女の横に座った。



だからって勿論、何ができるかなんて、今の俺にはさっぱりわからない。


でも、彼女の傍にいなきゃダメなような気がするんだ。



本当はお節介かもしれない。


でも俺は、彼女の傍にいてあげたいんだ。


もしかしたら、それが、


“好き”って言うことなのかもしれない。


彼女を好きかもしれないと思った俺に、小さな勇気が生まれた。


“今度彼女に会ったら、迷わずに声を掛けてみよう。”


そんな勇気。


しかもその日は、意図も簡単に、翌日にやってきた。



通勤電車でいつも会う彼女に、休日会えたんだ。


ラッキー。


俺は心なしか、ウキウキしながら、彼女に近づいた。



だけど、そのウキウキは数秒後、打ち砕かれた。


休日にしては、やけに多い荷物。


旅行?


だけど、旅行に行くには、あまりにも普段着じゃないか?


どんどん、俺の胸騒ぎは大きくなっていく。



まさか……まさか!!


俺は咄嗟に、彼女の腕を掴んだ。



「ヒャッ!」


彼女が驚いた声を出す。


「ごめん!」


俺は、無意識に謝った。



振り向いた彼女の表情は、『あなた誰?』って感じ。


「そんな荷物持って、どこへ行くの?」


ストレートな質問。


「まさか、いなくなったりしないよね。」


遠まわしにお伺いするような、心の余裕なんてなかった。



しばらくの沈黙。


見つめ合う二人。


ああ、彼女。


よく見ると、こんな顔してたんだ。



「あの……」


困った顔をした彼女は、チラッと俺が掴んでいる腕を見た。


ハッとして、彼女の腕を離す。



「あの…お節介かもしれないけれど。」


何を言い始めるんだ、俺!


だけど、意を決して彼女に一歩近づく。


「どんなに辛いことがあっても、乗り越えられないことは、何一つないと思う。」


実は彼女、大量のDVDと共に、大量の苦悩を背負っていたのかもしれない。


「影で努力した結果は、必ず現れるよ!だから、ここで逃げちゃダメなんじゃないか?」



俺はずっと、何を見てきた?



いつも帰りは俺と同じくらい遅くて、だけど大量のDVDを、ちっとも嬉しそうに見ていなかった。


趣味とかじゃなくて、仕事の一環だったんじゃないのか?


どうして俺は、今になって気づくかな。


チラチラと、俺達を見ていく通りすがりの人たち。



彼女は恥ずかしそうに、周りを気にしているようだった。


「ありがとうございます。でも、もう田舎に帰るって決めたので……」


彼女の言葉に、茫然とする俺。


彼女が、田舎に帰ってしまう。


彼女が、この街からいなくなってしまう。



嫌だ。


嫌だ!そんなの!!


軽くお辞儀をして、地下鉄に乗ろうとした彼女に、俺は何を思ったのか、静かに話し始めた。



「俺、君の事をずっと見ていた。」


振り向いた彼女を置いて、地下鉄は去って行く。


「仕事を遅くまでして、疲れて眠ってるところとか、乗り過ごしそうになって、起こしてあげた事もあった。」


「あっ……」



気づいてくれた?


そうだよ。


あの時、君は一目散に地下鉄から走って降りて行った。


「痴漢に遭っている君を、助けた事もあった。」


ありがとうも言わずに、もういなくなってしまった君に、密かにイラついてたっけ、俺。


「DVD抱えながら、泣いている君の隣に、ずっと座っていた事もあったよ。」


何をしてあげたらいいか分からずに、でも何かしてあげたくて、悩んだ末に出した結論だった。



いつの間にか、彼女の目からは、あの日と同じように涙がこぼれ落ちた。


「泣かせちゃったね。」


手を伸ばして、その涙を拭った。


「ありがとうございます。」


やっと聞けた、彼女のお礼の言葉。


そんなこと思ったら、自然に笑えた。



「なんか君の涙って、温かいね。」


「だって、あなたの気持ちが温かいから……」


返ってきた思いがけない言葉に、俺の心臓がトクントクンと波打つ。



「抱きしめてもいい?」


そう聞いたのに、俺は彼女の返事を待たずに、ぎゅうっと彼女を強く抱きしめた。


ああ、甘い香りがする。


シャンプーとか、香水じゃなくて、彼女の素の匂いだ。



やっぱり、帰したくない。


このまま二度と彼女と会えなくなるなんて、俺には耐えられないかもしれない。


「ダメなのかな、俺達。ここから始められないのかな。」


俺なりの、精一杯の抵抗。


そして、彼女から返ってきたのは、強い抱擁だった。


もしかしたら……



「ごめんなさい。」


でも彼女から聞こえてきたのは、裏腹の言葉。


「ごめんないさい…ごめんなさい……」


彼女は繰り返し、そう言った。


何度も何度も、『ごめんなさい。』って。



完敗。


俺の気持ちは、彼女に伝わらない。


それでもよくなった。


だって、こんなに謝ってるんだ。



「もういいよ。わかったから。謝る必要なんてないんだ。俺が勝手に引き留めたんだから。」


彼女の耳元で、そう優しく囁いたつもりだった。


でも実際は、自分に言い聞かせていたのかもしれない。



「ごめんなさい。」


「ほら、また謝る。」


すかさず入れた返事。


彼女の笑顔を掴むには、好都合だったようだ。「そうだよなあ。引越しの手続きも終わってるんだろうし。新しい生活に、気持ちも片寄ってるもんなぁ。」


地下鉄の天井を見ながら、俺はチラッと彼女を見た。


肯定している表情。


もう引き返せない、彼女の決意の表れだった。



一方で、俺はそんな彼女の顔を見たくなくて、地下鉄の次の列車が来るかどうか、掲示板を見た。


「あっ、もう少しで次が来る。」


わざと大きな声を出す。


時間は5分後。


別れのラストシーンには、ちょうどいい時間かもしれない。



「田舎に帰るんだよね。」


「はい。」


あっさりとした返事に、返って俺は戸惑いを隠せない。


「あっちに行っても、元気で頑張って。」


平常心を装った。


彼女にばれないようにしたけれど、どうだったのかな。



だってそうだろう

そして、俺達二人を遮るように、次の地下鉄のライトが、眩しく光った。



「ありがとう。」


カワイイ彼女から、可愛い声が聞こえた。


「私、あなたに出会えてよかった。」


俺は耳を疑った。


「あなたと出会えた東京に来て、本当によかった!」



おいおい。


本当にそんなふうに、思ってくれたのか?


だって、俺達会話したの、ほんの15分前が初めてだぞ!?


彼女の無邪気な発言に、俺はほっぺたが熱くなる。


好きな子に『出会えてよかった。』なんて言われるなんて。


なんだよ、反則だろう。



そうこうしているうちに、彼女は荷物を持って、地下鉄に乗り込んだ。


「バイバイ。」


笑顔で、サヨナラを告げた彼女。


「気をつけて。」


自然に、手を振った。


そして、最後の別れを笑うかのように、地下鉄のドアは容赦なく閉まった。




ああ、これで彼女の姿を見るのは最後なんだ。


虚しい悲しみが、俺の心の中をゆっくりと動きだす地下鉄が、彼女を俺の知らない世界へと連れて行く。


最後の最後、彼女が見えなくなるまで、俺の姿を見つめてくれていたのは、錯覚だったのかな。



彼女が乗った地下鉄が、遠くの穴に吸い込まれて、見えなくなった。


けれど俺は、なにも感じなかった。


普通こんな場面、友人や家族なら、「あ~あ、行っちまった。」なんて、感傷的な一言がつくものだ。



「大体、なんで俺、あの子に話しかけたんだろう。」


おかしい。


どう考えたって、おかしい。


話しかけたところで、彼女が東京に残ってくれるわけでもないし、俺と親しくなるわけでもない。



「そうだ。俺、夢みてたんだよ。そうだ、そうだ。夢だ。」


俺は自分に言い聞かせると、それで彼女との呆気なさすぎる、別れの時間に、なんとかピリオドを打った。


「映画。映画を観に行こう。」


夢の世界から覚めたばかりだと言うのに、また、夢の世界へと行きたくなった。支配する。


いつもの映画館で、いつものチケット売り場、いつものバイトのお姉ちゃん。


「大人一枚。」


「はい、いつものど真ん中のお席、ご用意してあります!」


まるで俺の気持ちを見たかのように、映梨子ちゃんは、ど真ん中の席のチケットを、俺の手の平に乗せた。


「いつもと……同じだね。」


「えっ?」


映梨子ちゃんは、突然の俺の発言に、なんとか食らいつこうかと、必死に身体を前のめりにさせた。



「何でもない。ありがとう、映梨子ちゃん。」


「は、はい。」


俺はチケットを持って、少し小さめのシアターに向かった。


ここの映画館は、新作の他にも昔の映画を上映している。



だから、この映画館が好きだ。


たまには、古い、昔の映画を観て、日常の煩わしさなんかを忘れる。



それが俺の、ストレス解消法。


ねえ 君のストレス解消法はなんだった?


毎日、遅くまで仕事をして、その上大量のDVDを抱えて、自分が降りる駅でさえ通り過ぎてしまうくらいに、電車の中で寝入ってしまったこともあるよね。


なあ 東京に来て、本当に君は楽しかった?


少しでも夢は叶えられた?


ねえ、なんで田舎に帰ってしまったの?


もしかしたら、俺。


君に話しかけるの、遅すぎた?



彼女と話をしたこと、夢だって自分に言い聞かせたつもりなのに、頭の中は彼女との記憶でいっぱいだった。


そうだよ。


もっと早く、彼女に話しかけていれば、もしかしたら仲良くなって、この映画館にも二人で、来たのかもしれない。


彼女だって、田舎に帰らなくてもよかったのかもしれない。



そんなことを考えていたから、コメディ映画だって言うのに、涙が止まらなくなった。


拭っても拭っても、涙はこれでもか!と言うくらいに、流れ落ちる。


人生に“もしも”なんてあり得ない。


でも思ってしまう。


彼女との“もしも”のことを。


結局のところ、彼女のことをいくら考えても、それ以上の答えは出ないことを知った。


お節介な俺が、最後に見せたお節介。


君はそんな俺に「出会えてよかった。」と言ってくれた。



そうして、遠くへ行ってしまった彼女。




ねえ 君。


俺は君のこと、忘れないよ。









そして俺は、あふれ出る涙に、そう誓った。



― Fin ―









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Chain~この想いは誰かに繋がっている~ 日下奈緒 @nao-kusaka

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